第一話『王子と将軍』
大陸暦六一五年、雄牛の月中旬―
メーシア大陸南東部を治めるハーム王国は、幾つかの難題に直面していた。
まず、北隣のカッサーナ皇国を二分する内戦が十年にも渡り、反乱軍の勢いを食い止める為、復興支援の名の下にハーム軍まで駆り出されている事による人員や財政の圧迫。続いて、先の戦争で西方の群島自治区の政治的中立を破ってしまった事による関係悪化。更に、国内で近年多発している魔族や魔物、亜人族による都市部や隊商への襲撃事件。
いずれも大元を辿ればモノゲア帝国のカッサーナ侵略にあるのだが、今なお強大な力を有する帝国に対処するには、ハーム一国ではあらゆる面で不足しており、直面している問題に対処する事しか出来ないのが実情であった。
「将軍、もう一度」
大陸南岸に面した港湾都市を城下町に栄える王都ボートミール、城内の練兵場に人影が二つ。
片方は長身で白銀の鎧に身を包み、形のよい鼻先と垂れた耳に毛並みの良い金毛の犬亜人。もう片方は少し背が低く、後ろ手に一まとめにした緑髪が特徴的な人間の男子で、訓練用の木剣と革の胸当てという簡素な出で立ちではあるが、整った顔立ちや立ち振る舞いから、ある程度の身分の者である事がうかがい知れる。
「分かりました、もう一度」
将軍と呼ばれた犬亜人が木剣を構え、緑髪の少年と相対する。
「どうぞ」
将軍の言葉に、少年が地を蹴る。互いの木剣が空を切る音を立てながらぶつかり合い、重く乾いた音を立てた。体格差から鍔迫り合いを避け、袈裟懸け、払い、突きと木剣を振るう。将軍の受け太刀は的確で、最小限の負担で少年の太刀筋を捌いている。七、八回ほど打ち合ったところで攻守交替、今度は将軍が鋭い太刀筋で少年に迫った。一撃が速く、重い。避けるも受けるも敵わず、五回目で少年の木剣が宙を舞った。
「五回まで持ち堪えましたか、腕を上げましたね、王子」
王子と呼ばれた少年が受け太刀で痺れた手をほぐし、将軍に向き直る。
「そうは言うが、お前の剣をたった五回しか受けられないようでは、僕はまだまだ弱い。もっと強くならないと」
「王子、練兵場での訓練が許されてからと言うもの、時間を見つけては訓練漬けですな。差し出がましいようですが、王位継承者としての勉学の方は大丈夫でしょうか?」
将軍の心配をよそに、少年もとい王子は得意な笑みを浮かべて答えた。
「そっちの方は心配いらん。先日も経済の授業で先生を驚かせてやった。貴族連中が目を白黒させていたよ」
「……王子、ちゃんと休まれていますか?」
「休んでいる暇など……僕には無い」
明るい調子から一転、王子の声と表情が色を失う。
「僕は武術でもって手の届く所にいる人を、知略でもって手の届かない所にいる人を、守れるようにならなければならない。だから、休んでいる暇など無いと思っている」
「王子……」
将軍も掛ける言葉を見失い、途方に暮れる。そんな将軍の顔を見上げ、王子は優しく声を掛けた。
「心配しないでくれ、キャシック将軍。休む時は休んでいる」
王子が木剣を拾い上げ、土埃を手で軽く払った、その時だった。
「兄上様、父上様が呼んでいますわ!」
練兵場に若い娘の声が響く。王子と面影を重ねつつも女性的な面が浮き出た顔立ち、きらめき波打つ小麦色の髪を後頭部で括り、膝丈に調整したスカートの動きやすさを重視したドレス姿は、見る者に活発な印象を与える。
「分かったよミリアム。着替えたら行くと伝えておいてくれ」
「分かりましたわ。あと、キャシック将軍も一緒に来て欲しいそうですわ!」
ミリアムの言葉に、王子と将軍は顔を見合わせた。
「ニックです、入ります」
着替えを済ませた王子、第二王子ニックが王の間に姿を見せると、そこにはすでに第三王女ミリアム、キャシック将軍、そして遠征から帰還したばかりのレッター将軍が待っており、奥の王座には国王ハロルド三世が座している。
「レッター将軍、戻ってたんですね」
「えぇ、半日ほど前に戻ったばかりで、船からの荷揚げが済んだので報告に参りました」
レッター将軍は人間ではあるものの、その巨体は熊とも獅子亜人とも見紛うばかりで、端から見ると威圧感が人の形を成したようにも見える。だが、実際のところ彼の性格は穏やかで、自然と人が寄ってくる。無論、戦場に出れば将として戦士として、その巨躯に違わぬ力を振るう。
「……以上、テーキス地方におけるオークの動向と討伐結果になります」
「ふむ、一〇〇〇の兵のうち一〇〇を失う程か。補充と訓練の期間などを考えると、キャシックにそこまで兵力を割けぬが……」
国王は申し訳なさそうな視線をキャシックに送る。実際、ハーム王国の状況は芳しくない。
「いえ、我が騎兵隊は精強、多少の数の不利は補えましょう」
「すまんな、キャシック将軍。私がもう少し兵を残せれば良かったのだが……」
「気にするな。しかし、オーク相手に貴殿の魔法兵団が苦戦するとはな」
今回の遠征は、レッター将軍率いる魔法兵を中心とした一〇〇〇名による、オーク討伐が目的であった。ボートミールから東、国を東西に二分するジュニーク海を越えた先にある、王家直轄領テーキス地方は肥沃な丘陵地帯であり、農業や牧畜が盛んなハーム王国の食糧生産の要である。近年、オークの群れが付近の町や村を襲い、住民の殺傷や家畜の強奪などの被害が増え、地方の兵では対処しきれなくなり、王都から船で五日かけて将兵が派遣されてくるのだ。
レッターは廃墟となった牧場を根城にしていたオークの群れを、三〇〇の兵力と踏んで攻撃したが、それはオークが仕掛けた罠だった。牧場に対して包囲網を伸ばしたところで、付近の茂みや窪地に潜んでいた別動隊による奇襲を受けた。浮き足立ったところに牧場から出撃してきたオークに挟まれる形となり、総勢三〇〇に満たなかったオークを相手に一〇〇の兵を失う被害となってしまった。
その後は慎重に駒を進め、オークの活動エリアをすり潰すように進軍、最終的に五〇〇近いオークを討ち取る事に成功した。そして、一月を経て帰還したのであった。
同年、双生の月初旬―
「オークが作戦を……か。気になるな」
半月後、遠征部隊の編成を終えたキャシックはテーキス地方行きの船の上にいた。現地にはレッターと交替したパッテン将軍が八〇〇の兵を率いて駐屯している。水夫の邪魔にならないよう、船内の執務室で部下からの報告を待つ間も、レッターの報告書に目を通していた。
「キャシック将軍、全ての兵馬、兵糧その他物資の積み込みが終了しました。風や波も申し分ありません」
「分かった、出港の準備を進めるよう伝えよ」
程なくしてハーム王国軍の船団はボートミールの軍港を離れ、テーキス地方に船首を向けて進みだした。陸地がはっきりと見えるほどの沖合いまで離れた頃、キャシックはふと灯台の方を見た。城からもその姿がよく見えるほど大きく、付近の海を航行する全ての船の道標。それが彼の視線の先にあるモーギナス灯台であった。
「あの灯台の灯りがある限り、ハーム王国は決して潰えない……」
王国を取り巻く情勢は決して穏やかなものではなく、ひとつの油断や失策で破滅的な局面を迎える可能性まである。ハーム軍を率いる将の一人として、国や民の為に何が出来るのか、ニックの言葉を思い返しては、自身の心を引き締める。
その時だった、三隻の小舟が船団の脇をすり抜けるようにすれ違った。甲板上の見張りや兵士から、小舟に対して怒号が飛ぶ。船がコントロールを失うほど波は高くなく、風も強くない。
「今の舟は我が船団が軍船と知った上での接近の可能性があります。追い掛けて臨検しますか?」
「いや、もうあんなに離されている。港に使者を出せ。足の速い舟が異常接近してすれ違った。不審者に気を付けろ、とな」
「はっ、ただちに」
兵士を下がらせてから、キャシックは臭いに気が付いた。すれ違った小舟から漂っていた残り香、傷んだ肉のような据えた臭い、えも言えぬ不快感が鼻を突く。死体でも載せていたのかと思いつつ、彼の脳裏を抜けた嫌な予感が拭われる事は無かった。
大陸暦六一五年 雄牛の月中旬~双生の月初旬
ハーム王国テーキス地方よりレッター将軍帰還、交代でキャシック将軍出征
―ハーム王国軍記『ハロルド三世治世の時代』より




