第三十六話『暗闘』
大陸暦六一五年、天秤の月初旬-
キャシックとモッツの一騎討ちの翌日から、両軍は野戦でぶつかり合った。
弓弦がけたたましく鳴り響き、群れた飛蝗が餌を求めるがごとく矢が飛び交った。数の上ではハーム軍が有利だったが、盾持ちの歩兵を多く並べたベクォン軍は、食らい付く矢の雨を凌いでいた。
「頃合いだな。騎兵隊、突撃!」
角笛の音と喚声、そして馬蹄の響きと地鳴りのような振動。銀騎兵が突撃を始めたのだ。
野戦での機動力を用いた戦いは騎兵の十八番であったが、決して広くない道幅のビルカ山道では、持ち前の脚回りを生かしきれなかった。幸い、ハーム軍からすれば緩やかな下り坂であり、突撃の破壊力は高さと速さの利を得て格段に増す。槍兵で守りを固めても、迎撃出来るのは一番槍の騎兵程度で、二番手からは槍を払われて突き崩された。
「敵の勢いが増してきたな。我が軍の損害は?」
「先ほどの報告では、槍兵隊が複数個小隊で壊滅、すでに五〇以上の死傷者が出ています」
「よし、指定された場所まで後退させよ」
「はっ」
騎兵突撃の波状攻撃に押されている体で、ベクォン軍が後退する。半ば敵に背中を見せるように、勝ちに乗じさせるように後退していた。後方でその様子を見ていたキャシックは、敵の数が少ない事に気が付いた。ハーム軍も総勢二〇〇〇のうち、銀騎兵を中心とした六〇〇の兵を先発として繰り出した。自身は後続で六〇〇の兵を引き連れている。しかし、対するベクォン軍の兵は多くて七〇〇程しか見受けられない。
「待て、敵の数がおかしい。一度止め、兵を退かせよ」
キャシックは伝令に前進の停止を指示した。先発隊の前進が止まり、後退に入る。後退は登り坂になるため、前進の時ほどの勢いはないが、六大将軍の直属でよく訓練された銀騎兵は、よく統率された動きで速やかに引き上げた。
「将軍、いかがなされました。後続も合わせて攻勢に加われば、敵を押し潰せた所でしたぞ」
先発隊を率いていた大隊長が駆け寄り、不満げに言った。
「敵の総勢は一〇〇〇のはずだ。この山道で、六〇〇の先発隊であれだけ押し込めるとはどういう事だ」
「我が軍の勢いに怖じ気付いたのでは?」
「……いや、違う。この先は鉱山や集落に繋がる横道が多い。伏兵でも置かれていたら大事だ」
「伏兵のいる所に、誘き出されていたという事ですか?」
「その可能性はあるだろう。兵の数も地形的にもこちらが有利だ、勝ちを焦る事はない。一度、引き上げよう」
キャシックの指示で、ハーム軍が引き上げる。先発隊の後退開始から引き上げる終わるまで、ベクォン軍からの追撃はなかった。
「ふむ、退くか。いささか露骨に過ぎたかな」
「我が軍は、歩兵を中心に八〇の兵を失いました。いかがしましょう」
「慌てるな。討ち取った敵兵と馬の死体を回収させよ」
「はっ」
モッツは閉ざされるホツキネの門を遠巻きに眺め、動ける者に『戦利品』の回収を命じた。次に大規模なぶつかり合いが発生する可能性があるならば、それは明日か明後日だろう。恐らく、数の優位を活かす腹積もりだろう-モッツはそう考えていた。少し経って、鉄腕のラリーが足音一つ立てずに現れる。
「鉄腕よ、件の作戦にはどれほど必要だ?」
「選りすぐりの精鋭を二十名ほど、それとハーム軍歩兵の装備品が人数分といった所ですかな」
「分かった。兵の選抜は任せる。他に必要なものがあったら報告せよ」
「はっ」
モッツの指示を受け、ラリーは兵舎へと向かって行った。しばらくして、戦利品を乗せた輜重が戻って来る。まだ使える矢や槍、楯は修理に回し、モッツは討ち取った兵士や馬の状態をチェックし始めた。
それから数日間、似たような戦いが続いた。ハーム軍は兵力に物を言わせて、すり潰すような攻撃を仕掛けた。ベクォン軍もよく耐えたが、伏兵のポイントが近くなるとさっさと引き上げられてしまい、目立った戦果を上げる事が出来なかった。ハーム軍は一二〇、ベクォン軍は三〇〇の兵を失っており、次に一大構成を仕掛ければ、ハーム軍が押し勝てる状況であった。
「敵が引き上げを開始しました」
「よし鉄腕、行け」
「はっ」
モッツの命を受け、ラリー率いる精鋭部隊が引き上げるハーム軍の後方について行く。その出で立ちはハーム軍の兵士そのものであり、今までに集めた『戦利品』によるものだった。深追いして危うく伏兵に襲われそうになったという風体で、ハーム軍に紛れ込む。ラリーが選抜した者は、討ち取った兵士と顔のよく似た者達だった。
ホツキネの防壁内側に辿り着いた所で、隙をついて隊列から離れる。数名の兵士には怪しまれたが、連日の戦闘で死んだ者が、化けて紛れ込んでいたなどという冗談で軽く流され、その時は大事にはならなかった。
「敵の戦力はだいぶ削ぎ落とせた。次の攻撃で一気に仕止める。出撃は明後日だ」
「はっ!」
その日の夜、キャシックからの命を受け、大隊長達が会議室を後にする。残ったのは、アントニオとガイラーだった。
「敵の先鋒を崩したら、この後はどういう経路にするんで?」
「まずは、ギネッシーオの奪還だ。そこで態勢を立て直し、ジリボンから来る敵の迎撃に当たる。後はテーキス地方とニバラク地方から進軍して来た味方と合流し、ジリボンを包囲する」
アントニオの質問に、キャシックは地図を指差して答えた。
「どうするね、隊長。俺達も手柄を立てに行くかい?」
「いや、守備隊はここの守りを固めて欲しい。ギネッシーオは街道の商業都市で、守りには向かない。基本的に、このホツキネを拠点として戦う事になる」
「そういう事だ、ガイラー。俺達はここを守るのが仕事だ。そうすりゃ、ジョクトーを経由してボートミールまでの補給路が繋がる。腹が減ったら戦にならんからな」
アントニオが声を上げて笑う。状況を楽観視しているわけではなく、必要以上に重く捉える必要もない、とばかりの声だった。キャシックもガイラーも呆気に取られつつも笑い声を上げ、そこには戦の合間の和やかな空気が流れていた。
同時刻、負傷者の治療を終えたミリアムが、エリスと共に夜風にでも当たろうと、砦の中庭に足を運んでいた。そこは守備兵の自主訓練や洗濯物を干すための広場として使われており、片隅には井戸も掘られていた。
「姫様、怪我人の手当てで疲れてないかい?」
「私は大丈夫ですわ。エリス様も前線に立っての戦働きで、お疲れでは?」
「あたしは慣れたものさ。これで十年近く食ってきたからね」
そう言って片隅の井戸から水を汲む。桶から手に掬って口元に運んだその時、エリスは異変に気付いた。
「待って姫様、飲んじゃ駄目だ」
エリスの制止が届くよりも早く、ミリアムは水を口に含んでおり、そのうちの少なくない量を飲み下していた。何か、と問い掛けるような視線を向けたのも束の間、彼女の表情が歪む。粘り付くような感触に、気持ち悪いほどの甘ったるさ、直後に押し寄せる酸味と苦味-
「くそっ、やられた!誰か、誰かいないか!」
腹の内を吐き出し、膝からくずおれるミリアム。怒気を含んだ、あらんばかりに張り上げられたエリスの声が、夜の闇に沈む砦に響き渡った。
大陸暦六一五年、天秤の月上旬
今日の戦闘から戻ったとき、深追いし過ぎたって奴が何人か遅れて戻って来た。その後、あいつこの前死んでなかったか、って声が聞こえたんだが、まさかな…
ハーム王国軍兵士のぼやき『天秤の月九日』より




