第三十三話『街角のカフェにて』
大陸暦六一五年、乙女の月下旬-
ロスとコリンズは一月半ぶりにジリボンへ潜入した。前回はニック救出のため、夜間に船で忍び込んでいたが、今回はニムネク商業の荷馬車に揺られ、西門から入る事となった。二人に課せられた任務は密偵の捜索と情報収集を主とし、出来るのであれば、とニックから裁量を与えられたものもあった。
「以前来たときと、全然違いますね」
「そうだろうな、あの時はまだ、ベクォン家も王家に対して兵を挙げていなかったし、ニック様を狙った事が明るみになるよりも前だった」
乙女の月が終わりに差し掛かろうという中、大都市ジリボンに溢れていたのは活気というより物々しさだった。道中、秋撒きの麦を育てる農民がそこかしこに見られたが、働き盛りの若い男の姿が減っていた。街を歩いても商店は棚空きが目立ち、早くも戦争による物不足の影が見え隠れしていた。
「取り敢えず、街中は物不足の気配あり、か。コリンズ、少し休もうか」
「そうですね」
二人は変装こそしているものの、もう偽名を使うことは止めていた。使い分けが面倒というのあるが、既に敵の情報網に引っ掛かっているという判断でもあった。お尋ね者になっていない事だけが救いと思い、情報収集に勤めている。二人は街角の喫茶店に立ち寄り、軒先のオープン席に座った。妙齢より少し歳を重ねたと見える女が受け答える。やはり、メニューの中の幾つかが品切れだった。
「……こりゃ、思ったよりも深刻だな」
「そのようですね」
出された紅茶に口を付けつつ、ロスが小声で言った。
「立地も決して悪くなく、小綺麗な外装に磨かれたテーブル、店員の身なりも客層もしっかりしています。少なくとも中流階級の来る店と見ていいでしょう。それなのに、品切れが目立っているという事は、既にかなりの物不足になってるという状況でしょう」
「それもあるが、準備の規模も相当なものだろう。コリンズ、数ヵ月前のモーギナス灯台奪還を覚えているか?」
「忘れようがありません」
「あの時、陛下は最大で七五〇〇の兵を動かせるよう手配していた。実際はそこまでの動員には至らなかったが、それでもボートミールの生活への影響は最小限だったはずだ。ジリボンはボートミールを凌ぐとも言われる大都市だ。その市民生活にここまで影響が出るような戦支度という事は、相当な数の兵をそれなりの期間動かすつもりだろう」
道行く人も少なく、小鳥のさえずりも心なしか力がない。重苦しい空気の中、コリンズは茶を啜った。
「ならば、どこにどれほどの兵力を割いているかを、調べなければなりませんね……ロスさん?」
コリンズが、ティーカップを片手に唖然としているロスを目にして、思わず声を上げた。泳ぎっぱなしの目線を追ってみると、彼もまた唖然とせざるを得なかった。
絹のような白い肌、波打つ深紅の髪、どこか生気を感じさせないものの、人間から見れば控え目に言って美しいと形容する娘が、二人に向かってまっすぐ歩いてくる。オリビアだった。
「相席、よろしいですか?」
閑散とした街角、喫茶店の席は空席が大半で、むしろ座っている客の方が目立つ。にも関わらず、彼女は二人の就いているテーブル席に、座り込んできたのだ。ロスもコリンズも、断るタイミングを逃していた。
「このような形でお会いする事になるとは、思いませんでした」
静かに口を開くオリビアを前に、二人は顔を動かさずに目配せをする。コリンズが眼鏡の位置を直そうと、左レンズの縁に指を滑らせた。レンズの縁に切った溝には、魔晶石の粉末が刷り込まれており、程度の低い術式一発分の起動が行えるようになっていた。ロスもティーカップをそれとなく左手に持ち替え、右手をテーブルの下に下げた。
「わざわざジリボンに潜入してくるとは、何か目的があるようですね」
「あぁ。ニック様より、直々のご命令だ。あんまり、のんびりしている暇もないんでな……」
ロスが右手をテーブルの下から出す。手中の懐中時計は蓋を開けると、人差し指ほどのサイズの刃が飛び出す仕掛けだ。スイッチを押し込み、蓋が開く。コリンズの眼鏡のフレームが、魔晶石の輝きをうっすらと放つ。ニックから裁量を与えられた任務、それはベクォン家の人間の暗殺だった。
「毒牙の術式ッ!」
コリンズの眉間、厳密には眼鏡のフレーム中央部分から数本の毒針が射出され、オリビアに向けて飛び込んだ。だが、術式防御はオリビアの十八番である。ティーカップを持ったままの右手を少し動かすだけで、障壁を発生させてはコリンズの毒針を叩き落とした。続いて、ロスの懐中時計の仕込み刃が迫る。術式防御の直後、物理的な守りが疎かになるという情報はミリアムから聞いていた。だが、ロスの一撃もまた障壁で防がれ、暗殺は失敗に終わった。
「その時間差、情報源はミリアム様ですね。そしてニック様からの命令……あの二人が、私を脅威としている事は、よく分かりました」
オリビアの態度も口調も落ち着き払ったもので、この暗殺もある程度の予見がされていたように見えた。
「一つ、お教えしましょう。王都からの密偵は、全て処断させて頂きました。その際、いくつかお聞きする事が出来た事があります」
「何を……聞き出したのだ?」
「お教えするのは一つだけです。それと……ニムネクとサミサには、もう手を打たせて頂きました」
ロスとコリンズの顔色が豹変する。オリビアの紅い口許は不気味なほど涼やかな笑みが浮かぶ。
「もう一つ、聞かせてもらおう。ベクォン軍に雇われた傭兵、鉄腕のラリーについてだ」
「父が雇い入れた傭兵の事ですね。私は深く存じません。これは本当です」
「一戦交えた俺の見立てを言ってやる。奴は少なくとも、ハームやカッサーナの人間ではない」
「ジリボンは商業都市です。ギムココやブバーケの人間が紛れていても、不自然ではありません」
彼女の返答は相変わらず涼しいものであった。実際、ニムネク商業のアブドゥルや、ニックに雇われているエリスなど、ブバーケ出身者は珍しくない。だが、ロスはそれらとも違う、と言い切った。
「奴からは術式の連弾をもらった。至近距離だったとは言え、狙いの定まった、正確な連弾だ。そして、奴は切っ先に向けて重さを増す、片刃の剣を使っていた。あの形状はこの辺の剣ではない……奴は、モノゲア帝国本国の人間、それも訓練され実戦経験も豊富な手錬れだ」
一介の傭兵にしては、不自然な強さを直接体感したロスの言葉は、真に迫るものがあった。
「そしてビルカ山岳には、今も鉱山に『流れる銀』が残っている。奴の狙いは何だ?」
ロスに迫られて、オリビアは返す言葉を無くしていた。余裕に満ちた涼やかな表情も、なりを潜めている。その最中、コリンズが悲鳴に近い声を上げた。
「ロスさん、大人数の足音です。匂いからして、ベクォン軍の兵です!」
「くそっ、長話が過ぎたか。オリビア・ベクォン、その首しばらく預けておくぞ!」
ロスはテーブルに金貨を一枚叩き付け、コリンズと共にジリボンの街中へと姿を消した。オリビアは呆然とそれを眺める。カップの茶は熱を失っていた。
大陸暦六一五年、乙女の月下旬
既に狩りは始まっていた。しかし、奴らはこちらを完全には潰さないだろう。
こちらには、キトリヤ地方の情勢を握る切り札がある。
-シャスタ・ニムネクの手記『乙女の月二十七日』




