第十七話『闇』
大陸暦六一五年、王者の月中旬―
ニックは鉱山都市ホツキネから少し離れた鉱山の跡地を訪れていた。かつては有数の魔晶石の鉱山だったが、十五年ほど前に有毒ガスの噴出が起きて多数の死者を出す事故が頻発したため、やむなく廃鉱となったのだ。
「ニック様、何故このような場所に……?」
ガス対策のマスクを被り、さらに鼻の部分に濡れた布を詰め込んだコリンズが尋ねた。彼だけではなく、随伴した犬や豚の亜人達は同様の処置を施している。ガスの毒に対する耐性の違いもあるが、彼らは人間より嗅覚が鋭いというのもあった。逆に、毒に強いトカゲ亜人のロスに至っては、マスクすら被っていない。
「ベクォン家の屋敷で、魔術に関する本をいくつか読ませて貰ったんだ。その時、気になる本があってね、毒に関する本だ」
「毒関連ですか、魔術の中でも比較的ポピュラーな部類ですね」
毒に関する魔術は、間口が広く奥が深いと言われている。鉱物性、植物性、動物性といった毒の由来となるものや、速攻性、遅効性、蓄積の有無など効果の出るタイミング、体力や身体、精神機能の低下など効能に至るまでが事細かに分類されており、難易度や習熟度に応じて扱える毒が変わる。
「ベクォン公は毒に関する書物を貪るように読み漁っていたらしい。十数冊あった毒関連の本は、どれもページが手垢や脂で汚れ、指との摩擦で磨り減っていたよ」
「研究……というより、執着のようなものを感じますね」
「その中に、気になる記述があったんだ。魔晶石の採れる鉱山には、時折『流れる銀』が出てくる事がある、魔晶石の深い赤や重厚な金の結晶とは異なり、水のように流れ出ては、触れるものを次々と蝕む毒を有する銀のような物だ、とね」
「して、ニック様は何を確かめたいのですか?」
流石にマスクを被る事にしたロスが、ニックに尋ねる。ニックは少しの間、何も言わずに歩き続けたが、頭の中で整理を付けて話し始めた。
「この鉱山は魔晶石がよく採れていた。その分『流れる銀』も多く出ていたはずだ。だが、それが流出事故や汚染を起こしたという記録はない」
「と、なると『流れる銀』は、このビルカ山岳で然るべき手段によって管理、または何かに使われた、って事でしょうかね」
時折噴出するガスからニックを守りながら、ロスが返す。コリンズは臭いに参っているのか、口数が極端に減っている。大丈夫か、と聞くと手を上げて返事をするため、無理をしないペースで歩を進める。嗅覚が敏感なだけではなく、犬亜人は毒に弱い。随伴する豚亜人の中でも、魔術の心得がある者が灯火や浄化の術式を用いて、一行をサポートしていた。
「そうだ。そして、文献によると『流れる銀』は毒性が漏れ出ないよう、鉱山の奥である物に精製されていたという」
ニック達は足を止めた。
灯火の光で照らされた先には、朽ち果てた掘っ立て小屋のような建物がある。ロスが錆びた鉄扉をこじ開け、中に入る。照らされた建物の中は、外観とさして変わらぬ様相で、寝泊まりするための寝台や毛布、ある程度の保存がきく食料の入った壷、ここを利用していたと思わしき者だったもの、全てが等しく朽ち果てていた。
「なんか変な臭いするな」
「見ろよこの死体、骨が冬の落ち葉みたいに脆いぞ」
「うげぇ、何か出そうだな。早く引き上げたいぜ」
随伴した者達が口々に言う。王子の御前だ、と怒鳴りかけたロスを制し、ニックはコリンズを伴って調べものを続けた。何度目かの浄化の術式を受け、体調を回復されたコリンズが、とある資料を拾い上げた。
「これは……『流れる銀』を用いた霊薬の精製に関する研究?」
「霊薬だと?『流れる銀』ってのは見ての通りの猛毒だろう?」
ロスの強い語調に気押されながらも、コリンズは灯火の光を頼りに資料を読み進める。ニックも幾つかの資料を調べながら、文献から得られた知識を元に立てられた仮説を、より確かな物にしてゆく。それは一つの真実に辿り着くための道筋であり、同時にこの国の闇へと踏み入れる底なし沼でもあった。
「コリンズ、ロス、『流れる銀』が猛毒と判明したのはつい最近も事だ。それも、この鉱山での有毒ガス事故が原因なんだ。ここで行われていた研究のひとつ、熱せられた『流れる銀』を媒介にした術式の起動実験の際、蒸発した『流れる銀』の毒にやられて術式が暴発、坑道に露出した魔晶石のボタ石が連鎖的に呼応し、ガス噴出に繋がったんだ。今は『流れる銀』の毒性は失われているから、ガスの毒はそこまで強くない」
ニックはベクォン家の屋敷で読んだ文献に記された、ビルカ鉱山毒ガス事故の一部始終を噛み砕いて説明した。だが、彼の本題はそこではない。
「では、ここで行われていた『流れる銀』を用いた研究の本当の目的は……というと、コリンズが持っている資料に記載されている、霊薬の精製だ」
「しかしニック様、先ほど自分がコリンズに言ったように『流れる銀』は猛毒……いや、もしかして、毒と判明する前は違っていた、という事ですか?」
「そうだ。『流れる銀』が毒だと判明する前は、霊薬の材料だったんだ……不老不死の、だ」
吐き捨てるように言い切ったニックは、コリンズの持っている資料の続きを手に、押捺された印を突き出して見せた。押された印と記されたサインは、国王ハロルド三世のものだった。
「……国王は、不老不死の霊薬という眉唾物の存在を信じ、ビルカの鉱山で研究をさせていた。『流れる銀』を材料にしたものだ」
同時刻、ベクォン家の屋敷にてハンスとオリビアを前に、当主ルイスが静かに語り出した。王者の月特有の分厚い雲は暗く陰り、空を覆い隠している。
「私や宮廷魔術師だった父は『流れる銀』の毒について、それなりの知識はあった。ゆえに国王を幾度となく諫めはした。だが、聞き入れられなかった」
語り出しこそ静かだったルイスの口調に、不穏な重さが加わる。垂れ込めた雲からは、粒がぽつりと零れ落ち、それはやがて雨を成して降り注いだ。
「王家に嫁いだ姉さんが、心配になったよ。娘、第一王女アリシア様が生まれたばかりの頃だった。父が死んだ、それもいきなりではない。数ヶ月にわたる手足の震えや発狂じみた言動の末にだ」
雨足は強さを増し、空の暗さに呼応するかのような稲光が、轟音と共に辺りを白く染め上げる。その瞬間、ルイスの姿は黒いシルエットと化してソファと一体化しながら、眼鏡のレンズだけが不気味に光を放った。
「それから数年……今度は姉さんが死んだ。父よりも長きに渡って苦しみ、死んだのだ。二人の亡骸を見て、すぐに分かったよ。これは『流れる銀』の毒によるものだとね。国王は私や父の諫言を、半ば聞き入れていたのだ。だから、宮廷魔術師として近しい立場にいた父や、王妃だった姉さんを霊薬の実験台にしたのだ……!」
雷雨は急速に鳴りを潜め、ルイスの怨嗟を秘めた言葉は驚くほどよく響いた。ハンスとオリビアは父の形相に息を飲み、改めて決意の重さを思い知った。そして、復讐に駆られた瞳の炎を揺らしながら、ルイスは言った。
「私は復讐する。国王ハロルド三世に、ハーム王国に……!」
大陸暦六一五年 王者の月中旬
いつまでも隠し通せるとは思っていなかった。いずれ、明るみに出る事だったろう。それでも私は、己に課せられた任を果たすほかなかった。
―ハーム王国大臣アルフレッド・ニバラクの手記『王者の月二十日』より




