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第三十話『潜入作戦』

 大陸歴六一五年、乙女の月中旬―

 ビルカ山岳の都市ギネッシーオは、物々しい空気に包まれていた。かつてジリボンとホツキネを繋いでいた街道の要衝は、今では王都直轄領とベクォン公爵領の境界線となっており、それはベクォン軍の最前線を担っていると同義だった。


「よし、なんとか街には入り込めたな」

「後は、ここでサミサ商会かニムネク商業の人と接触するだけですね」


 行商人を装って侵入していたのは、ロスとコリンズだった。今回、ニックはニバラク侯爵領への遠征において、二人を伴わなかった。それどころか、エリスもミリアムの護衛につけており、各々が独立して行動する事になったのだ。


「しかし、事前に何も言ってないのに、先方に話が伝わるかね」

「現在のジリボンは、伝書竜も入れないほどの厳戒体制だそうで……」


 二人に与えられた役割は、ジリボンへの潜入だった。ベクォン軍の挙兵以降、前々から入り込んでいた密偵からの連絡が途絶え、情報が入らなくなってしまった。ロスとコリンズに与えられた任務は、密偵の安否の確認と、ベクォン軍に関する情報の収集であった。特に、オリビアが駆る『流れる銀』のゴーレムに関する情報は、最優先で入手するべきとされていた。


「ニック様達が対峙した『流れる銀』のゴーレムの情報か。あの距離で砦の壁を抉る魔力は、確かに脅威に他ならない。お前の術式でも、一時的に動きを止める程度にしかならなかったからな」

「あの術式をミリアム様が使っていたら、勝ち目はあったかもしれません」

「いや、奴はそういうレベルの相手ではない、根本的な打開策が必要だ。そのためにも、情報がいる。我々を送り込んだニック様に報いねばならん」


 二人の派遣を決めたのはニックだった。彼は事実上の政敵である王妃サラにとって、敢えて有利に動いてみせたのだ。今のニックは無防備と評しても過言ではない。五〇〇の精鋭を連れて行く事を許されたが、黄泉への道連れに過ぎない可能性さえあった。


「とにかく、今はジリボンに潜入する事を第一に考えよう。動くぞ、ハワード」

「分かりました、ジャンさん」


『ジャン』と『ハワード』は、ロスとコリンズが潜入に際して用意した偽名だった。身分証の偽造も済ませており、それらしい荷物も用意されていた。二人が近場の飯屋で腹ごしらえをしていると、そこそこのキャラバンに所属している風体の男が声をかけてきた。


「珍しいな、亜人同士の行商人なんて。どこから来たんだね?」

「モノゲア帝国のタスパ地方からです。他の人はボートミールやギムココ諸島に分かれて向かってて、自分達は商業都市と名高いジリボンに行こうと」


 ロスの目付きが一瞬、険しさのあまり鋭利な光を帯びた。だが、その眼光が男に届くよりも早く、コリンズが応じて注意を引いた。男はふぅん、と鼻を鳴らしては二人を一瞥すると「気を付けてな」とだけ返して去っていった。


「……なんとか、なりましたね」

「荷物を見られたら危なかったな」


 顔を合わせ、安堵が周囲に漏れないように洩らす。二人が行商の売り物に偽装して持ち込んだ荷物は、恐らく疲弊しているだろう密偵への補給物資や、必要に応じて行う破壊工作用の道具だった。


「とりあえず、移動しよう。さっきのやり取りを見られてたら厄介だ」


 二人は飯屋を後にすると、商人の馬車が来る大通りを目指して歩き出した。ギネッシーオは街道を行き交う商人にとって、欠かせない中継地点である。ベクォン軍の最前線となった今でも、それは変わっていなかった。むしろ、傭兵やならず者を相手に商売するほどのたくましさがなければ、やっていけない。武器も物資も酒も女も、至る所が商機でごった返していた。



「……ハワード、尾行されているぞ」

「そのようですね……先ほどの男の仲間でしょうか」


 大通りから道二つほど離れた地点で、ロスは異変に気が付いた。コリンズは匂いで既におおよその見当がついていたらしく、特に驚く様子もない。顔を合わせずに視線だけを通わせ、同時に頷くと、二人は路地裏へと入っていった。


「何の用だ?」


 ドスを効かせて言い放ったロスに、応じる言葉は無かった。あるいは、何か言おうとしていたのかもしれない。しかし、今の二人に悠長な受け答えをする余裕は無かった。腰の剣に手を伸ばす。左手の親指が鞘口から鍔を持ち上げようとした、その時だった。


「ちょっと待った、別にあんた達と騒ぎでも起こそうってわけじゃない」


 男の声は、先ほどの飯屋で話し掛けてきた男のものだった。二人が振り向くと、男の傍らには、鶏亜人の姿があった。男と比べて頭一つ分小柄で、コリンズよりも小さく見える。


「お久し振りね、()()()()()()()()()()()()

「……そこまで聞かれてたのか」

「私達のような商人にとって、情報の早さと正確さは生命線だからね」


 一歩踏み出した鶏亜人の顔に、曇り空の切れ間から日の光が差し込む。鶏の鋭い目付きの中に、丸みと愛嬌を宿した顔立ちは、ニムネク商業の娘シャスタのものだった。


「で、ロスさんにコリンズ君、ニック様の御付きの二人が、どうしてこんな所に?」

「ニック様のご命令でな、ジリボンに潜入する事になった。手を貸してほしい」


 ロスの要請に、シャスタは二つ返事で了承した。



「この前と同じ手口で行くよ」


 シャスタが部下の男達に指示を飛ばし、荷馬車の一つをひっくり返す。ニムネク商業の荷馬車は、裏稼業にも対応するため、二重底になっている。運ぶ物次第では法に触れるところではあるが、実際にニック達はこの中に潜んでジリボンを脱出した。


「お嬢、このままじゃ、ちょいと入りきりませんぜ」

「街に出入りする時だけでいい。何人か軽い物持って歩かせる、急ぎな」


 ボートミール港の荒くれ者を思わせる、少々柄の悪い男達が馬車の荷を整える。飯屋で話し掛けてきた男を除き、ほとんどの男は商人にすら見えず、不逞の輩に近い。裏稼業の話といい、首を突っ込まない方が身のためだ、ロスとコリンズはそう思い、静かに作業を見守った。


「それじゃ、行くよ!」


 シャスタが荒くれ者に勝るとも劣らない、張りのある声を飛ばすと、男達の野太い返事と共に、荷馬車が動き出した。防壁の東門を抜ける際、簡単な検査は受けたが、荷物をひっくり返されるような事はなかった。その辺も、このニムネク商業の効かせた鼻薬だろう。

 かくして、ロスとコリンズは一度は脱出したジリボンに、同じ手段で今度は潜入する事となった。

大陸暦六一五年、乙女の月中旬

「警備の奴らには、喜ぶモンをチラつかせれば、大体言う事を聞いてくれる」

とは言ってたが、女遊びの便宜なんてのもあるとはな。

   -近衛兵エドワード・ロスの手記『乙女の月十八日』

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