第三十八話『神の奇跡を宿した杖』
大陸暦六一五年、天秤の月上旬-
ビルカ山岳の片隅にある寂れた鉱山に、ラリーはモッツを伴って訪れていた。この小さな鉱山は魔晶石や鉄鉱石の類を粗方掘り終えた事と、『流れる銀』の流出量が増えた事により、使われなくなり寂れたという情報を得ている。
「どうした鉄腕、この鉱山で採れるのは『流れる銀』くらいだそうだ」
「そのようで。まぁ、それこそ私の求める物なのですがね」
モッツは首を傾げた。『流れる銀』を使う目的など多くはなく、ジリボンでの備蓄も充分なので、現状はこれ以上採掘する必要は無いはずだった。どういう事だ、モッツが訪ねるより前に、ラリーの手には見慣れない宝珠が握られていた。
「これが何か、お分かりでしょうか?」
「いや、分からん。杖の先に取り付ける宝珠にしては、少し小さいようにも見える」
「えぇ、これは元々、一振りの杖に三個で取り付けられていた物なのです。この一個だけを借り受けて持ち込んだのですが、それでもかなりの魔力です」
宝珠とは、言うなれば消耗の無い、または極端に少ない魔晶石である。
元より、高い魔力を有する琥珀色の魔晶石という希少価値の高いものは存在するが、宝珠はそれとは比べ物にならない価値を有していた。古い文献によっては、物によっては国ひとつと同じ価値があるともされている。
「この宝珠は、そこらの杖にあるようなものではありません。『神の奇跡を宿した杖』のものです」
「……何?」
ラリーの言葉に、モッツは耳を疑った。『神の奇跡を宿した杖』といえば、モノゲア帝国の至宝であり、この杖の力でもって小王国は大陸の三分の一を征する大帝国になったとされている。
「それは本物か?仮に本物なら、それほどの杖の宝珠が、なぜ貴殿の手に?」
「入手の詳細は申せませんが……これは確かに本物です。その力をお見せしましょうか」
そう言うと、ラリーは横たわる女兵士の死体を前に宝珠を掲げ、呪文を詠唱し始めた。悪寒を催す冷気を孕んだ空気の流れが渦を巻き、宝珠は鋭い光を放ちながら火花を散らす。これほどの詠唱起動を行えば、並の魔晶石ならばこの段階で砕け散り、塵芥も残らない。
「冥界の門よ、今こそ開きて亡き者の御霊を呼び戻せ!反魂の術式!」
渦巻く冷気が青白く輝き、鉱山の奥で湧き出ているであろう『流れる銀』を吸い寄せる。鈍い銀色の輝きが死体を包み込むと、肉が削げ骨の軋む音が周囲に鳴り響いた。銀色の光が止み、冷気の渦が嘘のように消え失せると、そこには全裸の女が立っていた。先ほどの死体の女兵士ではない。浅黒かった肌は柔らかな白に、赤紫の瞳は蒼く、焦げ茶色の短い髪は波打つ小麦色の長髪になっている。
「そんな……馬鹿な……」
「将軍もご存知の方です」
モッツは女に駆け寄り、頭の先から足の先までをまじまじと見た。間違いなく、第二の王妃にしてニックとミリアムの実の母、マルシアだった。しかし、その目は虚ろで光はなく、何を映しているかさえ読み取れない。
「鉄腕、どういう事だ」
「この鉱山に残っている『流れる銀』の純粋な魔力を集めて魂を冥界より呼び戻し、死体を媒介に肉体を再構築したのです。実質、蘇らせたのですよ。同じ人間であれば、組成は対して変わりませんからな」
「だが、この目は……まるで生気を感じないぞ」
「死んでから十一年です。しばらくはこちら側の空気に慣れる必要がありましょう。数日間、安静にしていれば大丈夫です」
ラリーの言葉に、モッツはマルシアの姿を改めて眺めた。やはり、光のない目に生気を感じない素振りであったが、モッツにとってはそれでも良かった。
「マルシア様、またこうしてお会い出来るとは……」
モッツはマルシアにマントを羽織らせると、馬に乗せて戻っていった。その一連の動きの中で、モッツの意識にラリーの存在はもはや入っていなかった。
「ふむ、やはり宝珠ひとつでは、副作用が出るか……」
そう言ってその場を後にしたラリーの姿が見えなくなった頃、魔力の残滓が小さく渦を巻いていた。
数日後、ジョクトーからの徴収とボートミールからの補給で活気を取り戻したハーム軍は、倍する兵力を総動員してベクォン軍にぶつかり、完膚なきまでに蹴散らした。ラリーと共に潜入し、破壊工作の後も砦に残っていた部隊は一人残らず捕まり、エリス主導の元であらゆる情報を引き出された。その手段や過程は、言わぬが花というものである。
「妙だな……」
「どうされました?キャシック将軍」
勝利を喜ぶ兵士の中、キャシックの表情はどこか晴れなかった。ミリアムが馬を寄せて尋ねる。
「敵の動きです。今まではモッツの指揮の下、数で勝る我々を伏兵による牽制や潜入からの破壊工作といった奇策で翻弄していました。しかし、今回の敵にはそう言った動きが見られず、ろくな統率が取れていないように感じられたのです」
「言われてみれば、そうですわ。そもそも、あれだけ派手に砦を壊し、飲み水を汚し、物資を焼いたにも関わらず、私達が回復するまでの間、何もしてきませんでしたわね」
「はい。そして今回の戦闘で、奴らはほとんどの兵を失いました。今、生き残りを捕らえて情報を聞き出しているところでしょう」
馬を並べながら、キャシックとミリアムは不自然な状況に疑問を抱いていた。
その日の夜、ガイラーから報告が上がった。
「敵将モッツは数日前から様子がおかしかったらしく、まともに指揮が出来る状態じゃなかったらしい。今回の戦闘も、大した作戦も立てずに全軍突っ込ませる程度の命令しか出してなかったようだ」
「……して、モッツ本人は行方不明、か」
不自然を通り越して不気味だった。モッツは元はキャシックの部下で、兵としても指揮官としても優秀な男だった。いかなる状況下でも冷静さを保つ芯の強さもあるはずのモッツが、前線の指揮を放棄して失踪するなどあり得ない-キャシックは怪訝な表情を崩せなかった。
そんな時、エリスがノックと共に入ってきた。彼女の半ば一方的な入り方も、今では慣れたもので、誰も気に留めない。
「将軍、新しい情報だよ」
「何があった?」
「あぁ、恐らく敵将の事なんだろうけど……立派な馬に乗った黒い犬亜人が、後ろに綺麗な人間の女を乗せて東へ駆けていくのを、何人かの兵士が見たようね。その女、この前の火事のすぐ後に、モッツが鉱山から戻った時に連れていたんだと」
不可解の度が過ぎてゆく。言動がおかしくなるモッツ、鉱山から連れてきた人間の女、何者かの意図を感じずにはいられなかったが、なにぶん情報も足りていなかった。
「状況が不明瞭過ぎる上、砦の修復も急がねばならん。アントニオは資材と人員の確保、ガイラーとエリスは情報収集、ほか大隊長は各々の兵をまとめ、次の命令に備えよ」
それぞれに指示を飛ばし、一人残された部屋の中、キャシックは暖炉の火を見つめながら、この戦いの裏で蠢いている何者かの気配を感じずにはいられなかった。火に包まれて黒く炭化し、火花を散らして爆ぜる音と共に崩れる薪を眺めては、この国をこの薪のようにしてはならない、と内心に呟いていた。
「これはどういう事だ……何故、僕が……いや、今はそれどころじゃない、行かなければ……オリビアの元へ」
渦巻く残滓、ラリーの言う『副作用』は、予期せぬ人物をも呼び戻していた。
大陸暦六一五年、天秤の月上旬
モッツ将軍が妙な女を連れて来ていたんだ。一言も喋らないし、食事も水もいらないって返されたし、それに無表情で薄気味悪かったのは覚えてる。でも、どこかで見た覚えがあるんだよな…
ベクォン公爵領軍捕虜の言葉『天秤の月十二日』より




