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第二十九話『学び舎にて』

 大陸歴六一五年、乙女の月上旬―

 ニックは学生のめっきり減った学院にて講義を受けていた。

 軍は編成と調練、物資の調達の真っ最中であり、彼に出来る事はほとんど残されていなかった。ジリボンの封鎖とテーキス地方の陥落は、帰るに帰れない学生を多く生み出しており、ニックとコンラッドの傍らに座るポールの姿が無い事が、それを物語っていた。

 ボートミールをはじめ、近隣の街や農村からの学生が多い初等部や中等部はまだしも、ハーム国内の各所から貴族階級の学生が集う上等部は、特に減りが目立っていた。

 今頃、ミリアムも隣に座るオリビアの存在がなくなってしまった事に、一抹の寂しさを感じているだろう――ニックはそんな事を思いながら、講義に耳を傾けていた。



「そういえば、コンラッドはどうやって戻って来たんだ?」

「一月くらい前かな、ジリボンでお前そっくりの盗賊に賞金が掛けられたって聞いて、それからすぐに道という道が封鎖と検問で止められまくったのさ。で、ちょっと早めに切り上げて船で戻ったんだ」

「そうか、大変だったな」


 学院からの帰り道、初夏の頃より人の増えた商店街を歩きながら、ニックとコンラッドはどこか気の入らない言葉を交わしていた。ちなみに、コンラッドの言っていた、ニックそっくりの盗賊が本人である事は話さなかったが、別段必要な話でもなかった。


「……しかし、爺様が自害なんてするとは、思えないんだよなぁ」

「それは……将軍達も高官も同じ事を言ってた。父上は何も言ってなかったがな」


 コンラッドの言葉に、ニックは思わず返事に詰まった。

 ニバラク大臣の死から半月以上経つが、未だに城内の慌ただしさは片付かなかった。大臣の後任として高官が次々と候補に上がりながらも、王妃サラの介入でご破算にされる事が相次いだためだ。国王ハロルド三世も口を挟まず、人事はサラの意向でもって進められた。異を唱えようにも、国王の寵愛する王妃が相手では手が出せず、事態は混乱を極めていた。


「ニバラク大臣の優秀な部下達は次々とその座を追われ、か」


 大臣の下で国政に携わっていた高官達が納得するはずもなく、本当に大臣の死は自害だったのかと疑う者も出始めていた。しかし、大臣の遺体が安置された部屋は厳重な警備が敷かれ、調査どころか立ち入る事さえ出来なかった。ニックもコンラッドも続く言葉が出ず、だんまりと歩を進めるだけだった。


「ところでコンラッド、聞きたい事がある」

「どうしたんだ?藪から棒に」


 しばしの沈黙の後、口を開いたのはニックだった。先程までと目の色が違う。城内のゴタゴタに困惑する王子の目ではなく、戦に備える武人の目になっていた。


「ニバラク大臣の遺体は、侯爵領に移送するんだったな」

「あぁ、父上は病で脚が悪いからな、今から葬儀のために来いと言っても無理だろうし、爺様は生まれ故郷で眠らせたいしな」


 コンラッドの言葉に、ニックは一つの策を思い付いた。


「それなら、その移送は僕の隊で引き受けても良いか?」

「それは構わないが、一つだけ条件がある」

「なんだ?」

「オレも一緒に行く。ベクォン家の連中が挙兵して、侯爵領に攻めてくる可能性があるっていうのに、オレだけが何もしないってわけにはいかない」


 自ら軍への同行を申し出たコンラッドの目には、揺らめく炎のような煌めきを放っており、使命感に燃えるような意思を秘めていた。ニックは直感的に、自分にはこの男が要ると判断し、快諾した。瞳に闘志の炎を宿し、口許に力強い笑みを浮かべる。今は、自分達に出来る事をするだけだ、ニックはそう決め込んで気合いを入れた。


 ニックとコンラッドは翌日、学院長の部屋を訪れていた。夏休みが終わって早々、学院長の机には、二通の休学届が差し出されている。


「戻って早々にこのような届を出すのは気が引けますが……」

「ニック様の事は既に聞いております。しかし、コンラッド君の事は……」


 学院長は心を決めたコンラッドの表情を見て、口をつぐんだ。ニックと同じ目の光を見るに、相応の覚悟を決めている事は一目で分かった。


「身勝手である事は十分に分かっております。しかし、祖父を故郷に帰したく、また、故郷に危機が迫る可能性があると聞いて、何もしないという選択肢は取れませんでした。お願いします」

「この学び舎から、また生徒が減っていくというのは寂しいものですが……」


 学院長の次の言葉は、勢いよく開け放たれた扉の音で遮られた。三人の視線が出入り口に注がれる中に立っていたのは、ニック達と同じく休学届を手にしたミリアムだった。早足で学院長の机に詰め寄り、ニックとコンラッドの間に分け入って、休学届を差し出す。三人とも、目が点になる勢いだった。


「学院長様、このミリアム・ハーム、此度の戦に出陣するため、休学届を出しに参りましたわ!」


 ミリアムの啖呵が学院長室に響き渡る。三人は互いに目を白黒させながら合わせつつ、状況を整理した。


「ミリアム……お前、出陣って、どこにだ?」

「キャシック将軍と共に、ビルカ山道の守りに就きますわ。父上様達の了承も取ってあります」

「ま、待て!ジリボンの件は命を狙われたからで、ホツキネの件は……」


 そこまで言い掛けて、ニックは言葉が出なくなった。ホツキネに残って防衛戦に参じたのも、ベクォン家の兄妹と戦ったのも、自分達の意思だったからだ。不可抗力だったという理由は成立しない。


「……分かった。今の僕には、お前を止める手段が何も無いよ」

「えぇ、兄上様が私達の諫めも聞かずに北へ行くと仰いましたもの、今回ばかりは私も、兄上様の制止は受けませんわ!」


 ミリアムに押し切られ、肩を落とすニックを見て、コンラッドが笑い飛ばした。


「負けたなぁニック。ミリアム様、ご武運を」

「えぇ、コンラッド様もお元気で」

「えー……それでは、私から皆さんにひとつ」


 顔を合わせて微笑むミリアムとコンラッド、困り果てた表情のニックに対し、学院長が声を掛けた。


「皆さんは、再びこの学び舎を離れる事になります。戻って来る頃には、同級生との間に少なくない溝が開いている事でしょう。しかし、学びの機会は常に皆さんと共にあります。皆さんは、少し早く世界を知る事になるのです。書物だけでは知り得ない事も沢山あるでしょう。そして、それを知るための知識が必要になる事もあるでしょう。皆さんがここに戻って来る事を、いつでも待っています。お気を付けて」


 学院長の言葉は優しい口調ではあったが、どこか厳かでもあった。


「私達は、必ずここに戻ります。三人だけでなく、戻れないでいる多くの学生と共に、必ず」


 ニックは強い口調でしっかりと伝えると、コンラッド、ミリアムと共に並び、学院長に頭を下げた。

 ここは、いつか帰る場所になる、そんな予感を胸に秘めて。

大陸暦六一五年、乙女の月上旬

あの手この手でミリアム様に押し切られた。ニック様が帰ってきたら、相談しておかなければ。

   -『銀騎将』ギリアム・キャシックの手記『乙女の月九日』

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