第百五話『審判の刻』
大陸暦六一六年、雄牛の月初旬-
天と地と人と、あらゆる意思ある者の注目を集めんばかりのニックは、全くと言っていいほど動じていなかった。むしろ、観覧席に詰め掛けた民衆の方が驚きを隠せず、どよめくばかりであった。裁判官が衛兵に命じ、衛兵が槍の石突きで地面を打ち鳴らして静粛を促す。改めてニックに注目した民衆は不気味なほど静かであり、誰もがこの英雄であり王子だった者の言葉に注目していた。
「私はニバラク侯爵領にて、届けられた陛下からの勅書を切り捨て、本来ならば王国軍に委ねるべき侯爵領兵の指揮権を奪いました。これらの罪に対して、それ以上の申し開きはありません」
ニックの言葉は淡々としていたが、罪の意識がないわけではなかった。とは言え、ニバラク侯爵領を解放したニックから、指揮権を取り上げる旨の勅書が出る方が不自然である。エッカートの反逆により連座で罪人となったため、というのが根拠であったが、その程度ならば反乱鎮圧後に会議なり裁判なりすれば良かっただけの話でもある。
「私の罪は陛下への反逆罪、先王への反逆罪の連座、軍の指揮権の不当な行使。一度や二度の晒し首では済まないでしょう。むしろ、私一人の首で済めば御の字というものです」
一貫して自身の非を鳴らすニックに、居並ぶ文官も裁判官も言葉が出なかった。言い訳の一つでもあればと思いながらも、一切の自己弁護も行わない。グレンは兄が思い詰めていると思っていたが、サラはニックの腹積もりを見抜けず苛立っていた。ふと、レッターの視線がニックから外れた。
「よろしい、ニック・ミアは罪を全面的に認めているか。これより判決に移る、ベクォン家とミア家、キトリヤ家の者を連れて来るように」
裁判官の指示を受け、衛兵がベクォン、ミア、キトリヤ各本家の一族を引っ立ててきた。当主の親兄弟に子孫が集められ、その数は三〇余名に達していた。ほとんどの顔は絶望と苦悶、憤怒と憎悪に満ち溢れており、特に反乱に加わらずに連座で捕らえられた者達からの視線は、人の心が染まる限りの闇を放っていた。
「判決を言い渡す。当主ルイス・ベクォンとエッカート・ミア、ならびにベクォン家、ミア家、キトリヤ家の一族全員に死刑を言い渡す。分家も財産の没収ないし徴収を行い、爵位を剥奪とする」
その判決に、観覧席は沸き立った。この反乱でハーム王国が喪ったものはあまりにも多く、人々の恨み辛みを晴らし溜飲を下げる意味でも、即時の処刑を望む声さえ聞こえていた。今すぐ処刑しろ、反逆者の首を斬れ、ベクォンの狗を殺せ、言葉として聞き取れたのはその程度だったが、それでも被告人のほとんどは震え上がり、先ほどまでの感情は全て恐怖へと塗り変えられていた。
「静粛に! 静粛に!」
裁判官が静粛を呼びかけ、衛兵が槍で地面を打ち鳴らす。観覧席にも衛兵や近衛兵を投入し、興奮の坩堝にある市民達を抑えて回った。公苑が落ち着きを取り戻すまで、半刻ほどの時間を要した。
「それでは、これにて結審とする。処刑の日取りは追って……」
「お待ち下さい!」
裁判官の声を遮り、馬蹄を響かせながらキャシックが飛び込んできた。衛兵が槍を構えてグレンを守るべく立ち塞がったが、彼は馬を降りた。馬具は鞍と鐙程度で、自身と合わせて鎧の一つも身に付けていない。剣さえ帯びていなかった。瞬くよりも短い間、キャシックとレッターが目を合わせた。
「突然の無礼をお許し下さい。ニック様の判決に際し、異議を申し上げたく思います」
「キャシック将軍、もう判決は出て結審となりました。異議は却下と……」
「よい、申せ!」
鶴の一声を上げたのはグレンだった。幼君とは思えないほどの通る声で、肚の底から震わされるような威圧感を放っていた。王の気迫のようなものを、父よりしっかりと受け継いでいた。
「はっ、ありがとうございます。ニック様は反逆罪の連座に問われるより前、モーギナス灯台の奪還とニバラク侯爵領の解放という功績を上げております。また、三つの罪に問われながらもジリボン攻略において奮戦し、ベクォン公爵捕縛という戦果を上げました。刑法によれば、国家への多大な貢献があった場合、それに応じて減刑や免罪となるとあります。過去には反逆罪への適応例もあります」
キャシックがニックの功績を語る間、公苑は静まり返っていた。ニックを英雄視する全ての者が、固唾を飲んで見守っているのだ。当の本人は表情一つ変えていないが、そのカードは既に切られていた。
「モーギナス灯台は我が国の水運の要であり、ニバラク侯爵領は北にカッサーナ皇国と接する重要な地、それらを奪還したニック様の功績は死罪を免除しても余るほどです」
老将の声は観覧席の隅々までよく通った。方々からそうだ、その通りだ、という声が聞こえてくる。グレンは険しい表情で、サラは忌々しげにニックを見た。英雄の表情は動かない。ここで喜色を浮かべて軽挙に出れば、全てが台無しである。自分の首が文字通り飛ぶだけでなく、キャシック家の破滅にも繋がるためだ。ニックはレッターにしか分からないほど、小さく顎を動かした。レッターの目線が動く。
「失礼ながら、申し上げます!」
原告側の席から立ち上がったのは、ニバラク侯爵ドネッドだった。今回のニックの罪では被害者に当たる。しかし、グレンの勅書を破ったのは彼であり、ニックは後にミリアムを嫁がせる為、ニバラク家の汚点を一身に受けた。その見返りが、手札になる事だった。
「此度の戦で、我がニバラク領はキトリヤ軍に攻め入られ、兵と民と合わせて三〇〇〇余名が命を落としました。家を焼かれ田畑を失い、困窮する者は五〇〇〇を下りません。これらの損害は、ひとえに私の力不足によるものです。しかし、そんな私どもを救って下さったのがニック様です。ニバラクの兵と民はニック様を英雄と思い慕っております。どうか、ご再考下さい」
ニックの助命を訴えるドネッドの表情は迫真そのもので、見開かれた目に刻まれた皺、浅黒い肌には大粒の汗がいくつも浮かび、滴っては割れた顎の先から足元に落ちる。法と情による二段構え、これがニックの用意していたカードだった。日頃から人当たり良く、有事に際しても成果を上げる。簡単な事ではないが、それら全ての行いが、この場においての助け船となったのだ。
「……被告、ニック・ミア、汝の功罪を再考すれば、恐らくはほとんど無罪に近くなるが、如何か?」
「私は……」
裁判官の言葉に、ニックは既に返す言葉を決めている素振りを見せた。
「私は、減刑までに留めたく思います。代わりに、ベクォン家、ミア家、キトリヤ家の本家一族のうち、此度の反乱に関与しなかった者を減刑させて貰えませんか。確かに、反逆罪は一族に連座します。しかし、何も知らされず、または反逆を諫めた者まで同罪とは、到底思えないのです」
ニックはグレンを見た。裁判官がほとんど代理しているが、神覧裁判の裁判長は国王であるグレンなのだ。判決も、最終的にはグレンが首を縦に振らなければ成立しない。ニックはほとんど終わり際に切り札を差し込んだのだ。同時に、グレンは知っていた。反逆罪による死罪の減刑を行った結果、多くの者に言い渡される刑と、ニックの命を奪う事なくサラの魔手から逃す手段を。
「……判決を変更する。ルイス・ベクォンとエッカート・ミアの二名は死刑とする。ニック・ミアほかベクォン家、ミア家、キトリヤ家の本家一族のうち、反乱に関与しなかった者は流刑に処する。分家に関しては変更せず、財産の没収ないし徴収と、爵位の剥奪とする」
判決はグレンが言い渡した。流刑地がどこになるか、それは言わなかった。しかし、ハーム王国の刑法で流刑を言い渡された者の行き先は大抵決まっている。そして、ある意味では死刑よりも重い。それでも、死刑だけは免れた事で、観覧席からは一定の評価をする声が聞こえてきた。
「ありがとうございます、キャシック将軍、ニバラク侯爵」
「いえ、ニック様の為ならば……」
「御礼を申し上げるのはこちらの方です。後々の事は、我々にお任せ下さい」
ニックはキャシックとドネッドに礼を言うと、衛兵に連れられて公苑を後にした。最後に、少しだけ立ち止まっては一度だけグレンを見て、小さく微笑み掛けていた。傾き掛けた晴天、太陽を背にしたグレンの表情を読み取る事は出来なかった。
大陸暦六一六年、雄牛の月初旬
ニック様の流刑が決まった時は、死刑を免れたという評価が多かったが、今にして思うと、母国の地に骨を埋められないという点では、こちらの方が重かったようにも思える。しかし、全ては決まってしまった事だ。
最も裁判官の近くにいた衛兵の言葉




