第四十話『戦う理由』
大陸暦六一五年、天秤の月満月の日-
不意に降りだした秋雨により、コンラッドが湖畔の街ナーウィンに到着したのは、予定より丸一日遅れての事だった。
ニックから食糧を三日分持たされた事が功を奏した。ナーウィンはニバラク侯爵領においても独自性の高い街で、狩猟ギルドが牛耳っていると言っても過言ではない。内陸にありながら、湖という豊かな水源と深い森の恵み、主要都市間の交通の要衝という事もあって、街は大いに発展していた。
「止まれ!何者だ!」
猛獣や竜から守るため、鋭い逆茂木を張り巡らせた防壁が街を囲っており、その門もまた厳重な警備の下に置かれていた。門番の険しい視線は、相手が侯爵の息子コンラッドであっても、変わる事はなかった。無論、コンラッドもその物々しさを逆に信頼している。
「ニバラク侯爵が長男、コンラッドだ。今は第二王子ニック殿下率いるハーム軍の使いとして参った。狩猟ギルドに用がある。開けてくれ」
「……これは、失礼しました。どうぞ」
コンラッドがフードを取って顔を見せ、ニックからの手紙を差し出した事で、門番もこの来訪者の正体に気が付いた。門番が手振りで合図すると、見張り台の男達が滑車を回す。真新しい門扉が重苦しい響きと共に開かれると、彼は街に通された。
「ルーテが落とされたという話は、もう耳に入っているようだな」
馬をゆっくりと歩かせながら、ナーウィンの街を見て回る。鍛冶屋は日用品の取り扱いを止め、ありったけの材料で剣や鎧兜を作り、工房に置ききれなくなった物が軒先にも溢れている。弓や矢の職人も大忙しで、それこそナーウィンの民全員分の弓矢一式を揃えんばかりの勢いであった。方々の煙突からは香りのよい煙が幾筋も昇っている。
「鹿に猪、他にも肉という肉、魚という魚を片っ端から燻製にしてるな」
持久戦に備えての燻製作りも進んでいる。様々な香木で香り付けをしているのは、せめて風味だけでも幅を持たせようという考えだろう。コンラッドは青みの陰り出した空を見ては、狩猟ギルドの本部へと馬首を向けた。
夕暮れの少し前、コンラッドは狩猟ギルドの門を潜った。彼自身もギルドに登録されており、会員証の提示だけで中に入る事が出来た。馬を繋ぎ、本部に足を踏み入れる。平時ならば登録された狩人達が獲物や道具を見せあったり、狩りの途中であった出来事を話し合ったりしているのだが、戦の風はこのような場所の空気まで吹き飛ばしていた。
「やぁ、コンラッド君。久しぶりだね。大変な状況ではあるけど、君が無事で何よりだ」
「……ギルド長はどちらに?」
「執務室にて報告書の束にでも目を通しているかと。何か用でもあるのかね」
「ニック王子殿下の書状だ。今すぐ話を取り付けて貰いたい」
コンラッドの知る昔から相も変わらず、受付のテーブルでのん気に茶を啜っていた小太りの職員が、ニックの書状を見た途端に目を丸くし、その色を変えた。あごや腹に溜まった脂を上下させながらも、見た目以上に俊敏な足取りで、ギルド長の執務室へとすっ飛んで行った。
「お久しぶりです、ギルド長」
「うむ。火急の用事と聞いた、話してもらおうか」
執務室はギルド長の几帳面な性格がよく現れているほどに片付けられ、机の上の書類の束も、読み終わったものは整えられて重ねられている。座するギルド長、ガロンド・ジェビは、狼亜人特有の鋭い視線をコンラッドに投げ掛けた。右目に掛かる刀傷が、深い灰色の毛並みと相まって鋭さを際立たせる。
「こちらが、ニック王子殿下からの書状になります」
コンラッドはガロンドに書状を手渡した。ニックにすら軽口を叩くコンラッドでさえ、この老いたギルド長には襟を正す。齢五十は狼亜人としては老年も老年、それでも現役という猛者である。老いてなお、衰えを知らない肉体が放つ気迫に、コンラッドは息を飲むのだ。
「……ふむ、殿下は一〇〇〇余りの兵でキトリヤ軍五〇〇〇に挑む気でおられるのか」
「無論、これが無謀である事は分かっています。しかし、ナーウィンの狩猟ギルドの人員と、領兵の残りや予備兵を足しても五〇〇に満たない数です。手を組んで頂けませんか?」
コンラッドの言葉に、ガロンドは腕を組み考え込んだ。人手が足りない事に変わりはなく、このままキトリヤ軍の侵攻を許せば、遅かれ早かれナーウィンは陥落する事も分かっている。しかし、この老いた狼亜人の鼻は、戦の裏に立ち込める臭いを感じていた。
「……ニバラクの倅よ、君は何のために戦う?」
今度はコンラッドが口をつぐんだ。そして、自分が今ここにいる理由を思い返す。ニバラク侯爵領の危機を悟ったから、大臣の遺体を故郷に戻すために船を借りたかったから、そして、学友ニックの力になりたいから――
「故郷のため、代々繋がってきた侯爵家のため、そして親愛なる友人、ニック王子殿下のためです」
「……良い答えを聞いた。良いだろう、このナーウィン狩猟ギルドの者達の命、殿下にお預けしよう。そうとなれば、すぐに返書を届けなければならんな」
ガロンドは手紙を一筆したためると、ギルド本部内の呼び出しに用いる伝声管の蓋を開けた。
「シャーリーン、速達を頼む。私の執務室まで来てくれ」
それから間もなくして、執務室のドアを叩く音が聞こえてきた。どうぞ、というガロンドの言葉に応じるようにドアが開く。入ってきたのは猛禽の亜人、それも気品と気高さを漂わせる白頭鷲の女だった。
「シャーリーン、参りました。速達の御用ですね」
「あぁ、この手紙をホーンモルの軍司令部へ」
「了解しました。直ちに」
シャーリーンはガロンドの手紙を受け取ると、足早に執務室を後にした。
「さて、我々にもやる事がある。殿下が来られるまでの間、手伝ってもらおう」
ガロンドが椅子から立ち上がりながら言った。視線の鋭さは質を変えている。厳格なギルド長の目から、凄腕の狩人の目になっていた。コンラッドも応じて立ち上がり、二人して執務室を後にした。
同時刻、港湾都市ホーンモル、軍司令部地下室――
コンラッドを伴ったのは、彼の故郷に対する気持ちを知っていたから、ニバラク大臣の遺体を故郷に返すための移送の口実が出来るから。そして、コンラッドをナーウィンへの使いに出したのは、今この場で繰り広げられる光景を、見せたくなかったから――
「もう一度言う、この場の最高指揮官は僕だ。母上の命令は関係ない。正直に話せ」
ニバラク大臣の遺体を移送するにあたり、サラはニックが選んだ精鋭の中に、自身の息の掛かった者達を潜り込ませていた。しかし、半月に渡る船での移動は、獅子身中の虫を炙り出すには充分過ぎる状況であり、大臣の死について探りを入れようとするたびに妨害してくる者は、完全に把握されていた。
「大臣の死は毒を呷った事による自害、そこまでは分かった。だが、その直前に女と交わったという痕跡、そして大臣亡き後の不自然な人事と捜査の妨害、その意図はなんだ?」
ニックはサラの手の者を全て地下室に押し込めた上で、改めて大臣の遺体や前後の記録を調べた。防腐のために凍結の術式が掛けられていた事は、ニックの捜査を大いに手助けする事となった。後ろ手に両手を縛られた者達はうつむき、沈黙を貫いている。十人近い兵は誰もが相応の取り調べを受け、無傷の者は一人としていない。呆れたのか痺れを切らしたのか、ニックは懐から一枚の紙を取り出し、広げて見せた。
「これは、父上から僕に宛てられた勅書だ。この指揮下にある全ての兵の生殺与奪の権限は、僕に一任されている。言わば、僕の命令は父上の、国王陛下ハロルドⅢ世の命令だと言っていい。それに歯向かうという事は、お前達の中では、すでに母上の方が上の存在という事なのだな」
彼らの表情に変化はない。ニックの腹は決まった。
大陸暦六一五年、天秤の月満月の日
侯爵のご子息が、今まで見せた事もないような、真剣な顔をして来た。まだ十七歳だというのに、なんという力強い眼だった事か。
ナーウィン狩猟ギルド受付の手記『天秤の月十六日』より




