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最終話『秋空の向こう』

 大陸暦六一七年、天秤の月上旬-

 秋が深まりつつあるニバラク侯爵領ルーテの聖堂にて、一組の男女の門出の式が執り行われていた。


「新たなる夫、コンラッド。新たなる妻、エミリア。汝らはこれより新たな人生の門出を迎えます。知識神(ヤノミ)のように学び、武術神(シージョ)のように励み、芸術神(サン=キッテ)のように養い、豊穣神(メーシア)海洋神(レンストラ)の恵みに感謝し、冥界神(イカヤザ)が導く果てまで、苦楽を共にする事を、創造神(ダレイオク)に誓いますか」

「誓います」


 若い新郎新婦は神官の前で同時に誓った。厳かなオルガンの音が響き、神聖な儀式は粛々と進み、やがて二人は聖堂の外に出た。参列者が祝いの花弁を振り撒き、祝福の言葉は方々から聞こえてきた。侯爵家の長男の結婚式である。ニバラク家は末子相続のため、弟が二人いるコンラッドに家督が継がれる可能性は限りなく低い。だからこそ、選ばれたのだった。



「おめでとう、エミリア」


 一通りの挨拶と外回りが終わり、パーティーまでの合間を縫って、屋敷の一部屋で休んでいたエミリアの元へ、懐かしい者が顔を見せた。無論、彼女も参列者である。琥珀色の目を輝かせた、空色の体毛が映える猫亜人だった。


「お久しぶりね、エリス。あと、今だけは昔の名前で呼んで」

「分かったよ、ミリアム。見違えたね」

「貴女も。あの踊り子のような装束とはまるで別物ね」

「あたしもブバーケ皇帝一族の端くれさ、ちゃんとした格好は出来る」


 言葉を交わして、それから笑いあう。ミリアムとエリス、一年半ぶりの再会だった。


「貴女は今、何をしているの?」

「ニムネク商業で用心棒さ。シャスタの御付きのアブドゥルがブバーケ皇帝直属の聖戦士団の末裔でね。あたしとは上手い事やってるよ」

「帝国の再建も考えてるの?」

「今の所は保留だね。人も金も足りないし、モノゲア帝国は強い。まぁ、あたしの代で出来なくても、子供を残せれば」


 屈託のないエリスの笑顔に、ミリアムは微笑みを返した。新緑の瞳が鳶色の髪と共に揺れる。正体を隠すため、魔術で髪と目の色を変えたのだ。アリア、もといアリシアも同じようにしているという。


「で、シャスタはキトリヤ地方の復興と発展のために色々と動いてる。キヤスキー傭兵隊の兄弟も一緒さ。ポールは実家のサミサ商会が大忙しでね、ジリボンの復興と遷都のためのアレコレでさ。ホツキネの鉱山もてんてこ舞い、アントニオも地元の若い奴らをかき集めて採掘作業に掛かりっきり。そっちは?」

「半年ほど前、ナーウィン狩猟ギルドのガロンド様が生涯現役を通して亡くなられ、シャーリーンが後を継いだわ。お義父様は夏頃から体調が優れないけど、毎年の事だって」


 過去の戦いで集った仲間達は今、ぞれぞれの道を歩んでいる。普段の生活に戻りつつある者もいれば、全く新しい世界に行った者もいる。ミリアムがわずかに口ごもった時、エリスが先んじて口を開いた。


「お城の状況が気になるようね。多少なら分かるよ。仕事柄、情報は大事だからね」

「ごめんなさい、聞かせて」

「まずは、マルキヤ将軍が軍を退いた事かな。折り合いの悪い長男が、あまり好きではない陛下の御付きというのが気に入らなかったらしい。学院時代からの同期に蒼海将の座を渡すと、足早に軍を去ったよ。とはいえ、次男からの要望もあって、しばらくは学院で教壇に立つらしいけど。ちなみに、末のコリンズも陛下の相談役になったらしい。歳が近いからちょうど良いんじゃないかな」


 歳が近いと言っても、グレンとコリンズは五歳ほど離れている。しかも、人と犬亜人である。実質的な年齢は離れる一方だった。ミリアムはグレンを不憫に思いつつも、エリスの言葉に耳を傾けた。


「パッテン将軍とミア将軍の後継は決まらず、戦車と火砲は他の将軍の指揮下に分配される事になったらしい。マックスとフロリナはリアブ将軍の指揮下だ。今ではテーキス地方の復興と、穏健派のオークやゴブリンとの折衝に当たっているって聞いたよ。連中にも、話の分かる奴がいるもんだね」


 その言葉に、ミリアムはツハーの事を思い出していた。オークでありながら魔術に長け、理知的で話が分かるだけに、疎んじられていた男だった。


「あと……キャシック将軍が病で亡くなったのはあんたも知ってるね。で、銀騎将は弟のガイラーが継ぐ事になった」


 キャシックの訃報が届いたのは三月前だった。老齢ゆえに衰えたためとされているが、ニックへの忠義ゆえミリアムを守るために王家を謀った事で、かなりの心労を抱えていたらしかった。サラからは気負わないよう言われたものの、自身の行いとハーム軍総司令の英雄的扱いとの間に、苦しむ所があったようだ。


「ところでエリス、聞きたい事が」

「……残念だけど、ニックとアリシアの事は分からないよ。アリシアはギムココ諸島へと旅立った事しか知らないし、ニックはオリビアほか数十人と一緒に流されたさ」

「魔の島……だったわね」

「あぁ、あそこはヤノミ大陸域だ」


 ニック達の流刑地は、ハーム王国より西の海に浮かぶ、ギムココ諸島からさらに北西の彼方、メーシア大陸とヤノミ大陸の中間に浮かぶ島だった。大陸域とは、各々の大陸の名を冠する神の加護を受けられるとされている領域である。大陸域を跨ぐほどの移動は、別世界に飛び込むのと同じとされているほどの行為であり、別大陸からの交易や戦利品はまさしく価千金だった。


「創世の時代から、神々に追われた魔物が蔓延るとされているから、魔の島と呼ばれているんだったな」

「おや、コンラッド。聞いてたのかい?」


 会話に入って来たコンラッドは、挨拶回りで疲れた顔をしていた。この後のパーティーでも主役なので、それまでには整える必要がある。馬子にも衣装、とエリスは軽口を叩いたが、お互い様だと返された。


「ニックにはオリビアが付いているから、たぶん大丈夫だ」

「そうだね、お互いに足りないものを支えあって、なんだかんだで上手くやっていくよ」

「……そうね、私達も頑張らなきゃ、母上に笑われてしまうわ」


 ミリアムが笑顔を取り戻すと、コンラッドとエリスも揃って微笑んだ。しばらくの静寂の後、給女が呼びに来る。パーティーの準備が出来たと言うのだ。ミリアムはエミリアに戻り、コンラッドに伴われて会場へと向かう。ふと、エリスが窓から空を見る。少し褪せた紫紺の空に、新たな門出に祝福を願った。



 数日後、王都ボートミールの城内、グレンの私室き一頭の伝書竜が戻ってきた。ニバラク侯爵領からの手紙を携えている。


「ありがとう、テーヴァ。お疲れさま、竜舎に戻っていいよ」


 グレンは手紙を受け取ると、テーヴァの頭と顎を撫でてやる。ニックから教わった褒め方だ。この一年半余りで、この伝書竜もグレンという新たな主にしっかりと慣れていた。


「どのような内容ですかな」

「ニバラク侯爵家の結婚式に関するものだ。日柄もよく、円満に行われたそうだ」


 テーヴァの姿を見て部屋を訪れていたレッターが尋ねた。小柄なグレンに対して大柄なレッターは、歩み寄って来るだけでも威圧感がある。しかし、今のグレンはそれにも気圧されないだけの胆力を身に付けていた。


「ニバラクの男は遊び上手で気が多いと聞きます。お相手の苦労は絶えないでしょうな」

「そうだな。しかし、なんとか上手いことやっていく、そんな気がするよ」

「ギムココ諸島からの連絡船でも、あちらは上手くやっているそうです」

「それは良かった。引き続き、島の安定に気を配ってくれ」


 言葉を交わす度に、微妙な沈黙が挟まれる。ミリアムやアリシアの名前を、偽名でも出すわけにはいかず、それとなく察せるニュアンスで話さなくてはならないためだ。サラやラウルの目がどこで光り、耳がいつそばだてられているか分からない以上、迂闊な事は言えない。息苦しくもあるが、成人して執政の権限を手にするまでは、母の手腕を見て覚える事も多い。監視者であり師でもあった。



「……グレンは、我々の思惑とは少し違う育ち方をしたようだな。どこかで不穏分子が紛れ込んだかもしれぬ」


 グレンやレッターの懸念通り、私室には聞き耳の術式陣が密かに記されていた。サラの私室にて、ラウルは渋い顔をして見せる。そこには、あの鉄腕ことラリーの姿もあった。


「お父様が不穏分子と呼ぶものが、ニックの影響だとするのであれば、ホレイショが付いた辺りね。ニックは出陣前、あのマルキヤの長男に何か吹き込んでいたわ」

「そこまで分かっているなら、罷免して追い出せばよいだろう」


 ラウルが顔をしかめる。サラの表情に、ニックに対する忌々しさは感じられず、むしろ清々しささえ覗かせていた。政敵の排除に勝ち誇っているわけではない。ラウルの理解が及ばない感情だった。


「お父様は私やグレンが、ハーム王国がモノゲア帝国にとって都合のよい国になるための布石としか思っていないようだけど、グレンは既にニックの志を受け継いでいるわ」

「だが、お前はニックの廃嫡と先王の死に関与したではないか」

「そうね。確かに、その頃まではお父様の、そして帝国の意向を受けていたわ。でも、失ってみて分かった。この国にはこの国のあり方があるって」


 サラの言葉に、ラウルは更に顔をしかめた。壁にもたれて腕を組み、静観を決め込んでいたラリーが喉から押し出したように笑う。


「何がおかしい」

「いえ、ニックには以前、勝利とは何かと問うた事があります。結局、奴の口から答えを得る事は出来ませんでしたが、恐らく、これが答えなんでしょう。それに、現時点でこの国を弱体化させても、カッサーナとギムココを押さえぬ事にはどうにもなりません」

「しかし、それでは本国におけるわしの立場が……」

「心配はご無用です。私から兄に口添えしておきましょう」


 二十年掛かりの工作に失敗したも同然のラウルを、ラリーがフォローする。


「まったく、やってくれたよ、あの王子は」

「私も、もう少し早く気付くべきだった。でも、今になって気付いただけでも良かったのかもしれないわ」


 完敗だとでも言いたげな表情で、ラリーは窓の枠に手を掛けた。西向きの窓からは色褪せ始めた秋の空が見える。この色もいずれは褪せ、また色付く季節を迎えるだろう。

 西の遥か彼方にて、英雄は新たな世界で同じ空を見ているはずだった。

ベクォンの乱

大陸暦六一五年秋から翌年春までのおよそ半年間に渡り、ハーム王国を二分したとされる反乱。

発端となったモーギナス灯台占拠事件から数えると、九ヶ月に渡って国内を揺るがした事になる。


首謀者はベクォン公爵ルイスで、姻族として繋がりがあった事からキトリヤ伯爵家やモクニモ海運を巻き込んだ。

動機は国王ハロルド三世の『流れる銀』による、不老不死の霊薬実験での死亡者の中に、

ルイスの父である宮廷魔術師長セオドア・ベクォン、姉である王妃ミランダ・ハームが含まれていた事、

二人目の王妃マルシアを、三人目の王妃サラを迎える為に無実の罪を着せて処した事を主張。

後者の動機に関しては、マルシアの生家であるミア家の家督を簒奪し、反乱に加担したエッカートも同様に主張。


王家直轄領テーキス地方のオーク勢も動かし、一時期はハーム王国全体の半分以上を制圧するほどの勢いを有した。

しかし、王都ボートミールへの侵攻が積極的に行われず、キトリヤ家が占領したニバラク侯爵領の大半を奪還され、

なし崩し的に主要拠点を失い、戦線を維持出来なくなり、最終的にはベクォン公爵領都市ジリボンに追い詰められる。

ルイスは『流れる銀』のゴーレムを起動して迎え撃つも敗北、捕えられてエッカートと共に処刑された。


本家の一族の多くが反逆罪の連座で流刑となり、残された者にも財産の没収と爵位の剥奪という厳しい処分が下された。

流刑となった者の中にニック・ミアの名があるが、かつてのハーム王国第二王子であり、ニバラクの英雄と呼ばれた

ニック・ハームとの関連は不明である。また、ニック・ハームはニバラク侯爵領解放の少し後に消息不明とされている。

   ―ハーム王国軍記『ハロルド三世治世の時代』『グレン一世治世の時代』より

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