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第十八話『歪んだ歯車』

 大陸暦六一五年、王者の月下旬―

 国王ハロルド三世はキャシック将軍を呼び、突然の出撃命令を出した。


「キャシック将軍、ただちに騎兵二〇〇を率いてビルカ山岳へ赴き、ニックを迎えに行ってもらいたい」

「はっ……?」


 キャシックは頭にいくつもの疑問符を浮かべ、顔を上げて玉座に目をやった。その瞬間、違和感に気付いた。いつもいるべき人物がおらず、代わりにいつもいない人物がいる。


「了解しました。ところで陛下、ニバラク大臣の姿が見えませんが……」

「大臣は亡くなりました。今朝、自室で毒を呷って。そのため、今は私が代理でここにいるのです」

「ニバラク大臣は我が国の功労者だ。その葬儀に王子がいないというのもな……」


 ニバラク大臣の代わりに立つ、王妃サラが言った。キャシックは突如として混乱の坩堝に叩き落とされた。

 ――大臣が亡くなった?

 ――自室で毒を呷った?

 ――王妃が大臣の代理?

 よからぬ考えが幾つも脳裏を過ぎる。努めて冷静に振る舞い、瞬間的な判断を立て続けに繰り出し、現在取れる最良の答えを導き出す。


「分かりました。して陛下、ミリアム様をお連れしてもよろしいでしょうか」

「何、ミリアムを?」

「はっ。ジリボンでの一件以来、ミリアム様はニック様のお顔も見ておらず、寂しい思いを抱えられております。共に迎えにと……」

「……ふむ、良いぞ。くれぐれも気を付けるように」


 キャシックは一礼して王の間を後にすると、すぐさま必要な人員や物資を調達し、部隊を編成した。


「モッツ、陛下より騎兵二〇〇をもってビルカに行き、ニック様をお迎えする事となった。準備を任せる。私はミリアム様に声を掛けてくる」

「はっ、お任せ下さい」


 ブランドン・モッツはキャシック将軍隷下の騎兵を率いる大隊長の一人で、将軍と同じ犬亜人のためか、よく行動を共にしている。信頼も篤く、部下からの評判も悪くなかった。モッツはキャシックから受け取った編成表を確認すると、調練場へと向かった。



「キャシック将軍、顔色がよくありませんわ。どうされたのですか?」

「ミリアム様、ニック様をお迎えに上がる事となりました」


 アリシアと共に地下書庫で本を広げていたミリアムは、キャシックの言葉に目が点になった。


「どういう事ですの?」


 王の間でのキャシックと同様に、ミリアムの頭にも疑問符が浮かぶ。アリシアは彼の微妙な表情から、ニックを迎えに行くという状況が決して好ましいものでない事を悟った。キャシックは王の間で受けた命令に関する事の次第をかいつまんで説明し、ミリアムを連れていく事を提案した件まで話した。蝋燭の灯がチリチリと燃える音が、異様によく響いていた。


「なるほど……確かに、ミリアムはニックに会えない事をずいぶんと寂しがっていたわね。行ってきなさい」

「分かりましたわ。それにしても……」

「ニバラク大臣が毒を呷って亡くなった、という点ね。私も気になるわ」


 アリシアの目つきが険しくなる。ニバラク大臣は職務において重大なミスを犯したとか、不義や不正に走ったという話もなく、真面目かつ誠実そのものと言うべき人物であった。その大臣が毒を呷り自害するほどの何かがあった―彼女は鋭い視線をキャシックに投げかけた。


「将軍、貴方の本当の狙いは何?ただ、ミリアムをニックに会わせようというだけではないわね?」

「それは……」


 キャシックはアリシアの視線に影を射抜かれたように固まり、強張った表情で言葉を失った。この王者の覇気にも似た鋭さは、ハロルド三世の気質を一番よく受け継いでいた。王家の内情をよく知るこの老将は、ニバラク大臣の代理として王妃サラが玉座の傍らにいた事を告げた。


「なるほど、母上とミリアムは反りが合わない……次の大臣が決まるまでの間、引き離しておく考えね?」

「そう、なります」


 歯切れの悪いキャシックの返事に、アリシアは小さく溜息を吐く。恐らく、まだ何か思う事があると踏んだのだろう。だが、ミリアムをニックに一日も早く会わせる事に関しては賛成だったため、それ以上の追及はしなかった。


「いいわ、ミリアム。ニックを迎えに行ってらっしゃい、気を付けるのよ」

「分かりました、今すぐ準備しますわ」


 そう言うと、ミリアムはキャシックに連れられる形で地下書庫を後にした。二人が去った後の静寂の中、アリシアは大臣の訃報の裏に、自分達でも知り得ない事情があるのではと勘繰っていた。


「毒……そういえば、ベクォン公……叔父様も毒の魔術に覚えがあったわね」


 一つのキーワードの元に、新たな運命の歯車が組み込まれようとしていた。



 騎兵二〇〇だけの出動、往復で十日と掛からない距離となれば、準備も早い。先日の遠乗りで目の当たりにしたビルカ山岳に、今度は足を踏み入れる。今にも駈足(かけあし)しそうになるミリアムを、キャシックとモッツが挟み込む形で諫めていた。


「ミリアム様、あまり急いではなりません。行軍の速さは荷の速さ、急ぎ過ぎると輜重(しちょう)が付いて来れません」

「分かっていますわ。でも、兄上様に会えると思うと、つい」

「逸るお気持ちは分かりますが、馬を下手に疲れさせると、かえって遅くなります」


 馬車ではなく、自ら馬にまたがったのは、少しでも先を急ぎたいという気持ちの現れであった。キャシック達からすれば、こういう時は、むしろ大人しくして貰った方が楽なのではあるが、無理もないと思うほかなかった。

 王都ボートミールからビルカ山岳の鉱山都市ホツキネまでは片道で四日ほど。三日目には交通の要衝であるジョクトーの街に辿り着く予定である。ミリアムは気持ちを落ち着かせながら、馬に揺られて山道を進んでいた。



「ここはどの辺りになりますの?」

「ビルカ山道の中継地となる、ジョクトーの近くです。ニック様に会われる前に、身支度を整えてもよろしでしょう」


 ボートミールを離れてから三日、山間部の開けた川沿いに、ジョクトーを囲う城壁が見えた。日は西に傾き、東の空から夕焼け空に薄紫が染み込んでくる。


「日が落ちる前に行きましょう。ミリアム様……」

「待って、将軍。山の向こう……何か聞こえません?」


 ミリアムの言葉に、キャシックは動き出そうとしていた兵を止めた。彼女が指し示したのは北東、ジリボンから続く道の途中、ベクォン公爵領と王家直轄領の関所を兼ねた街道の都市、ギネッシーオの方角だった。


「これは……鬨の声!?」

「盗賊か山賊でも出たのか?それにしては、規模が大きい……」


 山々に反響して彼方から聞こえる声に、その場の誰もが身構えた。


「モッツ、五〇騎を率いてホツキネに先行せよ。状況次第では、ニック様だけでも連れて戻れ」

「はっ、将軍もお気をつけ下さい。何が出るか分かりませんので」


 キャシックの指示を受け、モッツは五〇の騎兵を連れて、休む間もなく出発した。ホツキネとギネッシーオは三日の距離だが、急ぐに越したことはない。ミリアムは、山の向こうで待つ兄の身を案じていた。

大陸暦六一五年 王者の月下旬

最近、陛下の様子がおかしい。何かに焦っておられるのか。

その割に、王妃様は落ち着いておられる、むしろ余裕さえ見える。

大臣が毒で自害した事と、何か関係があるのか。

   ―ハーム王国軍近衛兵達のひそひそ話より

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