第十話『真夜中の逃避行』
大陸暦六一五年、王者の月初旬―
「取り逃がした?」
「はい、ゴロツキ共が寝床を襲った時、二人は既にいなかったそうです」
「くそっ……だが、この真夜中で足もない。そう遠くまでは行けまいが、中心街へ向かっているはずだ。ハンス、オリビア、馬で追い掛けろ。エリスは傭兵を半分連れて付いて行け。残りの半分はここで待機だ」
ニックとミリアムの脱出を知ったルイスが指示を出す。
オリビアと共に彼女の兄、ハンスが馬で駆け出した。馬術と魔法剣に秀でた才児であり、ミリアムとは馬場で腕を競い合っていた。友人であれば頼もしかったが、敵になると厄介な存在だった。
少し遅れて、傭兵を乗せた荷馬車が屋敷を後にする。
「悪いが、あたしは先に行くよ」
揺れる金細工の装飾品がよく映える、空色の体毛が特徴的な猫亜人の傭兵エリスは、馬車から飛び出すと駆け足でハンス達に距離を詰めた。
左の腰に帯びた剣は緩やかな弧を描いており、彼女がこの近辺の生まれではない事を暗に示している。ベルトから吊り下げられた飾りには魔晶石が埋め込まれており、絶え間ない詠唱から紡がれる肉体強化の術式が、彼女の驚異的な脚力を生み出している。風よりも速く駆け抜ける様から、多くの同業者はエリスを『烈風』の二つ名を付けて呼んでいた。
「坊ちゃん、嬢ちゃん、ちょっと妙じゃないかい」
「どうした、何が妙なのだ」
「二人に追いつくどころか、影も形も見えないじゃないか」
追いついてきたエリスの言葉に、ハンスは目を見開き、オリビアと顔を見合わせた。
「屋敷から中心街までは一本道だ。二人は靴も履いていない、茂みに隠れての移動は困難だろう。間違いなく、この石畳の道を行くしかないはずなんだ」
「お兄様、あれを。我が家の馬車です!」
オリビアが前方に向けて、灯火の術式で作られた光の玉を飛ばす。照らされた馬車はベクォン家のものだった。騎馬と比べて速度は劣るが、馬車馬でも全力疾走させているので、かなりの速度が出ている。
「馬車の保管場所や馬小屋を覚えられていたか。オリビア、確かあの馬車は座席の下に、護身用の杖が何本か入っていたな」
「……えぇ。でも、術式の腕なら私の方が上です。追いつくまでに数発の攻撃は受けるはず、私が前に出ます!」
オリビアを先頭に、ハンスとエリスが斜め後方に付く楔形の隊列を組む。彼女は灯火の術式による光を強めて、ミリアムからの攻撃をおびき寄せる手に出た。
「ミリアム、そこの杖で迎撃してくれ。もう灯火の光がこっちにも差し込んで来てる!」
「分かりましたわ……」
ニックが手綱を取り、ミリアムが杖を構えて馬車の後方を見やる。オリビア達が迫ってきている。灯火の術式であれほど強い輝きを出せるのは、ベクォン家の者に他ならず、そして強さの中に温かさを帯びた輝きは、オリビアのものに他ならないと、ミリアムは感じ取っていた。学院では常に行動を共にする親友を、撃たなければならない。だが、撃たなければ自分と兄の命が危ない―
「炸裂火の術式・連弾!」
ミリアムの杖から放たれたのは、炸裂火の術式による火炎弾の連なりであった。魔晶石の消費や術者への負担は大きくなるが、一度の詠唱で同じ術式を立て続けに叩き込める。三連続で撃ち込まれた火炎弾は、一発目が大きく上に逸れ、二発目は右に逸れて脇の茂みを燃やし、三発目はオリビアの術式による防壁で弾かれた。
「炸裂火を物ともしないなんて……やっぱり、オリビアは……ならば、これならどうです!?」
続けてミリアムが放ったのは、火柱の術式だった。石畳を焦がして噴き上がる火柱ならば足止めになる、そう思ったのも束の間、火柱は呆気なくかき消されて追っ手の姿をかすかに照らしただけだった。追っ手の先頭は、やはりオリビアだ。炸裂火も火柱もかき消すほどの腕ともなれば、彼女しか思い当たらない。それほどまで術式防御は難しく、またベクォン家の秘伝とされているのだ。
「炸裂火の術式……」
何を思ったのか、ミリアムは馬車のすぐ真後ろに炸裂火を放った。爆発で石畳がめくれ上がり、彼女の眼前まで舞い上がる。だが、この距離ではオリビア達にぶつかるまでの間に地面に落ちる、恐らくそう読んだと、ミリアムは賭けた。
「突風の術式ッ!」
舞い上がった石畳の欠片や砂礫が、突風によってオリビアに襲いかかった。突風そのものは防壁で無効化出来ても、石畳そのものは物理的なものなので弾く事が出来ない。杖だけでは防御は不完全で、腕や顔にいくつも直撃を許したオリビアは、傷と痛みのあまり馬を停めてうずくまった。ハンスが馬首を返して彼女に詰め寄る。後を任されたエリスが追跡を続行、ニックは馬車を飛ばして中心街まで駆け抜けた。
「ベクォン家の方角から火の手が上がっている……?」
「ただの火事にしちゃぁ、変な場所から火が立ってますな。屋敷が燃えてるわけでもなさそうですし」
中心街の酒場で情報収集と景気付けの一杯を嗜んでいたコリンズとウォーレンは、外の騒がしさに思わず飛び出していた。慌てて出てきたマスターに頭を下げてお代を払うと、火の手が上がる方へと駆け出していた。近衛兵も万一の事態に備え、装備を万全にしていた。コリンズ達の姿を確認したテーヴァも、待機していた酒場の屋根から飛び立つ。
「テーヴァ、ニック様の元へ飛べ!」
コリンズの鳴らした竜笛とハンドサインを確認したのか、テーヴァは一気に速度を上げた。竜という生き物は育った環境に応じた属性のエネルギーを吸着させる性質がある。竜が自然と力の象徴とされる所以であるが、テーヴァは幼い頃から伝書竜として育った。そのため、この竜が得たのは『知覚』であった。主や巣を常に認識し、彼我の現在地を知る事が出来る知覚が、伝書竜の能力となる。
「やっぱりベクォン家の方だ、急ぎましょう!」
テーヴァの向かった先へ、コリンズ達が駆けてゆく。その先にニックがいるという確信があった。
中心街から少し外れ掛かった路地の辺りで、テーヴァが旋回していた。探し物を見つけたという合図だった。
中心街の入り口を越えて、気が緩んだのかもしれない、両断され横転した馬車から投げ出されたニックはそんな思いで横たわっていた。ミリアムの健闘でベクォン家の兄妹を足止め出来たと思った矢先、あの殺気が追いついてきた。馬車を左方向に曲げた瞬間、腰から抜き放った刃が馬車を前後に断ち割り、二人して転がり落ちたのだった。
「あんた達がハーム王家の、ねぇ。悪いけど、結構な額を貰える仕事なんだよ」
殺気が刃の形に沿って鋭さを増す。人の首どころか胴でさえ易々と撫で斬る事が出来るだろう。
体は痛むが、頭は打っていないし骨も折れていない。ニックはそれを確認するとゆっくり立ち上がり、短剣の柄に残る魔晶石を輝かせた。治癒の術式、ニックが使える数少ない術式であり、残された魔晶石でも起動出来るものだった。
「悪いが、そう簡単に殺されるわけにはいかないんだ。僕も、妹も」
治癒の術式は止血と鎮痛、回復力の強化である。擦り傷と打ち身の痛みを和らげたニックは短剣を構え、殺気の主である傭兵エリスと対峙した。
空色の脚が地面を蹴る。琥珀色の眼光が揺らめき、刃に宿る殺気と渾然一体の閃光となってニックに迫った。
大陸暦六一五年 王者の月初旬
いつから準備されていたのか、どれほどの覚悟で臨んだのか、それを推し量ることが出来なかった。
―第二王子ニック・ハームの日記『王者の月五日』より




