第三十一話『鉄の腕』
大陸歴六一五年、乙女の月中旬―
乙女の月も後半を過ぎ、いよいよ秋が本格的になってきた。ギネッシーオとジリボンを繋ぐ街道は、戦の匂いを嗅ぎ付けた傭兵や行商人の姿が絶えず、開けた土地があればキャンプを展開しては即席の市を作り上げていた。宵の口、かつての王家直轄領とベクォン公爵領の境目、関所の周囲は小さな街同然の賑わいを見せていた。
「傭兵というかゴロツキというか……玉石混交とはよく言ったものだ」
「ほとんど着の身着のまま、という人も見られますね」
最前線のギネッシーオから離れるにつれ、戦を求めてやってくる者達の質は下がる。立派な甲冑に馬、従者まで連れた貴族のような大物はほとんど見られず、山賊に片足突っ込んだような身なりの者が目立ってきた。中には、どこかで拾ってきたらしい丈夫な枝に、錆びた鎖を巻いただけの粗末な棍棒だけを持った浮浪者まで見かける始末だ。
「戦で散る事を怖れては成り立たん身ではあるが、あんなのには殺されたくないな」
「戦場に迷い込んだ気狂い浮浪者の手に掛かったとか言われたら、末代までの恥ですね」
ロスとコリンズは、右も左も分からず戦の報酬を目当てにやってきたと思われる者達を遠目に、口々に言った。火の百年間とまで言われたメーシア大陸の歴史で、ハーム王国は比較的平穏を保ってきた。しかし、所々で小貴族同士の小競り合いや山賊の出没、オークやゴブリンの討伐といった小規模な戦は絶えた試しがない。力を持ちいたやり取りならば、それ相応の専門家も生まれる。
「あーあ、見てみなよ。喧嘩がおっ始まった。野郎ども、とばっちりを受けないよう気を付けな」
不意に沸き起こる怒声と罵声の応酬に、シャスタが荒くれ者に指示を飛ばした。傭兵同士の小さないざこざから始まったらしい喧嘩は、時間を経たずに取っ組み合いになった。突き飛ばされ、投げられては付近の出店や荷馬車にぶつかり、品物や壊れた部品が散逸する。ニムネク商業の荷馬車も自分達を守る為、隊列を組み直して全周防御の構えを取った。
「止める人、いないんですかね」
「そこそこの街なら衛兵が止めに入るが、ここは傭兵や商人、ゴロツキの集まる無法地帯だ。そう穏便に片は付かんさ」
二人の横で腕を組み、シャスタの部下が言った。先日の飯屋で声を掛けてきた男だ。荒くれ者揃いの中、歳相応にしわの入った細身で、垂れ下がった両の目尻は笑みを浮かべているようにも見える。しかし、分厚いまぶたの奥には鋭い眼光が宿っており、豊かな口髭も手伝って、その本心を隠していた。恐らく、喧嘩の類はめっぽう弱いが、商売における顔役なのだろう、とロスは思った。
「おい、ゴロツキの方が剣を抜いたぞ」
半ば楽しげな声が響いていた喧嘩の輪から、悲鳴に近い声が上がった。片方が剣を抜き、もう片方も応じる。両者とも、残された理性で切っ先を軽くぶつけ合うと、本格的な斬り合いに発展した。ゴロツキの方――毛皮のベストになめした革の胸当てを身に付けた、山賊風の傭兵が雄叫びを上げながら剣を振り回す。相対する傭兵は亜麻色のローブで身を包んでおり、静かに構えている。
「そういえば、さっきからあのローブ男、無駄な動きがなかったな」
ロスが呟く。ローブの男は喧嘩が始まった当初からの取っ組み合いでも、まともに一撃をもらっていない。無駄のない動きで山賊風の男の拳を避け、裏拳や足払い、投げ飛ばしで応じていたのだ。ロスの目付きが鋭くなる。山賊風がおぞましい形相で奇声を張り上げながら、剣を大きく振り上げた。恐らく、威嚇して怯ませ、一撃の下に斬り捨てるのが常套手段なのだろう。
「……コリンズ、今の、見えたか?」
「いえ、物凄い速さだったので」
山賊風の剣は振り下ろされる事なく、持ち主の手元から力なく抜け落ち、地面に突き刺さった。剣を振り上げた瞬間、ローブ姿の男が瞬時に間合いを詰め、空いた腹に一撃を見舞ったのだ。右手の剣ではなく、左手の籠手で。
「威勢は良かったが、せめて戦場に着くまでは生き延びられるよう努めよ。酒に酔って喧嘩で死ぬなど、恥にもならんぞ」
遅れて駆け付けた山賊風の仲間と思わしき傭兵達に、意識を失った男を押し付ける。だが、傭兵にもメンツはあり、酒の席でのトラブルとはいえ、互いに剣を抜いた勝負をこのような形で終わらせられて、引き下がっては今後に差し支える。槍や斧を構えた傭兵達が、ローブ姿の男に襲い掛かろうとした、その時だった。
「何の騒ぎだ!」
突如響いた怒声に、辺りは水を打ったように静まり返った。ベクォン軍の本隊が通り掛かったらしく、正規兵が仲裁に入ってきた。流石に雇い主に噛み付くわけにはいかず、傭兵達も武器を納める。
「大した騒ぎではない。ちょっとした喧嘩だ、死者も出していない」
「喧嘩とはいえ、剣を抜いた以上、ある程度の事情は話してもらうぞ。まずは顔を見せろ!」
兵士がローブ姿の男に顔を見せるよう命じると、男は嘆息混じりにフードを取った。岩を削り出したような顔は浅黒く焼けており、黒々とした太眉に口髭は、逞しさに満ち溢れている。そして、山賊風の男を一撃で沈めた左手の籠手を見せた。
「て、鉄腕……!?」
兵士の反応に、周囲からどよめきの声が上がった。シャスタも目を丸くしており、荒くれ者達もその風体に見入っている。ロスとコリンズは今ひとつピンと来なかったようだ。
「もう、いいだろう。それより、モッツ殿はどうした?」
「はっ、本隊を率いております。間もなく到着します」
モッツ、その名には聞き覚えがあった。キャシック将軍率いる銀騎兵の大隊長、ブランドン・モッツ。ホツキネ防衛戦で敵を追撃した際、オリビア達と交戦し行方不明になっていた。ロス達は同姓の他人だろうと思い、もとい願い、馬蹄のゆったりとした響きに耳を傾けた。
「ラリー殿、何かあったか?」
「いえ、ちょっとした喧嘩です……そうだな?」
鉄腕の男が一瞥すると、兵士も傭兵も、居並ぶ者達が次々と震え上がるように直立した。ロスの関心は、鉄腕よりモッツと同姓と思われた馬上の男に向けられている。黒い犬亜人、声に口調、間違いなくモッツ本人だった。
「さて、今夜はこの辺りで野営だな。準備せよ」
モッツの命令で、ベクォン軍の兵士や傭兵が幕舎などの設営を始める。
「モッツ殿……何故、ベクォン軍を率いている?まさか、キャシック将軍の守るビルカを攻めるのか?」
「二人とも、あの鉄腕には関わるんじゃないよ」
「どういう事ですか?」
ベクォン軍を眺めていたロスに、シャスタが声を掛ける。コリンズは鉄腕の男を知らないため、聞き返した。
「……鉄腕のラリー。本名は分からないけど、ここ何年かで名を上げた、流しの傭兵さ。あの左腕の篭手は、魔晶石の筒を仕込んだ義手で、術式によって本物の手のように扱うんだと。一人で正規兵の一個中隊に匹敵する強さだとか」
今のあんた達じゃ相手にならない、シャスタはそう付け加えた。ロスとコリンズが固唾を飲んで注視する中、ラリーはモッツと共に、設営の終わった幕舎へ姿を消していた。
大陸暦六一五年、乙女の月中旬
鉄腕のラリーを引き入れるなんて、一体どれほど積んだのか。
それほどまで、ベクォン公はハーム王家を恨んでいるという事か。
-シャスタ・ニムネクの日誌『乙女の月二十二日』




