第二十四話『鉱山都市ホツキネ防衛戦』
大陸暦六一五年、王者の月下旬―
ホツキネの防壁の見張りから連絡が入ったのは、太陽が南から少し傾き始めた頃だった。
晩夏のビルカ山岳の空は、わずかな青の切れ端を残して分厚い雲に覆われており、いつ黒々とした色を帯びてもおかしくなかった。守勢にとって悪天候は都合が悪い。雨は視界を塞ぎ、音を遮る上、湿気で立ちこめる雑多な臭いは、犬や豚亜人の自慢の鼻さえ撹乱されてしまう。
「こりゃ、ひと雨来ますな……」
「アントニオ、この防壁に抜け道はあるか?」
「えぇ、長雨の時期に備えて、非常用の水路が幾つか。百年以上前にこの防壁が作られた時から、ゴブリンやドワーフといった身の丈の小さい奴らが保守点検しております」
太陽が雲に遮られ、見合わせる互いの顔に影が差し込む中、ニックとアントニオは来る時に備えて緊張の糸を張り詰めていた。防壁から望む東の街道に、敵勢と思わしき集団の影が、少しずつ大きくなってくるのが見える。数時間も経たないうちに攻撃が開始されるだろう、アントニオの指示の下、弓兵や投石兵が出揃った。近衛兵やキャシックの銀騎兵と比べると、板金の甲冑よりも鎖帷子が目立つ。
「こちらの装備にも予算を回さなければならないかな……」
ニックは居並ぶ守備兵を見て呟いた。守備隊長であるアントニオに至っては、ほとんど服同然の革製の鎧に、防御や肉体強化の術式を使うための魔晶石を備えた装飾品くらいしか身に付けていない。この際、足りない部分は士気で補うしかない、ニックは腹を決めて前を見据えた。
「何だあれは……」
空を覆う分厚い雲が黒みを増し、いよいよ大小の雨粒が降り注ぎ音を立て始めた頃、正体不明の敵軍が間近に迫った。弓兵は矢を番え、投石兵は革紐の網に石を入れる。そんな中、守備兵の誰かが、敵陣に垣間見た異様な存在に、小さく呟いた。
「何だって、ゴーレムか何かじゃないのか?」
「それにしちゃ、やけに大きいぞ。それに……あれは何で出来てるんだ?」
ゴーレムは魔晶石を核として、土や石、木など建材を中心に形成される事が多く、大きさも平屋建ての小屋程度のものが一般的である。伝承の中では、溶岩や万年氷の塊、果ては稲妻の轟く雨雲から作られた事もあるとされるが、今この守備兵達が見ているゴーレムは、それらとも一線を画す存在だった。
「銀……なのか?」
「そうか?俺には液体に見えるんだが。灰混じりの泥じゃないのか?」
守備兵がざわついていると、やけに大きい―風車ほどの大きさのゴーレムの右腕がゆっくりと持ち上がり、指のない掌を防壁に向けた。そこにはぽっかりと穴が開いており、見ようによっては大砲にも思えた。そして、その穴に一筋の光を見出した、次の瞬間だった。
一閃、まさにその表現しか当てはまらないほど、凝縮された光の筋が一直線に防壁を貫いたのだ。直撃を受けた箇所は丸く抉り取られたかのように消し飛び、その付近にいた守備兵も同様の運命を辿った。
「な……何だ!?」
突然の衝撃に、ニック達も思わず我が目を疑った。矢も届かないほどの距離から放たれた一撃で、防壁が守備兵もろとも消し飛んだのだ。遅れて通り抜けたエネルギーの残滓と思わしき光の粒を見て、ミリアムは思わず両腕を押さえてうずくまった。
身の毛もよだつほどの悪寒が全身を駆け抜け、顔は人目見ても危険だと察せられるほどに青い。
「ミリアム、どうしたんだ!」
「オリビア……この魔力……オリビアのものですわ……」
尋常ではない容態をニックに問われ、ミリアムはうめき混じりの絶え絶えな声で答えた。
「オリビアと言えば、ベクォン家の令嬢ですな。宮廷魔術師を多く輩出したベクォン家は、生粋の『魔法使い』の血筋と聞きます。魔晶石も使わずに、自身に流れる魔力だけで術式を行使出来るとか」
「あぁ、それはあたしも契約の時に聞いた。だが、姫様のこの容態はどう言う事だい?」
ガイラーとエリスが言葉を交わす。ただ魔力に当てられたからではない。どちらかというと恐怖によるものに近い。オリビアの魔力を直に受けた経験のあるミリアムが、その記憶を恐怖として認識しているのだった。ミリアムの脳裏を過ぎるのは、ジリボンの港でオリビアの放った炸裂火の術式の常識外れな破壊力と、自分を庇って焼かれたウォーレンの最期だろう。
「お前ら何やってる!敵が射掛けてきた!かなり勢いづいてるんだ、応戦しろ!」
アントニオからの怒号に我に返った一同は、押し寄せる敵への対処に追われる事となった。防壁の一部が消し飛ばされて移動に支障をきたし、守備兵も浮き足立って高かった士気も吹き消されている。寄せ手から飛来する矢に当たって倒れる弓兵の数は少なくなかった。
「コリンズ、やれるか!?」
「はい、これだけの魔晶石と、この天気なら……でも、時間が掛かりますよ!」
「任せておけ。充分過ぎるほど時間を稼いでやる」
防壁の後ろ、魔晶石の砂で術式強化の陣を敷き、杖と装填された魔晶石を輝かせながら、コリンズは精神を集中させていた。彼もオリビア自身の魔力を見たのは初めてだったが、ジリボンの夜の戦いで彼女の強さは知っていた。術式戦になるのであれば、大掛かりな一撃を用いて一気に決める必要がある。自分に降り掛かる反動も厭わず、命がけの術式行使に臨んでいた。その覚悟を汲んだロスも、ありったけの重武装で応じたのだ。
「ゴーレムの腕が光った!」
「下がれ!あの光が来るぞ!」
光の筋が再び防壁を貫く。一発目とは異なり、速やかに後退したため人的被害は逃げ遅れた数名で済んだが、応戦の手が止まる事で敵の侵攻が早まった。掛かる梯子から敵兵が押し寄せてくる。槍で払っても叩き伏せても間に合わず、同時に門を打ち据える破門鎚の勢いも増していた。
「ニック様」
「分かった、門を開けろ!」
ニックは突然、開門を命じた。
破門鎚を押さえ込む兵が後退し、門を開けようとすると、拍子抜けに抵抗がなくなった寄せ手の兵が、勢いのままに門を破って突っ込んで来た。だが、これは降伏でも諦めでもなかった。ぬか喜びした破門鎚の持ち手や乗り込んで来た兵が見たのは、ハーム王国軍最強と名高い銀騎兵がずらりと馬首を並べ、各々の得物を携えている光景だった。距離は投げ槍の射程ほどには空いており、状況に応じて下馬する事も可能であった。
「おい、聞いてないぞ、あんな奴らがいるなんて」
「お、落ち着け、騎兵は騎兵だ。槍を構えて壁の前に並べばいい。そうすれば、奴らは突撃なんか出来ないはずだ」
銀騎兵と敵兵が、防壁の内側で膠着する。キャシックと並んだニックはその時、初めて敵兵の容姿をはっきりと確認した。ベクォン公爵領軍の兵士も混ざっているが、多くは傭兵くずれや山賊、盗賊団による混成部隊だった。大方、金で抱き込んで私兵化していたのだろう。銀騎兵が一歩前進するたびに、敵の槍が震える。そんな中、防壁から少なくない数の兵が投げ落とされてきた。
「この程度の雑兵で、ハーム王国軍近衛兵のエドワード・ロスを討ち取ろうなど、片腹痛いわ!」
「張り合いがないわねぇ。王子様の方が未熟だけど、情熱的だったわ!」
長短二振りの剣、トカゲ亜人の巨躯と鍛え上げられた肉体、その全てを武器にして暴れ回るロスと、その隙間を縫うように舞い、撫でるように軽やかに敵の四肢や首を斬り落とすエリス。防壁上の戦闘は決して有利ではなかったが、士気は萎えていなかった。
そんな中、三発目の光が解き放たれようとしていた。
大陸暦六一五年、王者の月下旬―
ギネッシーオをほぼ損害無しで落とせたのは大きかった。それでも、三五〇という寡兵でホツキネを攻めるのは困難極まるというより無謀だろう。しかし、数の不利は覆せる。妹がいる限り。
この先何があっても、お前は僕の妹だ。
―ハンス・ベクォンの手記『王者の月二七日』より




