第二十八話『北へ』
大陸歴六一五年、乙女の月初旬―
会議室に駆け込んできた伝令の口から発せられたのは、ベクォン家挙兵の報せであった。ベクォン家が動くという事は、繋がりの強いキトリヤ家も動く事になる。王都直轄領の半分を喪った現状で、さらに二地方が敵に回るこの状況は、ハーム王国を二分しているに等しい状況であった。
「……将軍達よ、貴公らがジリボンを拠点とする敵側であったとするなら、どこから攻める?」
ざわめく文官を他所に、ハロルド三世は将軍達に尋ねた。とはいえ、ベクォン軍の兵力は定かではなく、アギラでもホツキネでも少なくない損害を出している。そして、王家直轄領にはまだ歩兵、騎兵、戦車、軍船と充分な戦力を有しており、それらを年単位で動かせるだけの蓄えも残っていた。
「これまでの戦闘から、地方兵を主力で動員する事は考えにくいと思われます。彼らを動かすのであれば、相応の大義名分が必要でしょうし、練度の低さを補うための訓練や編成に時間が掛かります。ミリアム様の話によりますと、先月のジリボンの市井にそのような動きは見られなかったと……」
最初に口を開いたのはキャシックだった。地方兵の動員がほとんど見られなかったのは、ホツキネの防衛戦で誰もが確認している。八割以上が傭兵くずれや山賊同然の荒くれ者だった。
「モーギナス灯台を占拠した者達やアギラに攻め込んできたオーク達は、ジリボンで作られた上等な装備品を身に付けています。その上で傭兵で頭数を揃えるとなると、その軍資金はどこから……」
「ジリボンがボートミールより栄えているとは言え、ベクォン公爵領だけでそれだけの金を用意出来るとは思えん。外海との貿易も出来ない以上、海上封鎖で締め上げるという手もあるかもしれんな」
レッターとマルキヤが続いた。ベクォン家の挙動で最も不自然なのは、やはり金の流れである。ジリボンがボートミールより栄えているのは、ハーム国内における陸海の交通の要衝であり、経済活動の中心地となっているからだ。しかし、ベクォン公爵領は外海であるジュニーク海に面しておらず、外海に面している西側は王家直轄領とニバラク侯爵領で二分されている。
「海上封鎖……外海との貿易に資金源……奴ら、ニバラク侯爵領を狙う腹積もりではないか?」
地図と睨み合っていたパッテンが、ふと漏らした。ニックも地図を覗き込み、顔を上げては目を合わせる。
「現状、国の東半分をベクォン軍に取られてはいるが、迂闊に本隊をボートミールに進軍させれば、ニバラク侯爵領から背後を突かれる形となる。また、ニバラク侯爵領を取れば、カッサーナ皇国に派遣しているミア将軍、リアブ将軍との繋がりを断つ事も出来る。パッテン将軍の言う通りかもしれないな」
ニバラク侯爵領は西をジュニーク海、南を王家直轄領、南東から東にかけてベクォン公爵領、北東から北をカッサーナ皇国と隣接している。ベクォン公爵領を喪った今、ハーム王家がカッサーナ皇国と連絡を取るには、ニバラク侯爵領は欠かせないルートとなっていた。
「……となると、ニバラク侯爵領へ向かうには陸路はジリボンではなく、ビルカ山道でホツキネを経由してリーバへ出て海沿いに北上、海路ならばボートミールからリーバを経由してホーンモルに行けば良い、か。どちらにせよ、リーバは我が国にとって生命線となる。ホツキネの守りを固める必要があるな」
将軍達とニックが導き出した言葉を、ハロルド三世がまとめ上げる。ホツキネの西に位置するリーバ、ニバラク侯爵領の海の玄関口となるホーンモル、二つの港湾都市が重要拠点として挙げられる。中でもリーバは中継地点として欠かす事が出来ず、そのためにも交通の要衝であるホツキネとジョクトーは守り抜かなければならない。
「同時に、テーキス地方の奪還も視野に入れて行動しなければならん。マルキヤとパッテンに三〇〇〇の兵を与える。ビルカの守りには……キャシック、その方に二〇〇〇を兵を。ニバラク侯爵領には……」
ハロルド三世は言葉に詰まり、横目でサラの顔色を伺った。王妃の冷たい瞳は動じることなく、小さくうなずくだけだった。
「ニック、五〇〇の兵で向かってくれ。ニバラク侯爵領には二五〇〇の兵力がある。現地で落ち合うのだ」
「お待ちください陛下!ニック様を向かわせるには危険過ぎます!」
レッターが声を張り上げた。普段から落ち着いた性格で、あまり声を荒げないだけに、居合わせた多くの者が驚いた。
「現状、ここからニバラク侯爵領までは一月近く掛かります、道程で敵の待ち伏せや予期せぬ事態に見舞われる可能性もあります。それを五〇〇の兵で向かえと仰いますか!」
「止せ、レッター将軍」
鼻息を荒くし、血走った目で国王に食い下がるレッターを、ニックが制した。
「父上、それならば、僕から兵の編成を行っても良いでしょうか。ニバラク侯爵領の守備、又は奪還に赴くのであれば、精鋭を連れて行きたいのです。異論はありますまいな、母上」
ニックは提案と共に、鋭い視線をサラに送り、釘を指した。意図を見透かされたと察したサラの目付きが険しくなり、冷たい瞳に炎が宿る。国王は、静かに首を縦に振った。
「……では、これで決まりだな。レッター将軍はボートミールの守りを任せる。各自の編成については追い追い話し合うとしよう」
勢いを無くしたハロルド三世の言葉で、会議は締め括られた。レッターの怒声に戦々恐々となり、文官達が逃げるように部屋を出る。軍の高官や王族達も次々と部屋を後にする中、ニックとミリアム、そして四名の将軍が最後まで残っていた。
「兄上様、正気ですの!?」
「サラ様の意図が見え透いておりますぞ!」
口火を切ったのは、ミリアムとパッテンだった。二人とも、サラとは折り合いが悪い者の代表的な存在である。キャシックも二人を諫める気はなく、腕を組んで憮然としていた。
「サラ様はニック様の戦死をご所望、という事か?」
少し遅れて口を挟んだのはマルキヤだった。彼はニックの不在時、テーキス地方に派遣されていたため、事の次第をよく知らない。仮に知っていたとしても、今のマルキヤの頭にあるのは、テーキス地方の奪回による自身の汚名返上だった。パッテン以上に軍一筋で、政治や腹芸には徹底的に疎い、それがトマス・マルキヤという将軍の本質なのだ。
「大っぴらに肯定するわけにはいかないが、否定も出来ない。ニック様がジリボンで襲われた際も、どこからか情報を嗅ぎ付けて、わざわざ我々に生死不明を伝えに来ていたからな」
レッターが言葉を選んで説明する。その間にも、パッテンの頭は火に掛けられたヤカンの如く湯気を放たんばかりである。
「……だが、城で調練しながら待機していた私は見ているんですよ、文官を中心にグレン様の支持者が増えている所を。ニック様が眠っている時も、目を覚まさない方がよいという声さえ聞こえました……!」
努めて冷静に、しかし憤りを隠し切れないパッテンが、残された理性で言葉を紡いだ。
「皆の言いたい事は分かった。だが、ここまで言ってしまった以上、引き返す事も出来ない。僕は北へ行く」
ニックの意思は堅かった。
大陸暦六一五年、乙女の月初旬―
ニバラク侯爵領へと向かう道中、出来ればホツキネに立ち寄っておきたい。あの『流れる銀』のゴーレムを持ち出してきた目的が気になる。
―第二王子ニックの手記『乙女の月七日』より




