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第十三話『別離』

 大陸暦六一五年 王者の月初旬


「ウォーレン様!」


 ミリアムの周囲は、彼女を庇ったウォーレンの影で暗く、その他全てが炎で照らされていた。背中に炸裂火を受け、苦悶と驚愕の表情に満ちた彼の双眸が、不自然なほど輝いて見える。少し遅れて響く爆音と、漂う肉の焼け焦げる臭い。まぶたが裂けるほど見開かれた目を向け、開く限りの口許が声にならない叫びを上げる。

 行け―

 ミリアムは恐怖しながらも、まだ辛うじて動く足を出来る限り前に出しながら、松明で合図を送り続ける船に向けて走った。時間の進みが異様に遅く感じられ、体が鉛のように重い。燃え続けるウォーレンの肉体が放つ炎に照らされ、オリビアの影が彼女に向かって伸びる。それは、命を刈り取る死神にも見えた。追い付かれる―そう思った矢先、ミリアムの体が宙を舞った。


「テーヴァ!」


 ニックからの指示を受けたテーヴァが、ミリアムを掴んで船まで飛んで行ったのだった。待機していた船乗りに出航の合図を出すと、このよく躾けられた伝書竜は夜の空へと飛び立って行った。舫い綱が解かれ、貨物船が大急ぎで桟橋を離れる。オリビアの炸裂火(さくれつか)が追いすがるも、無関係な数隻の船と桟橋を焼き焦がすだけだった。



 この数ヶ月間、自分を取り巻く環境は大きく変わった。

 そこそこの規模の海運業に携わり、倉庫番や船乗りの仕事、荒くれ者との喧嘩に明け暮れる日々を過ごすこと十年以上。あのモーギナス灯台占拠事件があって、港湾管理官だったコリンズを助け、第二王子ニックに協力した。そして今、第三王女ミリアムを助けて焼かれている。巻き込まれたという感情は無かった。むしろ、この国を揺るがす一大事の中に自分がいる事が出来た、という思いの方が強かった。

 ニック様、ミリアム様、ご無事で―

 焼け焦げて引きつる体で精一杯の笑みを浮かべながら、ウォーレンは燃え尽きた。



 広場での戦いは一度の激しい打ち合いの後、水を張ったような静けさに覆われていた。どちらかが倒れたわけではなく、完全な膠着状態に陥ったからだった。

 エリスの太刀筋はまさに三日月が踊るようであり、剣の鋭さと美しさもあって幻惑されそうな気さえするが、そうなれば次に舞うのは自分の首である。血の河を石畳に刻む警備兵の惨殺体が、それを物語っていた。

 幾度目かの刃を避け、地面を二回三回と転がったニックは、倒れた警備兵の腰から長剣を引き抜き、立ち上がり様にエリスに向けて振り払った。切っ先が捉えた確かな感触、浅くとも入ったのはニックの刃だった。


「痛ッ……やるね、あんた」


 エリスの左胸から肩に掛けて、赤い一本筋が走っていた。滲む血が空色の体毛を赤く染める。遅れてくる痺れるような痛みに、彼女は左手に剣を持ち替え、右手で傷口を押さえた。エリスは自身の戦い方から軽さを重視しているため、革の胸当てくらいしか防具を着用しない。後は持ち前の身体能力と強化系の術式で補っていた。傷の痛みと出血に疲れから、これ以上の戦闘続行は厳しい状態であった。

 彼女に剣を向けてはいるものの肩で息をしているニックもまた、疲れと緊張から限界に達していた。騒ぎを聞きつけ、警備兵の応援が駆け付ける。近衛兵は二名残っていたが、他の傭兵は全員討ち取られていた。


「残るは貴女だけだ。ここで果てるか、降伏するか選んでもらう」

「確かに、こりゃあたしの負けだね。でも、どちらもお断りさ」


 エリスは剣を持ち直して腰の鞘に納めると不敵な笑みを浮かべ、へたり込んでいたハンスの襟元を引っ掴むと、自慢の脚力でもってその場から大きく跳び上がった。次の瞬間には商店のひさし、集合住宅の窓枠と伝って屋根にまで達し、夜の闇に姿を消していた。


「ニック様、この後はどうされますか」

「どうもこうもない、この街を出よう。ジリボンの治安維持がどこまで機能しているか分からない以上、下手に警備兵に頼るわけにはいかない。先ほどの者達はたまたま味方してくれたが、後から来た彼らも同じとは限らないんだ」


 コリンズの問いに、ニックは駆け付けた警備兵を見ながら答えた。すると、その中から聞き覚えのある声が返って来たのだ。


「安心して下さいよ、ニック様。僕です、ポールです」

「ポール?何故、君がここに?」


 声の主はニックの学友であり、夏休みで帰省していたポールだった。簡素な鉄兜に短めの槍、鉄の胸当てに短剣という頼りない装備ではあったが、返り血と土で汚れた寝巻きに長剣一振りのニックと比べれば、いくらかまともな姿に見えた。


「この方達は僕の実家が経営してる、サミサ商会の従業員です。ニック様、そして近衛兵の皆様、僕に付いて来て下さい」


 ポールは他の警備兵に話を付けて後を任せると、ニック達を手招きした。目を合わせて訝しがるコリンズとロスを尻目に、ニックはポールと共に歩き出していた。もう一人の小柄な近衛兵が付き従ったのを見て、二人もついて行く事にした。



 長い夜が明ける。東の空から新たな一日の始まりを継げる陽が昇り、ジリボンを照らして包み込んだ。

 屋敷に帰り着いたオリビアを待っていたのは、ベクォン夫人ヒルダだった。朝日に照らされ、憔悴しきった顔で馬から降りた娘を見て、彼女は脇目もふらずに駆け付けた。


「オリビア……大丈夫?」

「お、かあ、さ……」


 母の顔を見て、オリビアは安堵とも後悔とも取れない表情を浮かべる。口が動いても嗚咽混じりの声は上ずっており、聞き取る事が出来ない。何度か息を整え直して、ようやく声を発することが出来た。


「私、人を……人を、殺めてしまいました……」


 懺悔とも取れる告白と共に、両手で顔を覆ってしゃがみ込み、声を上げて泣き出すオリビア。ヒルダは娘の咎を責める事なく寄り添い、共に涙を流して悔やんだ。止められなかった自分の責任であり、罪だと。その光景を遠巻きに眺めていたルイスの表情は固く、心の内を垣間見る事は出来なかった。今の彼が考えている事は、ニックとミリアムの暗殺に失敗した上、警備兵どころか王都の近衛兵にまで多数の死傷者を出したエリスの始末であった。


「あー、あの顔はアレね。あたしを始末する顔だわ」


 エリスもそれなりの場数は踏んでいた。雇い主が何かと理由を付けて報酬を下げてくる事もあったし、使い捨てにされた事もあった。そういった雇い主は悪評が広まらないよう、上手いこと立ち回ってこちらを消しにくるものだ。実際に暴れ過ぎた節はあるものの、そう易々と始末されるわけにはいかない。彼女はニックに斬られた傷の手当も程々に、屋敷から姿を消した。



 ジリボンを離れて半日、ビアイキ湾の穏やかな波を切って進む船の上、ミリアムはハンモックに揺られながら泥のように眠った。ニックとの別れ、ウォーレンの死、オリビアが向けた敵意、自分を取り巻く環境が大きく変わった夜を越え、新しい朝を迎えた世界。


「兄上様……」


 ミリアムはニックと共に過ごした日々を夢の中で思い返しながら、これから始まる別離の日々を受け入れなければならなかった。

大陸暦六一五年 王者の月初旬

ニック様の補佐官になった、あの港湾管理官の頼みで近衛兵を連れてジリボンへ向かった。戻ってきたのはミリアム様ひとり。何が起きているんだ。

   ―機密保持のため没収された、貨物船の乗員の日誌『王者の月五日』より

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