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第十六話『疑念』

 大陸暦六一五年、王者の月中旬―

 ニック健在の報せが王都ボートミールに届くと、城内から城下町、港の桟橋までもが喜びと安堵に包まれた。同時に、ハーム王国最大規模の商業都市ジリボンとの関係悪化は避けられない問題になり、王家直轄領のテーキス地方やビルカ山岳、西海岸側の港湾都市リーバに向けて、人や物、金の流れが変わるという見方が強まった。もっとも、ジリボンという巨大な経済基盤を損なうような事にはなるまい、という考えの方が強い。

 王の間では喜色満面な国王ハロルド三世が、重臣を集めて話し合いの場を設けていた。


「陛下!ニック様のご健在、私めも非常に喜ばしく思いますぞ!」


 切り出したのはパッテンだった。レッターと共にキャシックの部屋に乗り込み、愚痴を肴に秘蔵の一本を空けてから数日、今の彼にとってこれほどの朗報はない。禿げ上がった頭は喜びのあまり、幾度となく輝いた。


「うむ、喜ばしいのは分かったから、そんなに頭を光らせるでないぞ、パッテン」

「パッテン将軍、貴殿の機嫌によって頭が光るのは何による効果なのだ?」


 眩しそうに目を(しばた)かせる国王を横目にキャシックが尋ねたが、パッテンからは「俺様も分からん!」と返って来るだけだった。そんな和やかな雰囲気に水を差す事を承知で、レッターが重い口を開いた。


「しかし、気になりますな。ニック様はビルカ山岳にて、何をしようとしているのか……」

「それは私も気にしていた所だ。ビルカと言えば、鉱山都市が幾つかあるだけ、ニック様の興味を惹くようなものがあるとは思えないのだが」

「先のモーギナス灯台奪還の折にも、ニック様はビルカ方面に伝書竜を飛ばしていたようだ。あそこの鉱山地帯では多くの亜人やゴブリンが働いているので、注意せよという意味であったかもしれんがな」


 キャシックとレッターがニックの真意を考察する中、パッテンが気にしていたのは追伸の内容だった。


「陛下、この追伸のキトリヤ伯爵の関与、という点が気になりましてな」

「うむ、それはわしも同様だ。ニックにどのような確信があって、この追伸を加えたのか……」


 キトリヤ伯爵領はベクォン公爵領の北東に隣接する大規模の貴族領で、テーキス地方の真北にあたる。オークやゴブリン向けに作られた装備品を流通させる際、迂回して捜査の目を撹乱する狙いがあるとも取れるが、それは推測に過ぎない。


「レッター、貴様がテーキス地方に行くのはいつだ?」

「あぁ、それなら四日後だ。それがどうかしたのか?」

「よし、テーキス地方のオーク討伐に合わせて、キトリヤ伯爵領に近付いて探りも入れてみよう」

「なるほどな、しかし、手持ちの兵力で全てこなすとなると、少々厳しいものがあるな」


 パッテンの提案にレッターは好感触を示したが、いかんせん数の部分で足りないところがあった。テーキス地方で暴れるオーク達の戦術の巧妙化に加え、モーギナス灯台での損害の回復がまだ追い付いていない。


「言われてみれば、貴様の兵の損害が多いな……いや、貴様が戦下手なのではなく、奴らの手の内が変わったタイミングに、貴様が居合わせただけだ」

「いきなり何だ、パッテン。励ましているのかよく分からんぞ」

「それに、今から編成の変更も難しいしな。来月、俺様が入れ替わりの時に、探りを入れるとしよう。陛下、よろしいですかな?」


 矢継ぎ早に段取りを決め、国王に立案するパッテン。この状態になった猛将を止める事など不可能に近く、またその内容も正確であるため、止める必要さえなかった。戦の事になると、恐ろしいほどに頭が回る。面白そうな匂いがする、そう呟いた横顔は、身震いするほどの笑みで口許が吊り上がっていた。



「姉上様、お聞きしたい事がありますの」


 ボートミール城地下に作られた書庫は、今のアリシアにとっては最も気の休まる場所だった。ベクォン家の血を引き、ニック達を暗殺しようとした現当主ルイスを叔父に持つ彼女に対し、城の内外から冷ややかな視線を向けられる事が少なくない。人のあまり寄り付かないこの書庫は、半ば聖域と化していた。

 その聖域に、ミリアムが足を踏み入れてきた。広げていた本を閉じ、意識を現実に引き戻す。ひどく不機嫌な声で「何?」と返すだけだった。


「姉上様は、魔晶石を用いない術式の行使、出来ますの?」

「……出来なくはないわね。お母様から教わったけど、やった事はないわ」


 藪から棒に何を、呆気に取られて不機嫌な気持ちも吹き飛んでしまったアリシアは、ミリアムからの問い掛けに、少しの沈黙を挟んでから答えた。


「ベクォン家の血を引く者、特に女は魔力を宿しやすい体質になり、魔晶石がなくても、自分自身を媒介にして術式を使う事が出来る。やり方そのものは難しくないわ。でも、それは一度使えば人に戻れなくなる……そう、教えられたわ」


 アリシアの言葉に、ミリアムはオリビアの身を案じたが、その気持ちを見透かすように、姉の言葉は続けられた。


「ベクォン家の娘、確かオリビアだったわね。彼女から術式による攻撃を受けたでしょう?その時の威力と恐怖感、それはこれからも強くなるわ。膨大な魔力が溢れ出しているの。魔力が枯れて尽きるまで、止まらない可能性さえあるわ」

「……そう、オリビアはもう、助かりませんのね」

「ベクォン家秘伝の術式の中に、魔力に対する障壁や抵抗、封印の術式が多いのも、そのような事態に備えているのかもしれないわね。ミリアム、あなたも、自分の身を案じなさい」


 ミリアムは返す言葉もなく、静かに書庫を後にした。残されたアリシアはしばしの沈黙の後、再び本を開いた。か細い蝋燭の灯りに照らされて読み進める本の名は、ベクォン家秘伝、禁断の術式十選-



 その日の夕刻、執務室にて一息付いていたニバラク大臣の元に、王妃サラが訪れた。グレンを伴っていない所を見ると、何かを企んでいる-大臣は反射的にそう思うと、表情を険しくした。


「何用ですかな」

「ちょっと、聞きたい事があるの」


 意識して表に出さないよう努めつつも、眉間に寄るしわを隠せない大臣を意に介さず、サラは続けた。


「今の陛下に嫁いだ二人の王妃……その死の裏に何があるのかを知りたいのよ。貴方なら、知っているわよね?ニバラク大臣」


 色目を乗せ毒気を含んだ声で、サラの言葉がニバラク大臣に投げ掛けられる。その内容は、ハロルド三世にとって最大の醜聞であり、誰にも知られてはいない秘密であった。一体誰が-冷や汗の玉を全身に浮かべ、白黒する目を泳がせるばかりの大臣に、王妃の疑念が毒を帯びて突き立てられた。

大陸暦六一五年、王者の月中旬

ミリアム姉様が帰ってきてからというもの、アリシア姉様はよく地下書庫に行くようになりました。最初は城の人からの視線を避けるためだと思ってましたが、何か違うようです。

   第四王子グレンの日記『王者の月十七日』より

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