第三十五話『銀と黒』
大陸暦六一五年、天秤の月初旬―
早朝、堅く閉ざされたホツキネの門を前に、弓を携えた男が馬に乗って近付いた。見張りの兵が盾を構えて警戒していると、男は矢尻の丸い矢に何かを結び付けると弓に番え、防壁を飛び越すような高い弾道で矢を放った。
「なんだ、矢文か?」
「これはどういう事だ……とにかく、キャシック将軍に報告しよう」
矢文を拾い上げた見張りの兵は内容を一瞥すると、不可解な内容に困惑の表情を浮かべながら、駆け足で降りて行った。
内容は、キャシック将軍に対する一騎討ちの申し出であった。ハーム王国内にて、最強と名高い銀騎兵を率いるキャシック将軍に一騎討ちを挑む者など、よほど腕に自信があるか、ただの身の程知らずか狂人か、とまで言われるほどである。だが、重要なのは送り主の名であった。
ベクォン公爵領軍黒騎将、ブランドン・モッツ―
「モッツ、生きていたのか……しかし、何故ベクォン軍に?それにこの肩書きは……」
一月半前の戦闘で、大隊長モッツ率いる銀騎兵は、オリビアのゴーレムが放った術式によって吹き飛ばされ、少なくない死傷者を出していた。モッツも行方不明となっており、キャシックは彼が戦死したものと思っていた。
「将軍を誘き出す罠とも考えられますな」
「誘いに乗って出てきたら、という可能性もあるだろうな。しかし、仮にモッツが生きてて、この申し出が本物であれば、乗らないわけにもいかん」
「では、不測の事態に備えて動きましょう」
アントニオは罠の可能性を示唆しつつも、キャシックの決定に異を唱えるわけにもいかず、ガイラーに守備隊の配置を指示した。
太陽が南の空に昇り、指定された刻限が近付く中、ホツキネの防壁の門が開く。キャシック将軍を先頭に、銀騎兵と歩兵合わせて一二〇〇の兵が、厳かな気配を放ちながら現れた。防壁の上では一〇〇〇名あまりの兵と共にアントニオ、ガイラー、エリス、そしてミリアムが見守っており、乱戦となった時に備えて弓兵を多く出していた。
対するベクォン軍からも、モッツを先頭に傭兵隊や正規軍の兵一〇〇〇名が繰り出されており、決して広いとは言えない山道の砦を前に、総勢三〇〇〇余名の殺気がぶつかり合った。両者は騎士の馬上試合ほどの間合いを開け、互いに兜のバイザーを上げた。少し離れてはいるが、やはり見覚えのある顔、そして匂いでモッツ本人だと分かった。
「生きていたかモッツ!しかし、これはどういう事だ!何故、反逆者に味方している!?」
「国王の罪を償わせるためだ!」
互いに声を張り上げる。嵐の前の静けさとも言うべき、両軍将兵の沈黙する中、銀と黒の将軍の声はよく響いていた。
「陛下はハーム王国の発展と安寧のため、力を尽くしておられる!どこに罪があるというのだ!」
「将軍、貴殿は先の二人の妃が亡くなられた真相を知らぬというのか!」
国王の罪と二人の妃の死の真相、その言葉を聞いた途端、キャシックは防壁の上で見守るミリアムに目をやった。遠いため詳細は分からずとも、不安な表情を浮かべている事は想像に難くない。
「言うな!ここにはミリアム様もお出でなのだぞ!」
「そうか、ならばやはり貴殿は知っていたという事だなッ!」
しまった、キャシックが不意を突かれたと思った瞬間、モッツはバイザーを下ろして槍を構えた。慌てて同様に戦闘態勢を構え、互いに馬を駆けさせる。両者の距離が縮まり、突き出すための槍を構える。兜のバイザー越しの視界は狭いが、今は互いの姿が映っていれば良い。全身を駆ける音は馬蹄の響きと己の心音、極限まで研ぎ澄まされた集中は、槍の穂先の鋭さとなって、すれ違い様に突き出された。
「すげぇ!」「どっちも落ちてない!」
キャシックもモッツも、狙いは正確だった。突きの速さもほぼ互角、そして最低限の動きで体を反らし、槍の穂先を鎧に滑らせた。ほとんど瞬き一つの間と言ってよかった。両軍の兵から歓声が上がる。特に、戦力的に不利とされたベクォン軍の声が大きかった。
その後の攻防も、決して一方的になる事はなかった。突き、打ち、払いのいずれもが的確な防御で受けられ、流され、避けられた。まるで実戦を想定した訓練でもしているかのようであったが、繰り出される穂先に宿った殺気は、実戦以外の何物でもなかった。
(……おかしい)
打ち合っている中、キャシックはある事に気が付いた。モッツが本気で自分の首を取りに来ている事だ。数の不利を補うために、一騎討ちを持ち掛けて誘き出し、罠に掛けようとしている事を警戒していたが、その気配が全くない。むしろ、全力でぶつかる事で互角の勝負を見せる事によって、軍全体を鼓舞しているようにも見えた。事実、歓声は依然としてベクォン軍の方が大きい。
両者とも決定打を打ち込む事なく、先に馬が体力の限界を迎えてしまった。
「……しまった、思ったよりも時間が掛かってしまったか」
「こちらも、同様だな。将軍、この勝負は引き分けとしよう。明日からは全軍で掛かる!」
モッツは少しの間、肩で息をしては呼吸を整えると、馬首を返して戻っていった。ベクォン軍からの歓声は一際大きくなる。対して、ハーム軍からの歓声は今一つ色味に欠けていた。陽は西に向かって傾き始め、夕陽に照らされたキャシックの表情は暗く、モッツの背中は眩しかった。
「説明、願えますか」
陽が沈んだ宵の口、甲冑を脱ぎ、馬を休ませ、汗を流したキャシックの前に、ミリアムが立ち塞がった。モッツとのやり取りは聞かれていた。
「父上様の罪、母上様の死の真相、どういう事ですの?」
「……ニック様は、ご自分で見つけられました。このビルカに、答えの半分があります。長くなりますし、辛い事実でもあります。それでも、よろしいですか?」
ミリアムの目付きは険しく、その意志は固かった。分かりました、というキャシックの返事に合わせて、ガイラーが数冊の書を机に置いた。ニックが鉱山の奥で見付けてきた、国王の印が押された書類だった。
「これは……本当の事ですの?」
「……はい。魔晶石の採掘の副産物である『流れる銀』ですが、陛下はこれを霊薬の材料にしていたのです。宮廷魔術師だった先代のベクォン公はこの事を知っており、諌めた事もある……と、レッターから聞いた事があります」
書類をめくり、幾度となく驚きと失意に似た表情を繰り返し、再び向き直った頃には、ミリアムの目には並々ならぬ激情が見て取れた。
「では、父上様の罪とは、ベクォン家の人間を手に掛けた事なのですか?」
「そういう事になります。当時は私も若輩でしたので、この件に関しては深くは存じ上げません。ですが、マルシア様の件ならば、私も存じております。無論……モッツも」
今度はキャシックの目付きが鋭くなった。覚悟を促す視線がミリアムを射抜く。ミリアムも生唾と共に、込み上げる感情を呑み込むように頷いた。
「陛下は若い頃より好色だったそうです。国王となってからも幾多の女に手を出すわけにはいきません。故に……女児を産んだ妃に、世継ぎを産まなかったと罪を着せたのです。マルシア様は、今のサラ様と関係を結ぶために……」
ミランダ妃の死も、それと霊薬の実験を兼ねていたのだろう-
静寂と呼ぶにはどす黒く、沈黙と呼ぶにも騒がしい、まさに無音という言葉が相応しいほど重い空気が、ホツキネの砦の一室に横たわっていた。
大陸暦六一五年、天秤の月初旬
王者の月と比べれば、街の空気は随分と落ち着いている。彼らは特に住民に何か悪さをしているわけでもない。しかし、早く収まって欲しいものだ。
ギネッシーオ町長の手記『天秤の月三日』より




