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第三十二話『鉄腕と黒騎将』

 大陸暦六一五年、乙女の月中旬―

 街道にて広げられたバザーは、行軍してきたベクォン軍の野営により、いっそう賑わっていた。ホツキネ攻略を前に英気を養う為か、一〇〇〇の兵のうち約半数が行商人の出店の連なりに消えてゆく。過度の飲酒や喧嘩、娼巡り―娼婦や男娼を漁る行為をこう呼ぶ―は戒められ、門限も二十の刻限とされていた。


「正規兵がいるとなると、荒くれ者も大人しくなるものですね」

「そりゃあ、ね。腕の立つ一部の傭兵ならともかく、ただのならず者が訓練を受けた兵士に敵うなんて事は、そうあるもんじゃない」


 賑わいの中に、一抹の落ち着きがある事に気付いたコリンズに、シャスタが声を掛ける。ロスは相変わらずベクォン軍兵士の動向を遠目に追い続けており、時折、シャスタに近侍する商人風の男にたしなめられた。この商人風の男は名をアブドゥルといい、モノゲア帝国ブバーケ地方の出身だという。


「あんまりジロジロ見てると、あんたが行商人じゃない事が、連中にバレちまう。そうでなくとも、下手打って奴らに睨まれたら終わりだ。今のあんた達は、ニムネク商業に加担してる行商人さ。気を付けな」

「そうだな、気を付けよう」


 そう言って、寝台の馬車に潜り込もうとしたロスの背中に、荒くれ者達の声がぶつかった。


「ジャンさん、俺達はこれから娼巡りなんだが、あんたもどうだい」

「いや、いい。人間相手ではどうしようもないだろうしな」

「さっき、亜人専門の奴が来てたぜ。トカゲもいたなぁ、綺麗かどうかは分かんねぇけど」


 ロスは黙り込んで、懐の財布に目をやった。ジリボンに潜伏中の密偵への支援金とは別に、自分用の金銭も幾らか入っている。近衛兵としてのロスならば、娼巡りなどまずしないのだが、今は行商人のジャンである。幾ばくか、彼の身は軽くなっていた。


「そうだな、偵察も兼ねて行くとしようか。ハワード、お前は?」

「僕はここで待ってます。流石に色々とまずいです」


 コリンズは頑として動かなかった。ロス家は当主の父が子爵ではあるが、ほとんど平民の職人と変わらぬ仕事をしている。対してマルキヤ家は男爵な上、当主トマスは蒼海将の二つ名を持つ六大将軍の一人である。下手な事は出来ないと、コリンズの本能が告げていた。

 ロスが荒くれ者達と共に、喧騒の中へと消えてゆく。それから少し経って、シャスタとの打ち合わせが終わったアブドゥルが戻ってきた。


「ハワード、ジャンは一緒じゃないのか?」

「ニムネク商業の方と一緒に、娼巡りに行きましたよ」

「……何?」


 アブドゥルの目が険しくなり、眉間に刻まれた皺が深みを増す。


「ジリボンに着くまでは、飲み歩きも娼巡りも禁じていた。さっきの点呼でも全員揃っていたぞ」

「では、ロス……じゃない、ジャンさんを連れて行ったのは……?」


 コリンズはアブドゥルと目を合わせると、大急ぎでシャスタのいる荷馬車へと向かった。



 ロスは前を歩く三人組の荒くれ者が、ニムネク商業の者でない事に、薄々感付いていた。自分もそうであるように、訓練された兵士の足並みは、無意識のうちに揃ってしまう。そして一行の足取りは、幾多の馬車が織り成す即席のバザーから離れていった。


「いつから、情報が漏れていた?」


 街道を外れ、茂みが目立ってきた所で、ロスは声を掛けた。

 三人組の足が止まり、音もなく剣が抜かれる。並の兵士ではない事を察すると、ロスは大きく後ろに跳んだ。

 中の一人が振り払った剣が宙を切る。右の一人が突き掛かり、左の一人が振りかぶった。ロスの尻尾が右から来る兵士の足を払い、手から落ちた剣を素早く拾い上げる。

 すぐさま構え直し、左の兵士が振り下ろすより一瞬早く踏み込んで、左の胸を刺し貫いた。剣を手放し、振り下ろされようとしていた剣を奪い取る。

 右の兵士が短剣に持ち替えるも、次の行動に移るより早く、頭に刀身を叩きつけられていた。


「残るはお前だけだ。もう一度聞く。いつから情報が漏れていた?」


 中の兵士が剣を構えるより早く、ロスが切っ先を突き付けていた。言わなければ、言うまで体を切り刻む、そう踏み込もうとした瞬間、背筋に冷たいものが走った。身を翻す、重く速い一撃が通り過ぎる、一呼吸の間に、ロスをめぐる形勢は逆転していた。


「鉄腕……!」

「やるな、流石は近衛兵と言ったところか」


 ベクォン軍に加担する傭兵、鉄腕のラリーが斬りかかって来たのだ。剣を構えて振り向くも、後方への注意も怠らない。ラリーに気を取られて後ろから斬られるか、後ろの兵を先に仕留めようとしてラリーに斬られるか、その両方を防ぎつつ、情報を引き出さねばならない。


「いつから情報が漏れていた……か。強いて言うなれば、君たちがジリボンを脱出した時からだ。ニムネク商業の作業者として潜り込んだ、我が方の間者が定期的に伝えてくれるのだよ」


 それ以上は言う必要ない、剣を構えたラリーの放つ殺気が、言葉を介さずに伝えてきた。術式ではなく、熟練した戦士としての経験が、気配さえ相手の心を削る武器にしているのだ。シャスタの言葉通り、左腕に魔晶石の筒が仕込まれているのであれば、肉体強化の術式を起動した上で斬りかかってくる、ロスはそう判断した。

 ラリーの姿勢が低くなるより一瞬早く、ロスが踏み込んだ。術式による強化は少なからず隙が出来る。先手必勝で使わせないのも、魔術師相手の戦い方だった。剣を担ぐように構え、打ち下ろすように叩き込む。その狙いを崩したのは、ラリーの鉄腕の四本の指が関節から逆方向に折れ曲がり、並んだ筒の様相を呈した事だった。

 肉体強化ではない-ロスは踏み込む勢いをなんとかして曲げ、右斜め前に向けて転がり込んだ。鉄腕の指から火の弾が放たれる。背後から斬りかかって来ていた兵士が避け切れずに直撃を受け、爆風と共に火だるまになって転がった。


炸裂火(さくれつか)の……連弾か!?」


 術式の連弾は技術を要する上、魔晶石の消耗も早い。威力と共に反動の大きい炸裂火の術式を連弾で撃てば、命中精度も著しく落ちる。ミリアムどころかオリビアでさえ、狙いを定められないほどだ。それほどの技を、一介の傭兵が会得しているとは思えない―ロスは頭の片隅で考えつつも、迫り来るラリーの剣を受ける事で精一杯だった。


「剣も術も、わしの攻撃をこれほどにまで避けるとは、大したものだ。だが……」

「そこまでだ」


 ロスとラリーの間に割って入ったのは、モッツだった。


「鉄腕よ、貴殿は騒ぎを起こすのが好きなようだな。しかし、ベクォン軍の者とはいえ、公爵直属の兵をこうも簡単に返り討ちにするとは。腕は確かなようだな、ロス近衛兵」

「やはり、モッツ大隊長殿で……」

「そうだ。だが、私はもうハーム王国軍の銀騎兵大隊長ではない。ベクォン公爵軍の黒騎将だ」


 ロスはモッツの堂々とした佇まいと、彼の後ろで燃え盛る炎のコントラストに、言いようの無い威圧感を覚えた。もし、モッツが剣を抜く事があれば、生存は絶望的だ、そう思った時だった。


「もはや敵同士だが、一度はホツキネで共に戦った身だ……行け」


 モッツの言葉に「二度は言わん」という気配を感じたロスは、半ば逃げるようにしてその場を後にした。


「良いのですかな?」

「奴らはジリボンで何か行動を起こすだろう。それにはニムネク、サミサの協力が必要だ。今は泳がせ、不穏分子として表立ってきた所で始末すればいい。陣に戻ったら使いを出そう」


 そう言ってモッツが立ち去った後、残されたラリーが浮かべた笑みは、未だ燃え続ける炎に照らされ、不気味に輝いていた。

大陸暦六一五年、乙女の月中旬

ニック様を手助けしていた頃から、人数に違和感があった。点呼の際には異常がない。よほど手慣れた奴が潜入していたのだろう。

   ニムネク商業幹部アブドゥル・ネルトの回想

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