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第十一話『傭兵エリス』

 大陸暦六一五年、王者の月初旬―

 エリスの剣は風のように速く、岩のように重い。最初の一太刀を短剣で受けた時、ニックはそう感じた。このままでは腕か短剣のどちらかを折られる。だが、回避に専念しようにも、ひとつ間違えればその時は腕か脚が飛ぶ。運が悪ければ腹を斬られるか首が飛ぶだろう。ニックが大きく薙ぎ払われた刃を避け、二回三回と地面を転がった、その時だった。


「ブルルル……」


 転倒から起き上がり、パニック状態に陥った馬車馬がエリスに向かって突進する。彼女も面喰ったが、次の瞬間には態勢を立て直し、突っ込んできた馬の脚から脇腹をすれ違い様に払った。左前脚を失った馬がバランスを崩し、崩れ落ちる。思いがけない乱入に息を乱したが、すぐさま呼吸を整える。だが、馬に気を取られている間にニックを見失った。


「しまった、二人ともいない」


 馬車を牽いていた馬は二頭、そのうち一頭はエリスに斬られた。しかし、もう一頭がいない。馬蹄が中心街に向けて消えて行くのが聞き取れた。あのわずかな時間でどうやって―エリスは状況を整理しようとしたが、まずは追いかける事が先決と、腰飾りに手を当てたが、魔晶石の反応がない。最初の追跡で使い果たしていたようだった。


「このまま逃すわけにはいかないね……!」


 魔晶石がなくとも、猫亜人である彼女には視力や脚力を中心とした身体能力がある。近くの塀から見張り小屋の屋根、防壁の縁から中心街の屋根へと飛び乗ると、ニック達が逃げた方向を見定め、追跡を開始した。少し遅れて、幌が焼け焦げた馬車が追いついて来る。どうやら、ミリアムの放った炸裂火の一発が、傭兵の乗る馬車を掠めたらしい。


「ふむ、あれは伝書竜かな。怪しいね」


 ニックを発見し、旋回して位置を知らせているテーヴァの姿を補足したエリスが距離を詰める。四階建ての集合住宅の屋根をいくつも駆け抜け、中心街西側の小広場にて合流していたニック一行の目の前に着地した。


「追いついて来たのか!?」

「術式で強化してなくても、市街地を走る馬ならなんとか追いつけるさ。それに、その伝書竜が居場所を教えてくれてたのさ。あたしを甘く見ない事だね」


 エリスは肩で息をしながら、居並ぶ者達を見定めた。寝巻き同然のニックとミリアムを守るように、近衛兵が五人と明らかに線の細い犬亜人、そして傭兵とも兵士とも違う装いの屈強な男が武器を構えている。呼吸を整え、腰から曲刀を抜いた。


「あれは……ブバーケの剣!?」

「コリンズ、何か知ってるのか?」


 コリンズが声を上げた。彼女の剣を知っている様相だった。周囲の者に守られながらも短剣を抜いて身構えるニックが、彼に尋ねる。


「モノゲア帝国東部ブバーケ地方に伝わる剣です。その昔、ブバーケ帝国は切れ味鋭いこの剣を用い、馬よりも大きな動物に乗った騎兵によって、当時のモノゲア王国に立ち向かったとか」

「ブバーケの剣……初めて見たが、凄まじい切れ味と一撃の重さだったな」


 ニックはエリスの太刀筋から、ブバーケの剣の強さを思い出していた。払う刃で馬の脚を断ち、その勢いのまま脇腹を裂いて絶命させた重さと鋭さ。あの殺気もこの剣の鋭さから来ていたものだった。


「おや、この剣を知っているのかい、博識だね。でも、邪魔するならここで素っ首叩き落としてやるよ。あいつらも来たしね」


 エリスの口許が妖しく歪む。雲が晴れて月明かりが小広場を照らす頃、夜の闇の奥から馬蹄と車輪の音が迫ってきた。ベクォン家に雇われた傭兵が八人、そして馬にまたがるハンスとオリビアが追いついてきたのだ。

 オリビアの傷は術式で治っているものの、その視線は穏やかさの全くない、敵意に満ちた冷徹なものだった。


「よくも、妹を傷つけてくれたな……王族相手でも容赦はしない。猛火の術式!」


 ハンスの剣に揺らめく炎が巻き起こる。月明かりさえ闇に落とすほどの輝きと高熱を帯びた剣を構え、ハンスはミリアムに突進して来た。近衛兵の一人が槍を構えて待ち受けたが、その穂先がハンスの馬を捉えるより速く、胸に氷の矢を撃ち込まれて倒れた。ハンスが剣を振り上げ、すれ違い様にすくい上げるように振り払う。ニックがミリアムを抱きかかえて跳び、直撃は免れたものの、代わりに炎の剣を受けた彫像が焼け溶けて崩れた。


「ニック様、ミリアム様、大丈夫ですか!?」

「コリンズ、近衛兵達と一緒に早く二人を連れて引き上げるぞ!」


 ウォーレンは突っ込んできた傭兵の一人と鍔迫り合いしながら叫んでいた。彼は傭兵でも兵士でもなく、港の倉庫番や船乗りが本業である。一応、護身も兼ねてある程度の心得はあったが、戦闘のプロである傭兵が相手では分が悪かった。


「へっ、出来るか? 人数はこっちの方が多いんだ」


 相手の傭兵が、下卑た声で迫る。押し切られ、剣が弾かれる。腹に大きな隙を作ったウォーレンが死を覚悟したのと、隙を突いて斬りかかろうとした傭兵がテーヴァの蹴りを受けて転がったのはほぼ同時だった。伝書竜として用いられる小型の飛竜ではあるが、高さと速さを活かした後ろ脚による一撃は、不意打ちには充分過ぎるほどの威力を持っていた。


「すまん、助かった。ニック様、妹様をこっちに!」

「分かった。気が強くて馬に乗せれば僕以上だが、大切な妹だ。頼んだぞ、ウォーレン!」


 ニックはミリアムの体を、ウォーレンに投げ渡すように託した。戸惑う暇もなく、たくましい肩に担がれたミリアムは、小さくなる兄と親友の姿を見ていることしか出来なかった。何度も離しなさいとウォーレンの背中を叩いたが、全力で駆け抜ける彼の足が止まる事はなかった。



 小広場での戦闘は依然として続いていた。

 小回りを利かせて馬を駆り、炎の剣を振るうハンスを相手に、這うように避けながら隙をうかがうニック。

 炸裂火と治癒の術式を使い分けながら臨機応変に立ち回り、オリビアに優位に立たせまいとするコリンズ。

 倍する数の上にそれなりの場数を踏んだ傭兵にも怯まず、互角以上の強さで奮闘する近衛兵。

 そして、身体能力に優れるエリスと三次元の一騎打ちをする事となったテーヴァ。


 接戦だった状況を打破したのは近衛兵の一人だった。

 傭兵の片手剣による一撃を円形盾で弾き、勢い余って近づいてきたその顔面に、盾による打撃を叩き込んだ。視界を塞がれて後ずさりする傭兵の隙を見逃さず、脇腹に開いた鎧の隙間から剣を刺し込むようにして突いた。血を吐き、臓腑にまで達した刃から自身の死を悟る傭兵は、近衛兵の体を掴み、仲間に串刺しにでもしてもらおうと思ったが、その頃には近衛兵は剣を手放し、槍で突き掛かって来たもう一人の傭兵の首筋に短剣を突き立てていた。


「ニック様を狙う不埒な傭兵二人、このエドワード・ロスが討ち取った!」


 黄金色のラインが美しい銀の鎧を返り血で赤く染めながら、近衛兵が声を上げた。兜のバイザーを上げて見せた素顔は、目元の古傷が目を引くトカゲ亜人のものだった。ロスはバイザーを下ろすと、苦戦している他の近衛兵の助けに向かった。

 その時だった。


「何をしている!」


 戦闘の騒音さえかき消すほどの怒声が、一連の騒ぎをたちまちに鎮めた。

大陸暦五二七年 大魚の月満月の日

モノゲア王国の攻撃を受け帝都陥落、ジュシー朝ブバーケ帝国滅亡。大陸北西部の制覇達成。

   ―モノゲア帝国歴史書『帝国統一戦争三巻』より

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