第二話『港の惨劇』
大陸暦六一五年、双生の月初旬―
キャシック将軍が出港した日の夕暮れ時、ボートミールの港湾管理部署に届けられた伝書の通り、足の速い小舟が三隻、他の船にや港の設備に衝突しそうな勢いで滑り込んで来たと言う報告や苦情が相次いでいた。小舟に対し、異常な操船と危険行為を理由に立ち入り調査を行う事が決定され、管理官十人と警備兵十二人による調査隊が派遣された。
「こりゃ相当ヤバい案件だろうな。軍船にも衝突しかけたとか」
「犬や豚の亜人連中によると、なんか嫌な臭いもしたとか」
「死体でも運んでたのかね。レッター将軍の派遣部隊、かなりやられたって聞いたし」
警備兵が口々に言った。それとは対照的に、管理官の一団は黙々と歩を進める。小一時間ほど港を歩いては不審物の確認を行い、怪しい箇所を調べてゆく。ふと、管理官の足が止まった。暗緑色に塗られた小舟が三隻、横付けされている。天幕のようなものが張られ、舟の中を伺い知る事が出来ない。
「港湾管理の者だ、不審な舟が入港したとの連絡を受けた。調査の協力を願いたい」
小舟から返事はない。だが、何者かの気配や息遣いを感じる。もう一歩踏み出した管理官が再び声を掛けようとした、その時だった。小舟から飛び出した影に突き飛ばされる形で、管理官の体が宙を舞った。殺気を帯びた低い唸り声に鼻を突く獣臭さ、黒々としたつやの無い毛に覆われ、両の眼がぎらりと赤く光っている。魔狼とも呼ばれる魔物の一種で、もっぱらオークの家畜として扱われる存在であった。
「魔狼だと!?」
「おい、大丈夫か!」
突き飛ばされた管理官に警備兵が集まる。二人は負傷者の救助につき、四人は残りの管理官の護衛に回り、残りが魔狼と対峙し、小舟から現れるであろう増援を警戒した。魔狼は唸りながら警備兵を睨み付け、じりじりと距離を保つ。剣を構える六人の兵を値踏みするように睨み、一人の兵に狙いを定めた。魔狼の姿を見たときに、最も驚きおののいた者だった。
爪が石畳を弾く音と共に、魔狼が飛び掛かる。その口が大きく開かれ、鋭い牙が兵の首元に食い込む。押し倒された兵のわずかばかりの抵抗も空しく、喉笛が喰いちぎられた。間欠泉のごとく噴き出した血を浴び、魔狼が次の獲物を品定めする。
「このッ!」
最も早く反応出来た兵が剣を振り上げた、その時だった。風を切る音と共に飛来した物体が、その兵の首を貫いたのだ。弩に用いられる太く短い矢だった。魔狼に気を取られている内に、小舟からオークやゴブリンの一団が港に降り立っていた。弩のほか、剣や斧、槍を手にしている。
「なんだこの数のオークは……! 誰でもいい、この事を報告しろ!」
警備兵の隊長が声を上げた。管理官と警備兵のうち、足腰が立つ者だけがその場から走り去る事が出来た。それに応じるかのように、隊長と思わしきオークが手を振って合図を送る。魔狼にまたがったオーク数騎を先頭に、歩兵のオークとゴブリンの一隊が続いた。残された管理官と警備兵八人に対し、同じ編成の一隊が壁際に追い詰めるように詰め寄る。追跡と包囲に加わらなかったオーク達はその場を離れ、足早にどこかへと向かって行った。
息も切れ切れに必死で駆けた。背が低く小柄な体型である事を活かして細い路地に入り込み、オーク騎兵の追跡を逃れる事までは出来た。だが、今度は短剣を手にしたゴブリンが追ってきている。時折、遠くから悲鳴が聞こえた。それが誰のものか聞き分ける余裕などない。犬亜人の管理官コリンズは、逃げる事が出来た者達の中でただ一人の生き残りとなり、数歩後ろに迫る死から逃れるべく走り続けていた。
「こっちだ、こっちに来い!」
コリンズを呼ぶ声が聞こえた。
人間の男の声だった。
コリンズは走りながら何度か振り向き、声の主を探した。その時、走り疲れたのか視界を左右に振った事でバランスを崩したのか、足がもつれて転んでしまった。好機とばかりにゴブリンが距離を詰め、短剣を逆手に構えて飛び掛かる。コリンズの背中に刃が突き立てられるかと思った瞬間、ゴブリンの体は弾き飛ばされるように地面に転がった。痛みにうめく声は弱々しく、突っ伏した体からはどす黒い血が流れ出ている。
「大丈夫か?」
「ありがとうございます……」
声の主と思わしき男に差しのべられた手を取り、コリンズは立ち上がることが出来た。転んだ際の擦り傷を除き、彼に怪我は無かった。
「そうか、昼間のあの小舟が……」
男が働いている倉庫の事務所にて、コリンズは事の次第を男に説明した。男の上司や職場の者達も同席しており、先ほどの騒ぎについて聞き入っている。
「って事は、まだ港のどこかにオークやらゴブリンやらが潜んでるんですよね?」
「そうなるな。それに、もう日も暮れた。今は奴らの方に分がある」
男の上司、倉庫の管理人を勤める大男が顎鬚を撫でながら答える。事務所内に軽いどよめきが起こった。オークもゴブリンも魔狼も、永久の闇の住人と称されるだけあって、夜にその力を発揮する。
「しかし妙ですね。あれっきり悲鳴やら何やら聞こえなくなりました」
「気を抜くなよウォーレン。この前もそうやって酒場で油断したじゃねぇか」
「いや、アレは倒れたフリして足首掴むとか言う汚い真似した奴が悪いんですよ、親方」
コリンズを助けた男が言った。親方と呼ばれた大男との会話から、ウォーレンという名らしい。コリンズは内心震えながら黙って様子を伺っていた。管理官や警備兵を駆逐したオーク達が、夜の加護を得て港で暴れ回るのはわけない事だが、そのような騒ぎは起きていない。その時、偵察に出ていた若い水夫が戻ってきた。
「オークの奴ら、どうやら港を離れたようです。すっ飛んできた衛兵に鎮圧されたのが五匹ほどいたようですが、それ以外の奴らはどこかへ逃げたようですね」
「逃げるって言っても、何処へだ?」
「わざわざ舟で港に殴り込んで来て、数十人を殺傷するだけで逃走ってのもおかしいよな」
従業員や水夫が口々に言った。コリンズは折を見て港湾管理の部署に戻ろうとしていたが、席を立つタイミングが見つからない。居並ぶ男達の体躯もあるが、元より彼が小心者なのもあった。ふと、倉庫の外が騒がしい事に気付いた。オークやゴブリンによる騒ぎとは、少し毛色が違う。互いの意見を並べていた男達も気が付いたらしく、何事かと外へ出た。事態はすぐにのみ込めた。
「灯台の明かりが消えてるぞ!」
「何があったんだ!」
「大変だ、すぐに航行している船に連絡を取れ!」
王都から少し離れた岬にそびえる、モーギナス灯台の明かりが消えていたのだ。水運が重要なボートミールににおいて、灯台の光が失われる事は、夜の道を行く者が月の光を失うに等しい。このままでは、生命線たる水運が機能しなくなる。それは王都ボートミールの首を絞め、ハーム王国を死に至らしめる可能性を大いに含んだ一大事であった。
大陸暦六一五年 双生の月初旬
ボートミール港にて不審な舟より襲来したオークの集団により、死傷者多数発生
―ボートミール港湾管理局『双生の月四日の報告書』より




