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第三十七話『迷える将軍』

 大陸暦六一五年、天秤の月上旬-

 駆け付けた守備兵によって担ぎ込まれたミリアムが、ベッドに横たえられる。軍医や救護班が大慌てで走り回り、動ける兵士が片っ端から駆り出されて警備の網を張った。


「怪しい者を見つけたら、とにかく捕らえろ!」

「残りの井戸や水瓶を調べるんだ!」


 にわかに慌ただしくなった砦の至る所で、不審者探しが行われている。井戸や水瓶に加え、食糧庫にも捜査の手を回した。万一に備え、兵士は数人で一組となって行動し、単独行動は禁じられた。



「毒とは少々違いますな……」

「違う?」

「えぇ、腐った肉のような物を浸され、井戸ごと駄目にされたと思われます」


 軍医の報告を受け、キャシックは焦りと苛立ちに襲われた。勝てる戦を逃し掛けている上、自分の意思で出陣したとはいえ、ミリアムにも危害を加えられてしまった。衰えたか-そんな事を幾度となく思いながらも、努めて冷静に振る舞う事を忘れない。上に立つ者の動揺は、恐ろしいほどの早さで下に伝播する。最悪、軍の崩壊に繋がる事態だった。


「申し上げます!」


 そんな折、伝令が駆け付けた。一人や二人ではなく、砦の方々から報告にやって来る。


「三ヶ所の井戸のうち、最も西側の一ヶ所を除き、腐肉を投げ込まれています!」

「水瓶に被害はありません!」

「食糧庫や兵舎での不審物は確認されませんでした!」


 次から次へと届く報告に、キャシックの頭は煮え立つ一歩手前であった。現状の被害は井戸二つ、貯蔵されている水瓶が無事だったものの、水源の三分の二を失っていた。だが、毒ではなく腐肉、完全に使い物にならないわけではなかった。


「……今なら、まだ浄化の術式で対処出来るはずだ、魔法兵には倉庫から魔晶石を持ってこさせよ。他の者は、引き続き不審者の捜索に当たれ」

「はっ!」


 魔法兵の一団が、魔晶石の倉庫に駆け寄る。開け放たれた扉の奥に居座る人物に、一同は困惑した。


「何者だ!?」

「怪しい奴は捕らえろとの命令だ!」


 杖の魔晶石を起動させる時間などないと判断した魔法兵が、不審者を取り押さえようとした。杖と言っても、魔力伝達性の高い香木を芯材に、金属板で補強されている。投擲用の槍ほどの長さもあるため、両手で使えば立派な武器であった。一番に振り掛かった魔法兵の杖が不審者を捉えるより、その者の刃に腹を裂かれる方が早かった。


「何者……か。鉄腕とでも名乗っておこう」


 戸惑う魔法兵達を前に、鉄腕ことラリーは左手を貯蔵された魔晶石の山に向ける。


「目覚め応えよ、共鳴の術式!」

「共鳴の術式だと!?」


 魔法兵の一人が声を上げた。

 共鳴の術式とは、起動されていない魔晶石などの魔力媒体を強制的に、術者のコントロール下で起動させる術式であり、古くは主のいないゴーレムを鎮める時などに使われていた。だが、呪文詠唱などを省いて強引に起動させるという強力な術式ゆえに高等で難易度も高く、ハーム軍の魔術師でこれを扱えるのはレッターをはじめ片手で数えるほどしかいない。


「その剣術に魔術の腕前……貴様、何者だ!?」

「冥土の土産に覚えておけ、わしの名はラリー、ラリー・ゲツタータ。モノゲア帝国軍テンプラー騎士団団長リヒャルト・ゲツタータが弟よ!」

「何っ、モノゲア帝……」


 言い切らないうちに、魔法兵達の体は高熱と暴風の渦に巻き込まれて炭と化し、灰となって散っていった。貯蔵されていた魔晶石は、二〇〇人の魔法兵が十日は戦えるほどの量だった。それを全て起動させ、過剰なまでの魔力で爆熱の術式を使用したのだ。砦どころかホツキネ全体が震動し、倉庫を中心に凄まじい爆発が起きた事により砦の一部は崩落、近くに保管されていた矢束や槍、油壺にも次々と引火した。


「何事だ!」

「分かりません!激しい轟音と煙で、何が何だか……!」


 爆発によって巻き起こった煙と砂ぼこりは爆風に乗って、砦の至る所に吹き込んだ。視界は無いに等しく、呼吸も苦しくなる。さらに火災の発生により、砦は混乱の坩堝と化した。


「くそっ、何だこの煙は……!」


 煙に巻かれていた兵士のうち、何人かが斬り伏せられ、その傍らを数十名の人間が駆け抜けている。捕らえろ、というキャシックの声も、混乱の中では大した意味を持たなかった。閉ざされた門扉を、ラリーが左腕に残された魔晶石で爆熱の術式を使用して破壊、ベクォン軍の工作部隊は砦から逃げ去っていった。

 砦の崩落と火災、視界不良と混乱がもたらす同士討ちによる被害も含め、ハーム軍はこの夜三〇〇の兵を失い、ホツキネの砦はその防衛力を大きく削がれていた。



「なんという事だ……」


 夜が白む頃、消し止められた火が残した煙の帯を昇らせる砦は、燦々たる有り様であった。


「将軍、昨夜の火災で矢や槍、楯といった武具や兵糧の多くが焼失し、消火のために残っていた水の大半を使ってしまいました」


 各所から報告が寄せられ、被害の状況が明らかになる。人的被害よりも物質の焼失が大きく、生き残った総勢一八〇〇余の兵で戦線を維持する事は、困難を極める状態だった。加えて、砦の機能は大半が失われている。


「王都からの補給はいつになる?」

「二日前に来たばかりなので、早くとも三日は先でしょう」

「三日か……」


 大隊長の報告を受け、キャシックの頭に砦を放棄して後退、という選択肢が浮かび上がったが、すぐに打ち消した。ホツキネは死守しなければならず、ここを突破されれば次は交通の要衝であるジョクトーになるが、そこは守りに向かない。山間の平地で川もあり、攻めやすい上に防壁も高くないのだ。


「現状、残された物資と食糧なら、切り詰めれば二日ちょっとは持つ。その間に、ジョクトーから徴収すれば何とか立て直せるんじゃないか?」


 ガイラーが声を上げた。しかし、その案にキャシックは難色を示した。


「ジョクトーは既に、ホツキネからの避難民を多く受け入れている。その状況下で徴収とは……」

「だが、敵の突破を許せばそれどころじゃ無くなる。兄上、気をしっかり持て」


 兄上、その言葉に多くの者が目を丸くした。キャシックも突然の呼び掛けに、目を白黒させている。


「隊長にしか話していないが、そんな話は後でいい。とにかく、今の俺達に大事なのは、敵を叩く事だ。それが結果的に、後ろの民を守る事になる」

「……そうだな、しかし、水はどうする。水瓶は大半が空な上、井戸もほとんどが腐れ水だ」

「その心配には及びませんわ!」


 会議室の扉が勢いよく開け放たれる。エリスに肩を借りたミリアムが立っている。


「ミリアム様!」

「前にコリンズ様が雷鳴の術式を使うために、術式強化の陣を用いましたわ。今度は私がそれを使い、浄化の術式で井戸の腐れ水を浄化しますわ。残っている魔晶石を集めて下さい!」

「あたしは不審者を見つけて締め上げる。任せな、汚れ仕事には慣れてるよ」


 ミリアムとエリスの言葉に、キャシックは何も言い返せなかった。そして、アントニオが続く。


「ジョクトーからの徴収は俺達、守備隊でやろう。顔が利くからな。将軍、あんたはなんとかして、二日間粘ってくれ」


 アントニオの岩のような手のひらが、キャシックの背中を叩く。その力強さに、自分が溜め込んできた迷いが一気に吐き出されたような気分になった。改めて息を吸い込むと、思考のモヤが晴れ、視界が澄み渡る。そして、各々の提案を元に、命令を飛ばした。


「……分かった。アントニオは守備兵二〇〇を率い、ジョクトーから物資と食糧を徴収せよ。ミリアム様は術式の準備を、魔晶石はまだ三割ほど残っているはずです。エリスは不審者の捜索を頼む。ガイラーは大隊長達と協力し、残る兵の規律保持に務めよ。なんとしても、この地を守り、敵を討つ!」


 キャシックの瞳に、もう曇りは無かった。

ホツキネ砦

ビルカ山岳鉱山都市ホツキネの東側に位置する砦。砦と言ってもその様相は要塞に近い。

野盗や猛獣の襲撃から周辺の都市を守るために設置された拠点を取りまとめる立場にある。

常時数百人の武装した兵士を配備し、必要に応じて各拠点に派遣しているが、有事の際には最大で三〇〇〇名ほどの人員を収容可能。

大陸暦六一五年に発生したベクォン家の乱ではギリアム・キャシック将軍率いる二〇〇〇の兵が防衛に当たったが、ベクォン軍工作部隊による襲撃を受け損壊した。

   大陸暦一四二六年刊行の刊行雑誌『かつてのハーム王国を歩く』より

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