第二十七話『目覚め』
大陸暦六一五年、乙女の月初旬ー
夏が過ぎて和らいだ朝の日差しを受けて、ニックは目を覚ました。
寝かされていたのは王都ボートミールの城にある、自室のベッドの上だった。体を起こしてみると、頭に鈍い痛みが残っている。焦点の定まらない眼で辺りを見回していると、ドアを開ける音が聞こえた。振り向くと、様子を見にきたのか、ゆっくりと覗き込むように顔を出したミリアムとグレンが目に入った。
「兄上様!目が覚めましたのね!」
「兄上!」
「おはよう、ミリアムにグレン」
ニックが意識を取り戻したのを見ると、二人は我先にとベッドに駆け寄り、兄に飛び付いた。
「すまない、心配かけたな……ところでミリアム、僕はビルカ山道で戦っていたはずだが、何があった?それに、あれからどのくらい経ったんだ?」
「オリビアの光弾が爆発した時の衝撃で吹き飛ばされ、気を失ったのですわ。それから十日の間、兄上様は眠ったままでしたの」
ミリアムの言葉に、ニックはそうか、と応じると、二人の頭を軽く撫でた。一月半ぶりに顔を合わせたグレンは安堵の表情を浮かべ、日頃から自分に懐いているミリアムは、心配からかうっすらと涙さえ浮かべている。目尻から頬に掛けて帯びた赤みが、彼女の泣き晴らした様を物語っていた。妹と弟の喜ぶ姿に一抹の安らぎを覚えたニックは、後から静かに入って来ていた国王の姿を認めた。
「ニックよ、目覚めたか」
「父上……心配お掛けしました」
「その事は、もうよい。十の刻限より、会議がある。先日の戦に関して、お前からも話を聞きたい」
「分かりました。それまでに支度を済ませます」
今は八の刻限であり、会議の時間までは二時間ほどある。国王ハロルド三世が去った後、ニックは手早く着替えを済ませると、足早に部屋を後にした。慌てて追い掛けるミリアムとグレンを横目で見やりつつも、その足が止まることは無かった。
「まともな食事も久し振りだな」
「申し訳ありません、焼きたてがあれば良かったのですが」
「いや、僕が来たのが遅かったんだ。気にしないでくれ」
ニックが足を運んだのは、兵舎の食堂だった。この時間でも食事が出来る場所といえば、ここしかない。冷め掛かった腸詰め肉と温野菜のスープを温め直してもらい、まだ温もりの残る赤麦の丸パンを皿に乗せる。気を失っていた十日間、何も口にしていなかった分の空腹が、時間を追うごとに甦ってきたのだ。
「兄上様、まずは水か汁物でお腹を慣らしてからですわ」
「そうだな、スープも充分温まったし、これから貰うよ」
ニックはスープを一すくい口に運び、舌で転がして馴染ませるように味わうと、ゆっくりと飲み下した。塩味の利いた温かみが口から喉を通り、腹の内へと吸い込まれてゆく。臓腑に熱が染み渡り、半ば眠っていた体の隅々から目覚めの声が聞こえてくる。
赤麦の丸パンを一口大にちぎると、スープに浸してから食べ始めた。粘り気の強い赤麦の粉から作られるパンは少々味気ない上に硬く、塩気のあるスープに浸して食べるのが一般的だ。
その後もニックの食が止まる事はなく、半刻と経たずに器は空になった。
「兄上、少し急いで食べてしまわれたのでは?」
「十日間も食べてなければ、こうもなる」
「大地で採れる食物は、神様からのお恵みですわ。大事に頂きませんと」
ミリアムとグレンがニックの食べっぷりに若干辟易したのか、苦言を呈した。グレンはともかくミリアムも信心深く、食前や就寝前の御祈りを欠かす事がない。
ハーム王国、もといメーシア大陸の住人は、大陸の名を冠した豊穣神メーシアを広く信仰している。作物や食肉は全て神からの賜り物であり、粗末にする事は強く戒められていた。敬虔さにもよるが、過食や暴食、早食いも戒められる事はある。そして、ニックの信仰心は決して篤くなかった。
十の刻限―
会議室に足を踏み入れたニックは、居並ぶ顔ぶれを見た途端に、ハーム王国の置かれている危機的状況を察した。キャシック、レッター、パッテン、マルキヤの四名が並んで座っている光景は、テーキス地方に軍が派遣されていない事を意味しているからだ。
「ニック様、お目覚めですか」
「あぁ、皆には随分と迷惑を掛けてしまった。しかし、テーキス地方も芳しくないようだな」
「はい。その点についても、会議で申し上げます」
ニックは国王に次ぐ上座に着くと、ハロルド三世に目配せをした。国王の合図と共に、国の重役ばかりが並ぶ会議が始まった。
「皆の者、見ての通りだが、ニックが目を差ました。これは一つの朗報と言えよう」
ハロルド三世の言葉に、集まった将軍も文官も一同に感嘆の声を上げた。王位継承者が事件に巻き込まれて一月半に渡り不在、さらに十日間の意識不明となれば、城内の動揺もかなりのものだった。
「さて……パッテン将軍、現状の説明を頼むぞ」
「はっ!お任せください!」
パッテンは机の上にハーム王国の地図を広げ、紅白の駒を置き始めた。ボートミールに白の、ジリボンに紅の王城の駒を置いた事から、白が王国側を示している事が分かる。
「先月末の戦闘において、テーキス地方の港湾都市アギラと、ビルカ山岳の街道都市ギネッシーオが陥落しました」
紅の駒が、地図上の各々の箇所に置かれる。アギラには兵士の駒が二つ、ギネッシーオには魔術師の駒が一つ置かれた。駒一つにつき、おおよそ一〇〇〇の兵力らしい。
「アギラは陥落の際、レッター将軍の機転で住民や避難民を船に乗せて脱出後、街そのものを罠として爆発炎上させて使用不能にされております。当分、奴らも船は出せないでしょう。ギネッシーオを陥落させた敵はホツキネに迫りましたが、守備兵と銀騎兵の応戦により撃退され、現在は後退の末に膠着状態となっています」
ホツキネに白の騎兵の駒が一つ置かれた。続いて、パッテンはベクォン公爵領の北東、キトリヤ伯爵領にも紅の駒を幾つか置いた。
「以前、ニック様が手紙の中で、キトリヤ伯爵の関与も指摘しておりましたが、どうやら黒のようですな。アギラ攻撃に加わったオークやゴブリンの軍勢に、火焔飛竜を提供している事が分かりました。伯爵領から来た商人や旅芸人からも、同様の話が聞けました」
ニックがキトリヤ伯爵の関与を疑ったのは、ベクォン家当主ルイスの妻ヒルダが伯爵の妹であり、両家が深く繋がっていたからだった。そして、火山性の土地柄もあって、しばしば不作や凶作に見舞われ、財政の不安定なキトリヤ伯爵は、ベクォン公爵から多額の援助を得ていた。今後の援助の見返りとして、装備品の横流しや戦力の供出を行っていたと踏んだのだ。
「そして……」
「申し上げます!」
パッテンの言葉を遮るように、会議室に伝令の兵が駆け込んで来た。
「何事だ?」
「先程、密偵から火急の報告がありました!ベクォン家当主ルイスが兵を挙げました!」
会議室はたちどころに困惑とざわめきに包まれた。地図上のジリボンに置かれた紅の王城の駒は、真の意味で敵の本拠地となったのであった。
大陸暦六一五年、乙女の月初旬―
ニック様のお目覚めは実に喜ばしい報せであった。だが、城内の文官や聖職者の様子がおかしい。そういえば最近、グレン様を支持する声を耳にするようになった。
―パッテン将軍の手記『乙女の月七日』より




