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第三十九話『二人の王子』

 大陸暦六一五年、天秤の月上旬―

 第四王子グレンは、城の中庭にいた。城内では文官が戦のための物資や資金のやり繰り、テーキス地方の避難民への配慮等々で忙しく駆け回り、練兵場は出撃前の調練に明け暮れる将兵で埋め尽くされ、城下町など行ける情勢ではない。母である王妃サラは大臣代行として公務にあたり、地下書庫はアリシアが険しい顔で調べ物をしており、近付ける様子ではなかった。


「退屈のようですな」


 背後から聞こえた声に、グレンは飛び上がった。振り向くと、犬亜人の男が立っている。年齢は二十五歳ほど、水軍将校の装いではあったが、明らかに他者とは異なる様相を呈していた。左目に眼帯を付け、制服の左袖を遊ばせている。幼い王子の見上げる眼差しは、明らかに警戒の色をしていた。


「お見苦しい姿で申し訳ありません」

「すみません、僕もそういった方を見慣れていなくて」


 謝罪の言葉にハッとなったグレンが応じた。術式によってある程度の負傷は癒え、切断も状況次第で癒着てしまうだけに、体の一部を欠損する者はそこまで多くなく、グレンが見慣れていないのも仕方の無い話だった。


「いえ、この姿になってもう三年です。周囲からの目も既に慣れました」

「そうですか、所で貴方は……」

「ホレイショ、蒼海将トマス・マルキヤが長男、ホレイショ・マルキヤにございます」


 ホレイショと名乗った犬亜人の男は、年齢に見合わぬ落ち着いた雰囲気で、どこか世捨て人の風情を漂わせていた。


「マルキヤ将軍の子息となれば、今頃は戦支度で忙しいと思ってました」

「父や弟は確かに忙しいでしょう。しかし、私はこの片目に片腕です。将兵としてはお役御免ではありますが、マルキヤの家名が私のお暇を許さないのです」


 この男も自分と同様、居場所がないのだ――グレンはホレイショの身の上を悟ると、改めて自身の非礼を詫びた。


「いえ、よいのです。それよりもグレン様、いささか退屈しているように見えました。どうです、水軍式の剣を学ばれますかな?」


 ホレイショは右手に二振りの棒を取り出した。柄に当たる部分に布が巻かれており、全長は陸軍の歩兵や騎兵の剣と比べると少し短い。狭い船の上でも取り回しやすくするため、水軍の兵は短めの剣を扱う。


「ニック様が出陣前、父に打診していたそうなのです。グレン様にその気があれば、剣術を教えて欲しいと」

「兄上が……」


 ホレイショから差し出された棒を見定めたグレンは、兄ニックの心遣いに痛み入った。母サラが裏で手を回していたであろう、ニバラク侯爵領への少数での派兵を命じられながらも、城に残る者の事を考えていたのだ。だが、ニックの真意はそれだけでは無かった。


「恐らく、兄上は万一の事があったとしても、僕が世継ぎになれるよう、剣の一つでも覚えておいて欲しい、六大将軍もしくは関係者の誰かと繋がりを持って欲しい、という意味合いかもしれません」

「……私めにも役割があるというのでしたら、このホレイショ、存分にお使い下さい。グレン様がお許し頂けるならば、私は貴方の臣下となりましょう」

「分かりました、いや……分かった。ホレイショ・マルキヤ、この僕に教えてくれ。貴殿の知る全ての知と武を、僕に授けてくれ」


 グレンは棒の柄を強く握り、言葉を返した。その瞬間、今度はホレイショが面喰った。グレンの顔に浮かぶ表情は、迷える幼い王子のものから、強く気高い王者のものに変わっていた。



 同日同時刻、ニバラク侯爵領の港湾都市ホーンモルは、かつてない危機に直面していた。

 ハーム軍五〇〇の兵を率いるニックが港に降り立って最初に受けた報告が、ニバラク侯爵領の中心都市ルーテの陥落であった。ニバラク侯爵領には総勢で二五〇〇の常備兵がおり、予備も全て含めれば四〇〇〇にも達する兵を動員出来るだけの力があった。だが、ベクォン公爵の挙兵とほぼ同時に攻撃を受け、足並みが揃わぬ内に落とされてしまったのだ。


「敵はキトリヤ伯爵領軍を中心に傭兵やオークにゴブリンで構成され、兵力は五〇〇〇……対してこちらはボートミールから連れて来た五〇〇に、ホーンモルの駐屯兵六〇〇を足した一一〇〇か。正面からぶつかり合ったら瞬殺だな」


 報告を受け、最初の会議が終わり、会議室に残っていたのはニックとコンラッドだけだった。


「だけど、ルーテからホーンモルまでは急いでも四日か五日は掛かるし、間には狩人の森がある。軍の足なら数倍の日数が掛かると踏んでいいだろ。その間にどのくらいの兵を集められるか……」


 ルーテ陥落の報は伝書竜によってもたらされた。中心都市を落とした以上、占領もせずに素通りというわけにはいかず、補給の段取りも含めればかなりの時間がある。コンラッドがそう付け加えている間、ニックは呆然とした表情で上の空だった。


「おい、ニック。聞いてるのか?」

「あぁ、すまない。考え事をしていた」

「お前なぁ、今の状況で他に考える事なんかないぞ?」


 そうだな、と応じたニックではあったが、彼の中にはまだ引っ掛かっている事があった。モーギナス灯台奪還の際、オークのリーダーが放った今際の言葉である『今回の騒動そのものが既に報い』『我々の、あの人間の復讐』の真意であった。


「とにかく、今のお前はハーム軍総勢一一〇〇名の命を預かる総大将なんだ。しっかりしてくれよ」

「……そうだな。ところで、敵はどのくらいの兵をこちらに向けると思う?」

「ルーテの占領や領兵の制圧に兵を割く必要があるだろうから、速攻で動かすにしても一〇〇〇から一五〇〇くらいじゃないか?」


 総勢五〇〇〇の兵を動かせば、たとえ籠城戦に持ち込んでもホーンモルは陥落する。だが、それだけの兵を動かすには莫大な食糧と物資が必要になる上、陥落させたルーテを方々のニバラク侯爵領兵に奪還されるリスクが伴う。そうなれば、補給を断たれて孤立する。だが、ニック率いるハーム軍の数を見誤って兵を小出しにすれば、各個撃破を許す事になる。


「ルーテやその近辺の占領を維持しつつ、こちらを攻撃出来る数となると、二〇〇〇だろうな」

「二〇〇〇か、野戦でぶつかったら負けるし、ホーンモルは籠城戦にはそこまで向かねぇ……となると、狩人の森か」

「ホーンモルとルーテの間に、大きな湖があったな」

「あぁ、ナーウィン湖だな。あの湖畔にはそこそこの大きさの街もある。狩人の森の狩猟ギルドに話を付ければ、協力してくれるかもしれないな」


 ホーンモルからナーウィンまでは、早馬であれば一日半で辿り着ける。ニックはその場で一筆したためると、印を押してコンラッドに手渡した。この筆の早さはニックの特技である。


「水と食糧は三日分持って行け。状況は逼迫している。速やかに返答を寄越すよう、話を付けてくれ」

「今すぐか。まだ日暮れまでは時間があるからな……任せな、三日以内の返事を期待してくれ」

「頼むぞ」


 コンラッドは会議室を出ると、慌しく準備を整えて出立した。南の空を過ぎた太陽が西に傾き始めながらも、勝手知ったる狩人の森とばかりに、一番の早馬を借りて走り出した。狩猟ギルドの助力を得られれば、熟練の狩人を一〇〇名ほど借りられる、それで勝機があるとニックは確信していた。

大陸暦六一五年、乙女の月上旬~天秤の月初旬

キトリヤ伯爵領軍五〇〇〇、ニバラク侯爵領中心都市ルーテを攻撃。ニバラク軍は一〇〇〇の兵で守るが陥落、奪還を目的に方々から地方兵が押し寄せるも、各個撃破を許してしまう。最終的にニバラク侯爵領軍は一二〇〇の兵を失う壊滅的打撃を被った。

   ハーム王国軍記『ハロルド三世治世の時代』より

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