第四十一話『狩人の森』
大陸暦六一五年、天秤の月中旬―
ニバラク侯爵領中枢都市ルーテの攻略から一月余り、キトリヤ伯爵領軍が動き出した。伯爵の弟にして司令官となったリデル・キトリヤ将軍は、周辺の中小都市や砦の動向を見て、残るニバラク領兵は西に集まると踏んだ。とは言え、全軍の出撃は後方の危険が伴う。そこでキトリヤ軍は、ニバラク軍の捕虜を最前列の兵として立たせる事を選んだ。
「総大将も中々にえげつない手を考え付くなぁ、ミハイル」
「全くだぜ。ニバラク領兵の捕虜を上半身裸にして、刺青彫って矢面に立たせるなんてな。アクレセイ、お前はどう思う?」
「敵に恐怖を与えて戦意を挫き、味方の損害を減らす……見た感じは効率的な作戦かと」
「あんた達、何を言ってんだい。あんな胸糞悪くなる光景、あたしはあんまり見たくはないね」
行軍しながらも軽口を叩く三兄弟を、逞しい母親がたしなめる。四人はキトリヤ伯爵領の北限、カッサーナ皇国の東端と国境を接する北の地にて、傭兵団を率いる白熊亜人の一家だった。本来の団長であり大黒柱の夫が病に倒れ、遺された家族や一団を養うため、伯爵の要請に応じて馳せ参じたのだ。
「母ちゃん、血を見るのは平気なのに、何故か刺青は駄目なんだよな……イテッ!」
「お馬鹿、仕事中はそう呼ぶんじゃない!そう言ったろうゲオルギー!」
調子付いた長男ゲオルギーの頭が、軽く拳骨で小突かれる。次男ミハイルはその様子を指差して下卑た笑いを飛ばしては、兄同様に拳骨を貰う。それを目の当たりにした三男アレクセイことアレクサンドルが、溜め息一つこぼしては眼鏡の位置を直した。この三者三様な兄弟を束ねるのが、団長も兼ねる母親、ポーリャ・キヤスキーであった。
「戦に子守りとは、中々なものだな」
「なんだいブブシャシャ、あんたもあたしを笑うのかい?」
「そうカッカするな。弟を思い出して、懐かしくなっただけだ」
ポーリャは隣を歩くオーク勢の指揮官、ブブシャシャに声を掛けられた。オークにしては高貴というか上品という言葉が似合い、下劣な印象を一切与えない。その装備品はキトリヤ家を仲介して与えられた、ベクォン領製の高品質な一式であり、持ち前の肉体の強さもあって、より強固な存在に見える。
「あんたの弟は確か、モーギナス灯台で死んだんだっけ?」
「あぁ。五〇名のオークとゴブリンの魔狼騎兵で灯台を奪い、ボートミールに大打撃を与える……最初から帰還をアテにしていない、バカげた作戦だったよ。それでも、弟はよく戦い、ハーム兵二〇〇近くを道連れにしたんだそうだ。そして、その弟を討ったのが……」
「第二王子、ニック殿下というわけね」
「そうだ。奴は何としても仕留める。弟の仇を討つのだ……!」
ブブシャシャの巨躯がわななく。オークにも家族を思いやる気持ちがあるのか、半ば感心しながらも、ポーリャはその様子にただならぬものを感じた。
「気持ちは分かるけど、あんたはテーキス地方から連れてきた、五〇〇のオーク勢を束ねる立場にあるんだ。あたしの三〇とは桁が違う。感情に振り回されて、もっと大事なものを見失ったらいけないよ」
「……そうだな、すまない。本当に、あんたは気が回るいい女だ」
「何だい、あたしを口説いてんのかい?あたしみたいなオバサンで良ければ、抱いても良いんだよ?」
ポーリャの言葉に、三兄弟が各々の性格に見合った表情で顔を引きつらせた。ブブシャシャは憮然とした態度で前に向き直る。彼女はその横顔に、在りし日の夫の影を重ねていた。
キトリヤ軍の兵力は三〇〇〇、ニバラク軍捕虜兵が五〇〇、オーク勢が五〇〇、各地から寄せ集めた傭兵が一〇〇〇、キトリヤ伯爵領兵が一〇〇〇という編成で、この混成軍の指揮は将軍リデルの弟、ライネル・キトリヤに任されている。次兄リデルはキトリヤ伯爵領兵の精鋭一五〇〇でもって、ルーテの守備に就いている。末弟ライネルは、自分に任せられた数の重さに、何度目か分からない溜め息を吐いた。
大陸暦六一五年、天秤の月中旬ー
シャーリーンから書状を受け取り、ホーンモルを発ってから三日、ニック率いるハーム王国軍一〇〇〇の兵が、ナーウィンに到着した。
狩猟ギルドとの交渉役として使いに出したコンラッドは、ギルド長ガロンドと共にニックを出迎えた。
「よく来たなニック、ギルドの方には話は付いてるぜ」
「殿下、よくぞいらっしゃいました。私が狩猟ギルドの長、ガロンドでございます」
「急な申し出で済まない、ニバラク領の奪還までで構わぬから、力を貸して欲しい」
「了解しました。この老骨で良ければ、存分にお使い下さい」
「……ところでニック、顔どうした?疲れとは違う、滅入ってる感じがするぞ?」
怪訝な表情で尋ねたコンラッドに、ニックは思わず目を丸くしたが、すぐに「なんでもない」と返した。
ホーンモルの防壁の門の前には、十人分に近い首が晒されている。王妃サラの息が掛かった者のうち、国王ハロルド三世の勅書を見せても動じなかった者を、王命に従わぬ反逆者として処刑したのだ。これは、ニックにとって一つの賭けだった。もし、軍の中にも王妃の影響力が存在し、それがニックに対して牙を剥く事があれば、次に首を晒されるのは自分だ、その腹を括ってきていた。
「さて、早速ですが、キトリヤ軍への対処について話し合いたいと思います。こちらへ」
「分かった、よろしく頼む。副官と参謀、各大隊長はついてきてくれ。残りは待機だ」
ニックは必要な人員を連れて、狩猟ギルドの本部へと入っていった。
それから数刻後、キトリヤ軍はナーウィンまであと一日半という距離にまで達していた。キヤスキー家の兄弟が言っていた、えげつない方法で矢面に立たされているニバラク軍捕虜兵が、斥候をやらされている。無論、虚偽の報告など出来ぬよう、同じ人数の監視が付いている。
「……なんて奴らだ!」
先に森に潜んでいた狩人とニバラク兵が声を上げる。斥候は上半身裸にされている上、亜人は胸元の毛まで刈られている。そして、男女を問わず胸に大きく『親愛なるニバラクの民』と刺青が為されている。斥候を射てば、同郷の者を殺したという汚名を着る事になる。森や山が多く、仲間意識の強いニバラクの民にとって、この汚名は大きな恥となる。キトリヤ将軍は、それを利用したのだ。
「この事はしっかり報告するぞ。今は、与えられた任を果たすだけだ……!」
ニバラク兵はそう吐き捨てながら、角笛を吹き鳴らし喚声を上げた。キトリヤ軍の動きが止まり、斥候が近付いて来る。道から外れた藪や窪みをかき分けても、見つかるのはニバラク領の旗と兵に似せた案山子だけであり、その頃には角笛の音も喚声も、嘘のように止んでいた。
「偽兵?」
「はっ、道から外れた藪にでも伏せているように偽装していました」
「足止めのつもりか。しかし、いつ本物の伏兵に足元をすくわれるか分からん。念入りに調べながら進め」
「はっ」
報告を受けたライネルは、出来るだけ迅速に、かつ伏兵に注意して進むよう命じた。これには焦りも含まれていた。兵の多くはキトリヤ伯爵領の荒涼とした山岳地帯や丘陵地の生まれで、ニバラク侯爵領の鬱蒼とした深い森には慣れていない。その上、行軍が遅々とした所に伏兵の危険もあっては、平常心をいつまで保てるか分かったものではない。
正規兵、傭兵、オークの混成軍という不安定な編成が、その焦りに拍車を掛けていた。狩人の森では、冷静さを失ったものから獲物と化す。
大陸暦六一五年、天秤の月中旬ー
ニック王子殿下にお会いしたのは初めてに等しかったが、あれほどの覇気に満ちた人物であったか。しかし、主たる者の器には何かが足りないような気がする。足りていないのか、あるいは失ったのか。
ナーウィン狩猟ギルド長ガロンド・ジェビの手記『天秤の月十八日』




