第二十二話『誓いと一矢の炎』
大陸暦六一五年、王者の月下旬-
マルキヤが明日からの作戦について相談しようと切り出した矢先、レッターの口から飛び出したのは撤退の二字だった。
「撤退……だと?」
「あぁ、アギラの住民とテーキス地方の避難民、そして動ける兵士は全員連れて撤退だ。我々の乗ってきた船とお前の砲艦、それに貨物船や漁船も合わせれば、なんとか全員乗せられるだろう」
味方の損害は少なくないが、その分だけの敵も討ち取った、さらに味方の増援も来た。負けると思っていなかったマルキヤにとって、レッターからの撤退という言葉には現実味を感じられず、そして裏切られたような気分だった。
「確かに、弓兵も飛行兵も約半数を失った。だが奴らは火焔飛竜を全て失った。街も焼かれなかったし、人々は落ち着いている。負傷者も貴様の魔法兵に治癒の術式でも使わせれば治るだろう」
「連中の火焔飛竜が全て失われたと、何故断言出来る?此度の騒動は、ベクォン家が関与しているのだぞ」
「いくらベクォン家の後押しがあろうとも、国家と貴族では格が違う。あれ以上の火焔飛竜がまだいるとでも言うのか」
「私は、いるだろうと推測している。連中はモーギナス灯台を占領させたオーク達に、瓶詰めのスライムやゴーレムの魔晶石を持たせてきた。かなりの下準備をしていると見て良いだろう」
レッターやパッテンの戦果から、テーキス地方のオーク達が今までとは明らかに異なる戦力と規模を有する勢力になっている事は、十分に分かっていた。それでもマルキヤは勝ち目があると踏んでいた。
「それと、我が軍は兵糧の問題がある」
兵糧、レッターの言葉に喉をついて出たのはその一語だった。
「お前の兵は一月ぶんの兵糧しか持たされていない。その上、テーキス地方各地からの避難民を、このアギラに入れてしまった。恐らく、小麦の備蓄も危ういだろう。そこに私の軍がやって来た。ここで撤退を選ぶのであれば、我々の兵糧を全て足して、兵も民も飢えさせる事なく王都まで運ぶ事が出来る」
ふむ、と唸ったマルキヤは、思わぬところから足を掬われた気分になった。船ならば乗る人員も物資も限りがあるため把握しやすいが、陸ではあらゆるものが流動的であった。
「ならば、いつ頃から撤退を始める?」
「早いに越した事はない。今夜からでも」
「そうか、ならば今すぐ取り掛かろう。」
即断即決からの行動の早さ、それがマルキヤ将軍の特徴であった。貨物船や漁船の徴発、軍船の荷下ろし、負傷者の運び込み、命じられた兵が着々と作業を進める中、二人の将軍は自分達になすべき事があるとばかりに、衛兵を連れて部屋を出ていった。
「かがり火と旗をありったけ持ってこい!」
「火薬と油、柴束に魔晶石もだ。配置はレッター将軍の言う通りにしろよ!」
兵糧と薬品、最低限の魔晶石を残し、下ろせる物資は片っ端から下ろす。
日も落ち月が昇り出した頃、アギラの城壁にずらりと並んだかがり火と林立する旗は、寄せ手に警戒心を抱かせた。夜の間は闇の魔力で力を増すオークやゴブリンによる夜襲は、最も気を付けなければならない。その間にも、マルキヤ主導による住民や避難民への説得と貨物船の徴用と、レッター主導による工作が進んでいる。
「……なんとか、説得には応じてもらえたし、船も全て徴用出来た。あとはボートミールの役人に任せるか。そっちはどうだ?」
「こちらも、準備は出来ている。一通り乗り込んだら、一部の兵と船を残し、すぐに船を出すぞ」
砲艦チョッパルカの艦長室にて、憔悴しきったマルキヤが椅子に深々と体を預けていた。慣れ親しんだ街や土地を離れる事に難色を示す者は少なくない上、乳飲み子や傷病者、老人が五日は掛かる船旅に耐えられるかという懸念もあった。だが、一人でも多くの民を助けるには他に手段がない事を理解してもらい、また一年以内にテーキス地方を奪還する約束を取り付けて了承してもらった。
「父上、お疲れ様です」
「おう、アンドリュー。自慢の砲艦も、ただの馬鹿でかい船になってしまったな」
「そう言わないで下さい。砲弾も火薬も下ろしましたが、大砲は積んだままです、砲艦としての役目は残ってますよ」
「そうだな。弾がない事を悟られていなければ、砲だけでも十分な威嚇になる」
マルキヤ親子のやり取りを見ながら、レッターは準備完了の伝令を待っていた。
月は既に南の空高くに浮かび、城壁を照らすかがり火の灯りは煌々と街に降り注いでいる。住民と避難民は既に乗船を終え、後は食料などの物資を残すのみとなった。治療を終えた魔法兵や傷の癒えた兵も加わり、作業は急ピッチで進められる。
月が西の空に傾き、民も慣れない船での眠りに就いている頃、ようやく出港の準備が整った。
「よし、出港だ!軍船で貨物船と漁船を囲いながら進め!チョッパルカは威嚇のため、殿となる!」
軍の輸送船と民間の貨物船が次々に出港し、海上で隊列を整える。最初に港を出たチョッパルカは隊列に加わらず、弾のない艦砲を陸地に向け続けた。八隻の軍船が十二隻の貨物船と二十隻の漁船を囲んで保護するように陣形をなし、ボートミールに向けて出発する。数隻の漁船を残してすべての船が無事に出港出来た事を確認すると、チョッパルカも殿として隊列に加わった。
夜が白み、東の空から日が昇り始める頃、オーク達はアギラの異変に気が付いた。あれだけのかがり火と旗を並べているのに、人の気配がない。すぐさまグリフォン騎兵を送り込んで偵察をさせたが、人っ子一人見当たらない。その報告を聞いた指揮官達は、次々と部隊に攻撃命令を下した。城壁に近付いても矢も石も飛んで来ず、梯子を掛けても外されない。破城鎚で城門を叩けば、閂はあっさり折れて門扉が開け放たれた。
「見ろ、奴らはここを捨てて逃げたんだ!」
「俺達の勝利だ!」
「すげぇ、矢も砲弾も沢山あるぜ!みんな来いよ、戦利品の山だ!」
下卑た歓声を上げながら、八〇〇近いオークの兵がアギラの街を練り歩く。酒はあるか、女は残ってるか、金目の物ならたんまりだ、そんな事を言い合いながら闊歩していると、鼻を突く臭いに気が付いた。足元には濡れた感触、ふと振り返ると、不自然な柴束が一定の間隔で置かれ、それらは黒い粉のような物で引かれた線で繋がっていた。
「おい、これ……油じゃねぇか?」
「……ちょっと待て、この柴束も油で染みてるぞ」
「この足元の黒いの……こいつは……火薬だ!」
異変に気付いたオークが退け、と叫ぶも、街を占拠した勝者達の耳には届かない。
その時、街に残っていたレッターの兵が、指定された油の樽や魔晶石に向けて炸裂火の術式を放った。樽が破れ、引火した破片が方々に広がった。火は油と火薬に沿って駆けるように広がり、柴束を通じて家々や樹木にまで燃え移った。火薬の詰まった樽が爆発し、傍らに置かれていた砲弾がオークやゴブリンの四肢を折り、腹を砕き、頭を割った。
街全体が炎に包まれ、恐怖と混乱で右往左往するだけの群衆と化した者達は、次から次へと倒れては動かなくなり、炭へ灰へと燃え尽きていった。
大陸暦六一五年、王者の月下旬―
港湾都市アギラは陥落した。だが、ハーム軍が放った炎により舐め尽くされた街が機能を取り戻すには時間を要した。痛み分けか、マルキヤはそう呟くと、遠くない未来の奪還を誓い、燃え盛るテーキス地方に背を向けた。
大陸暦六一五年 王者の月下旬
船が出て少し経った頃、港の方から凄い音が聞こえた。
港が、街が、朝焼けよりも赤く染まっていた。
―アギラ住民のつぶやき『王者の月二七日』より




