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第三十四話『公爵の焦り』

 大陸暦六一五年、天秤の月新月―

 ロスとコリンズに会ってから数日、オリビアはぼんやりとした時間を過ごしていた。二人がジリボンに潜入している事は知っていたし、自分が『流れる銀』のゴーレムの核である事は知られている。戦時となったにも関わらず、どこか腑抜けた表情でソファに身を沈めているのは、やはりニックの命令で暗殺が試みられた事へのショックだろう。分かってはいるが、なかなか割り切れるものではなかった。


「どうしたオリビア。兵を挙げたばかりだというのに、そんなに気が抜けていては困るぞ」


 居間に入ってきたのは当主ルイスであった。今までのベクォン公爵領主という立場に加え、反乱軍の最高司令官となった事による疲れが、どことなく滲み出ていた。だが、態度や声色は以前と変わらず、国王への復讐心という原動力に揺らぎは感じられなかった。


「いえ、大丈夫です。それよりもお父様、気になる事があります」

「何だ?」

「……何故、ビルカ山岳の攻略に、私を出さなかったのですか?」

「ホツキネの防衛に、ミリアム王女が就いている事が気になるか」


 図星を突かれ、オリビアは黙り込んだ。窓の外に広がる曇天が、その心を映し出していた。


「ハンスを喪った地だ。お前の心も痛むだろう……というのもあるが、お前にはジリボンを押さえる要となって欲しいのだ」

「要ですか?」

「あぁ。このジリボンはハーム王国の中央に位置し、陸路も海路も交通網に富んだ地だ。西はビルカ、北はニバラク、北東にキトリヤ、東にテーキス、南にジュニーク湾と、攻め易く守り難い。西と北は陸戦でなんとかなるが、南から船団を送られたら対処に困る。その時、お前に守りの要となってもらうためだ」


 ルイスの説明は正しかった。傭兵で陸戦兵力、キトリヤ伯爵に援護を要請して飛行兵力はカバー出来るが、砲艦や軍船の乗組員の育成は一朝一夕というわけにはいかない。艦船は前々から秘密裏に建造されているが、現状、砲艦とも互角に戦えるオリビアの『流れる銀』のゴーレムは防衛戦力として欠かせなかった。


「ゆえに、水軍の艦船がテーキス地方の奪還に赴き、こちら側の優位が確立出来るか、奴らの船団を相手に出来るだけの戦力が整い次第、お前を王都に向けて出撃させようと思う」

「船団の準備が終わらぬ内に兵を挙げたのは何故ですか?」


 オリビアの質問は的を射ていた。水上戦力は育てるのに時間が掛かるとは言え、挙兵を見切り発車する必要はない。もう一年待っても問題なかったのでは、そう感じていたのだ。ルイスの眼光が鋭くなる。


「……モノゲアが、ハームを狙っている」

「ならば、なおさら反乱など……」

「違う、早く手を打たねばならんのだ」


 ルイスの眼光は鋭さを増すばかりで、刺すような視線とはまさにこの事だった。


「最初の王妃はベクォン家、二人目の王妃はミア家の生まれだ。だが、今のサラ王妃はどこの生まれか知っているか?」

「いえ、しかし先日にお会いした時に見た限り、ハーム系の人種ではないように見えました」

「そうだ。キトリヤ領の辺境伯から嫁いだとされているが、義兄によるとそのような者はいないとの事だ。気になって探りを入れたのだが……モノゲア帝国本国の中堅貴族、ダゲアマ家の生まれだそうだ」


 オリビアの目つきも険しくなった。大国同士が友好的な関係維持や不可侵の締結のため、互いの国の王族や貴族を婚姻関係にする事は珍しくない。ハーム王国の社交界に、カッサーナ皇国出身の者は少なからずいる。しかし、実質敵対している国の王家へ、しかも出自を偽って入り込むという事は、穏やかなものではない。


「誰かが、ダゲアマ家の人間がハーム国内に偽りの籍を作り住まわせた後、国王に嫁がせたという事ですか」

「恐らくは。そして、サラ王妃は王位継承者としての順位も高い男児、グレン王子を産んだ。もし、王妃がモノゲア帝国に利する動きをするのであれば、ニック王子の戦死を望むであろう。そして、遅かれ早かれ国王も手に掛けよう。そうなる前に、私が国王を討たなくてはならんのだよ。無論、モノゲアの女狐も始末せねばなるまい」


 ルイスの国に対する考えが、今ひとつ掴めないオリビアだったが、彼女は彼女で本題を切り出す事にした。先日、街角のカフェでロスに言われた、鉄腕の件である。


「そうですか……ところで、お父様。雇い入れた傭兵の中に、モノゲア帝国本国の人間が紛れているという話を耳にしました」

「例の鉄腕か。奴は素性の知れないところがある。ビルカ山岳の攻略隊を編成する際、真っ先に名乗りをあげたのが鉄腕だ。監視も兼ねてモッツ将軍を付けたし、伝令もまめに寄越すよう伝えてある」


 誰から聞いた、などとは言わなかった。元より出回っている話なのか、本人が自ら吹聴しているのかは分からなかったが、オリビアの知らない所で情報は広まっているようだった。思えば、兵を挙げた頃からジリボンはおろか、ベクォン家の屋敷からもろくに出ていなかった。ルイスとの話が終わると、彼女の意識は再び混濁し始め、ぼんやりとした思考の渦にまどろんでいった。


「やはり、反動は大きいか……」


 ソファに身を沈めるように意識を失った娘を見て、ルイスは微かな後悔の念にも駆られた。『流れる銀』を巨大なゴーレムとして動かし、その核として自身の魔力を放出し続けるという、極めて非効率的な体力と精神力の磨耗は、既にオリビアの心身を蝕んでいたのだった。

 深まる秋に降る雨は、初夏のそれと比べて遥かに冷たい。



 同時刻、ビルカ山岳中枢都市ホツキネ―

 ベクォン軍接近の報告を受け、キャシック将軍率いるハーム軍二〇〇〇の将兵は、迎え撃つ準備を進めていた。


「敵の兵力はおよそ一〇〇〇。輜重(しちょう)の数から、前回の襲撃で用いられたゴーレムはいないと思われます」

「分かった。引き続き情報収集をせよ」

「はっ」


 伝令からの情報をまとめ、ホツキネ付近の地図に駒を置く。キャシックは彼我の戦力に、いささか不自然さを覚えていた。ハーム軍二〇〇〇、アントニオ率いる守備兵を加えれば二三〇〇にもなる拠点防衛側に対し、寄せ手が一〇〇〇しかいない。城攻めは、寄せ手は三倍か五倍の兵力をもって行うという教訓さえある。キャシックの主力である銀騎兵が守りに向かない騎兵である事を加味しても、不自然な編成であった。


「アントニオ殿、貴殿はこの敵の動き、どう見る?」

「兵が多い事が弱点となるならば、補給や備蓄の消耗が早くなる事ですが、そいつは王都からの補給が滞らなければ問題ありません。だとすれば……流言や撹乱による心理的ダメージによる内部崩壊を狙う可能性でもありましょうか」

「ふむ、こういう読めない相手が、最も厄介だな」


 敵の兵力が少ないならば、銀騎兵で打って出るという手もあるのだが、ビルカ山岳の道幅は決して広いとは言えず、野戦には向いていない。むしろ、谷間の開けた平地にホツキネの砦を建設したと言った方が正しい。


「何故、陛下は私をこの地へ遣わしたのか……」


 やはり多少の無理を通してでも、ニックと共にニバラク侯爵領へ向かうべきだったのでは、そんな考えが脳裏を過ぎったが、後の祭りであった。

大陸暦六一五年、天秤の月新月

娘が眠っている時間が長くなった。時折、ひどくうなされ、ひとしきりの悲鳴を上げては涙を流す。

私には何も出来ない。

   ヒルダ・ベクォンの手記『天秤の月一日』より

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