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第四十三話『血濡れの森』

 大陸暦六一五年、天秤の月中旬―

 湖畔の街ナーウィンをめぐる攻防は、寄せ手のキトリヤ軍が有利に事を運んでいた。勇猛なニバラク軍による矢の雨は、初手こそ効果的ではあったものの、防壁が投石器による攻撃に晒されるようになると、戦に慣れていない民を中心に、動揺が広がりつつあった。


「破城槌、行け!弓隊は援護せよ!」


 北門の攻略を任されていたのは、傭兵隊とオーク勢からなる一〇〇〇の兵だった。ブブシャシャの命令と共に、破城槌を担いだ分隊が門へと突撃する。無論、防壁からも矢は降り注ぎ、第一波は門へ辿り着く前に半壊、早々と引かせて第二波と交代した。その第二波も無数の矢に飛び付かれる。だが、その損害は決して無駄ではなかった。ニバラク兵が破城槌を防ごうと矢を射れば射るほど、キトリヤ軍の弓兵の損害が減る。その分、援護の矢も手数を増やす事が出来る。


「破城槌だけに集中するな!奴らの弓手が狙ってくるぞ!」

「そうは言っても、門を破られたら終わりだ!」


 ニバラク兵とナーウィンの民がちょっとした口論になる。その隙を突いて、破城槌も矢もなだれ込むように門と防壁を攻め立てた。

 戦闘開始から数刻、正午を回ろうとしていた頃、ナーウィン側の損害が大きくなり始めた。


「頃合かな。アレクサンドル、出ます」

「おっ、準備出来たかアレクセイ。思いっ切りぶちかましてやれ」


 少し離れた茂みから出てきたアレクサンドルに、ミハイルが明るい声を掛ける。三男の右肩に担がれていたのは、人間の腕一本分の太さと長さに近い、金属製の筒だった。筒の片側には魔晶石の筒が取り付けられており、それは外側に向かってラッパのような噴出し口がついている。アレクサンドルは筒の先端から小振りな砲丸を入れると、防壁に向けて構えた。


「後ろ、誰もいないね?」

「大丈夫だ」

「それじゃ、いくよ。爆熱の術式!」


 アレクサンドルが起動した爆熱の術式は、高熱と暴風を瞬時に発生させるもので、主に発破に用いられる作業向けの術式だった。だが、筒の奥で起動した爆発は、込められていた砲丸を筒から押し出すには充分過ぎるほどの威力があり、余った熱と風はラッパ状の噴出し口から勢いよく排出された。噴出し口を付けなければ、もっと勢いは増すのだが、手持ちの筒の強度の面から出来なかった。砲丸は緩やかな曲線の弾道を描き、門扉の真上の櫓に突き刺さった。


「よし、命中。次はどこを狙ったらいいかな」

「そうだな……アニキ、次はどこを狙わせる!?」

「もう一、二発ほど防壁の弓手に撃ち込んで、それから前進して街の中へ叩き込もう」

「なるほど、いつもの手だな。頼むぜアレクセイ」


 キヤスキー家の従軍は、ハーム国内に限った話ではない。カッサーナ皇国の記録によると、白熊亜人の傭兵一家による城攻めが行われ、火筒を担ぎ門や櫓を砕いて回った者がいる、とされている。

 アレクサンドルの手持ち大砲は、記録に残されているほどの破壊力はない。だが、爆音と砲丸の直撃による衝撃は、守備兵の精神面を突き崩すには、充分過ぎるほどの効果があった。その後も砲丸は防壁に撃ち込まれ、不幸にも着弾点に居合わせた弓手が、砕けて鋭い刃となった防壁の破片を浴びて倒れた。


「このままじゃやられる!」

「東門に援護を要請しろ!」

「何言ってんだ!東門は投石器と火矢でもっと大変だ!」

「とにかく手を動かせ!奴らの破城槌がまた来るぞ!」


 ナーウィンの防壁は、東も北も火が付いたような忙しさだった。住民や狩人まで呼び掛けて集めた一〇〇〇の兵力はすでに二割が失われ、東門の逆茂木は火矢で焼かれており、堀を越えられたら防壁に取り付かれる。北門は櫓を砕かれており、指揮官の負傷と疲れから混乱が始まっている。そして、防壁の至る所に投石と砲丸による孔が開けられていた。



「ニック、今は天秤の月の二十二日だったよな」

「そうだけど、それが何か?」

「……そろそろ秋も深まって来る。本来なら、冬篭もりの準備をする動物を狩る時期だ」

「あぁ、冬に備えて肥える猪や鹿を狩るんだろう。しかし、何か関係があるのか?」


 ナーウィンから半日ほど離れた森の中、狩人が宿営に用いる広場に陣を張ったニックとコンラッドは、かすかに聞こえる戦の音に耳を傾け、人間には感じ取れないものに注意を向けていた。


「今年はキトリヤ軍の侵攻により、兵糧確保のために早くから狩りを進めていた。木の実や果物の採集もだ。そうなると……どうなると思う?」

「そうだな、もっと大きな動物や猛獣、陸棲竜の取り分が減る……」

「当たりだ。腹を空かした肉食の連中が、血の匂いなんか嗅いだら……どうなる?」


 コンラッドの言葉に、ニックは背筋が粟立った。自分達が連れている四〇〇の兵、ガロンドが連れている二〇〇の狩人は皆、暗緑色のマントを身に着けており、これは獣避けの匂いが染み付かせてある。しかし、その事を知らないキトリヤ軍は、その装備がない。そして、ニバラク侯爵領の森には、数十から百名近い狩人でも苦戦するような陸棲の肉食竜が生息しているのだ。


「しかし、そんな都合よく肉食竜がナーウィンに近付くのか?」

「あぁ、道中で奴らの糞を見つけた。近いぞ」


 そういえば、とニックは思い出した。むせ返るほどの臭いを放つ、黒々とした糞の山が、小道の脇に置かれていた。コンラッドによると、他の肉食動物を追い散らす為のマーキングの意味があるという。そして、ナーウィンが防壁と堀と逆茂木で守られているのも、そういった大型動物を防ぐためである。ナーウィンとは別の方角から、木々の擦れる音が聞こえた。コンラッドは口許を歪めて妖しく嗤った。


「この感じは……主だな」



 キトリヤ軍の攻撃の前に、ナーウィンの陥落は時間の問題であった。仮に今日中に落ちずとも、数日の間に陥落か降伏の二択を迫られる状況であった。東門でマーティーの弓が唸り、キトリヤ兵の心臓を射抜けば、北門でポーリャの弓が鳴り、ニバラク兵の首筋に矢が突き立てられた。


「あきらめるな!なんとしても、ニック様とギルド長が戻られるまで耐え抜くのだ!」


 マーティーが体力も精神力も限界に近い守備兵を鼓舞する。しかし、言っている本人も、既に厳しい状況を察していた。それでも、戦いを止めるわけにはいかない、床板に突き立てていた矢を取ろうとした時、その矢が倒れた。投石を受けた衝撃はない、地鳴りのような感触だった。


「なぁアニキ、何かおかしくねぇか?」

「何がだ?ミハイル」

「敵の守備兵さ。妙に練度が低いというか、バラつきが大きい」

「ナーウィンは狩人の街だと聞いている。急ごしらえで兵にしたんだろう」

「だったら、ニバラク軍はもっと大人数になってるんじゃないか?一〇〇〇どころじゃないはずだ」


 ミハイルが、ナーウィン守備兵の異変に気が付いた。言われてハッとなるゲオルギーが、更なる異変に気付く。森の奥から迫るような、地鳴りと嬌声。木々のざわめきは大きくなり、ついに狩人の森が牙を剥いた。


「何だ!?」

「肉食竜の群れか!」


 北門に詰め寄ったキトリヤ軍の後方に襲いかかったのは、馬ほどの大きさもある陸棲竜の群れで、その数は五〇頭に達していた。発達した後ろ脚は走る事と跳ぶ事の双方に適しており、挙動は猿に近い。前脚の鉤爪は薄手の鉄板であれば凹まされる程度の硬さを有していた。飛びかかられた傭兵やオーク兵が押し倒され、首筋に牙を突き立てられる。太腿を鉤爪で裂かれた者もいた。


「アレクセイ!」


 手持ち大砲の筒を投げ出し、短剣を引き抜いたアレクサンドルだったが、時既に遅かった。両肩を掴まれ、首筋が引き裂かれる。急速に血の気が失せていく。兄や母を呼ぶ声が出る事はなかった。

肉食竜リモラプトル

ナーウィンの狩猟ギルドより『大跳び蜥蜴』の通り名で呼ばれる中型の肉食竜。体高や全長は馬と大差ないが、自身の身の丈ほどの跳躍力があり、鋭い爪や牙を持つ。通常、一頭のオスをリーダーとした十頭前後の群れを作るが、餌不足などの非常事態に見舞われた際は複数の群れが共に行動する。

人間の狩人なら数名いれば一~二頭までなら相手に出来るが、群れが近付いてきた時は、狩猟ギルドで部隊を編成して迎撃にあたる。

   ニバラク侯爵領資料『狩人の森の生物Ⅲ』

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