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第百二話『救い』

 大陸暦六一六年、大魚の月初旬―

 銀の巨人の中枢、金色の茨がひしめく終末の地にて、ニックは最後の攻撃命令を発した。

 生ける者と死せる者、人とオーク、ハームの民と異邦人、それらの垣根は取り払われ、ニックの下に一つとなった。ニックに率いられた者達が一斉に駆け出す。ルイスはマルシアを放り出し、慌てて茨と衝撃波、炸裂火の術式で迎撃した。


「この期に及んで術式ですらない衝撃波か。そして、炸裂火の連弾はこれで充分だ」


 最初に飛び出したのはツハーだった。短剣が括り付けられた杖をかざし、赤い輝きを振り撒く。飛来する炸裂火が空中で止まり、爆発した。障壁や水鏡といった防御の術式ではない。もっと単純でかつ、このオークの魔術師が得意としたものだった。


「突風の術式か」

「連弾で放てば、簡単な風圧の壁を成せる」

「なるほど、モーギナス灯台の奪還に難儀したわけだ」


 低く構えたウォーレンが言った。ツハーは誇るでもなく、顔を歪めるでもない。淡々とした表情でルイスからの術式を撃ち落としていた。この知性と冷静さが最大の武器だったのだろう。即席のスライムにバリケードのゴーレム、そして細い通路に火を放ってからの突風――ニックによる奇襲がなければ、奪還に掛かった時間は倍加していたとも言われている。


「あんたに迫る茨は任せな。俺にだって、やれない事はない」


 ツハーに襲い掛かった茨が次々と叩き落とされる。ウォーレンの短い槍は小回りが利いた。片手でも両手でも扱えて、本人の筋力によって竿のように柔軟な動きを可能にしている。茨の隙間から浸み出るように、銀屍兵が現れた。数は把握し切れないが、少なくはない。あくまで喧嘩の域を出ないウォーレンでは手に余る相手だった。


「雑魚は任せろ!」

「我の刃に耐えうる者のみ、掛かって来い」

「おいおい、それだと俺の負担が大き過ぎる」


 ウォーレンに向けて振り下ろされた剣が、割って入ったロスの盾に防がれる。隙を見せた銀屍兵の腹を、一振りに撫で斬る。銀屍兵の強度は反魂の術式で蘇った者と異なり、術者の力量に左右される。ミランダやオリビアの銀屍兵と異なり、素養の低いルイスのそれは、能力的に大きく劣っていた。ロスとブブシャシャの重戦車のごとき進撃を止めるには、いささか力不足だった。


「しかし、オークにも心身共に鍛えられた戦士はいるものだな。あちらに戻ったら、一度手合わせを願いたいもんだ」

「ふむ、良いだろう。我も貴様の剣術に興味が湧いた」


 刃の一振りで銀屍兵の頭や手足が外れたように跳ね上がる。ブブシャシャの驚異的な力で振りかざされる刃が薙ぎ倒し、ロスの体躯より敢えて軽めと取られる剣が踊るように斬り刻む。大柄で筋肉質ではあるが、剣の筋は対称的であり、それは互いの興味を引く事となった。優れた戦士は並んで戦う時に友情のようなものを見出だすのだ。



「ニック、あんたにこれを返すよ」


 エリスが投げ渡したのは、以前にニックが彼女を雇う際、前金の担保にした金装飾の短剣だった。


「エリス、これを返してしまっていいのか?」

「構わないよ。あたしはもう充分に報酬を頂いたからね。あと、柄の中には上等な金の魔晶石を入れておいたよ」

「ありがとう、助かるよ」


 ニックはマルシアに近寄り、借りていた剣を返した。母の目の色が変わる。その短剣に見覚えがあるらしかった。


「その短剣、どうしたの?」

「モーギナス灯台奪還の功績により、父上から贈られたものです」

「それは元々、ミア家にあった物よ。私が輿入れする時、父から持たされたの」


 懐かしむマルシアの前で、ニックは短剣を鞘から抜いて見せた。刀身は傷が目立つものの、美しい金細工は健在である。ミア家に伝わり、マルシアによってハーム王家に献上され、そして王子だったニックの手に渡る、まさしく本来の持ち主に帰って来たのだ。


「父上は、この事を知っていたのでしょうか」

「分からないわ。でも、あなたがその短剣を持つのに相応しいって事だけは確かよ」


 そこまで言うと、マルシアはエリスと共に駆け出した。銀の旋風を伴って、月が踊り星が舞う。数を頼った銀屍兵の集団は、焼けたナイフでバターを切るがごとく、みるみるうちに穴を開けられていった。


「すばらしい切れ味、音に聞くブバーケの剣ね」

「貴女も、武人の名門ミア家の名に恥じない剣士です」

「ところで貴女、ミリアムと一緒にいたわね」

「えぇ、色々あってニックに雇われ、ミリアムの護衛に付いていました」

「そう、守ってくれて、ありがとう」

「貴女の事も話してましたよ。背負われて天聖節の市に出掛けた事を、今でも覚えているそうです」


 エリスの言葉に、マルシアは目頭が熱くなった。生前に僅かな時間しか与えられなかった悔恨と、それでも母を覚えていてくれた娘の愛情とが、ない交ぜになっていたのだ。


「母上、エリス、一気に道を開くわ」


 二人を追い掛けて来たのはアリシアだった。杖の代わりにミスリル銀製の鎖を携えている。


「アリシア、貴女も随分と立派になったわね」

「はい、色々と失いましたから。身軽になった分、より大きく前に進めます」


 生母と、仲の良かった継母の二人の母を喪い、さらに父の死後は幽閉までされた。それでもアリシアが前を向き続けたのは、ニックやミリアムの為であり、その献身的な情熱はまさしくマルシアから受け継いでいた。


「一気にやるわ、猛火の術式!」


 アリシアが両の手に広げて持ったミスリル銀製の鎖が赤熱し、火さえ放ち始めた。この鎖の前の使い手であったハンスは、魔晶石の筒と剣の柄をこれで繋ぎ、魔法剣を行使していたが、彼女は鎖に直に術式を行使した。先端を振り回すだけでも、熱波を孕んだ鎖が高速で回っている。剣よりもしなやかに、鞭よりもまっすぐな軌道で銀屍兵を焼き切った。剣も槍も絡め取られ、赤熱する断面を晒すばかりだった。


「ミリアム、お前はオリビアを頼む。私はベクォン公を倒す」

「分かりましたわ。終わらせましょう、兄上様」


 勇士達の活躍で道は開けた。ニックとミリアムは茨の道を駆け出した。ルイスからの術式はツハーが撃ち落とし、迫る茨はウォーレンが払い除ける。銀屍兵はロスとブブシャシャとアリシアによって退けられていた。ルイス達を守る障壁の前には、マルシアが立っている。その前には、エリスが姿勢を低くしてミリアムを待ち構えていた。


「アリシア、ニック、ミリアム。過去に死んだ私から、未来を生きるあなた達にあげられる、最後の贈り物よ。勝ちなさい、私の可愛い子供達」


 独白したマルシアは剣を高く掲げると、一呼吸の間に振り下ろした。雷光さえ垣間見えた一閃が、ルイスの障壁を叩き割る。魔力の浪費と本人の動揺もあって、障壁の強度は最大限と比べて見る影も無かった。マルシアの剣は砕け、右腕も恐らくは折れている。全身の筋も痛めたかもしれない。それでも、母として出来る最後の事を、子供達の未来を拓くという事をやってのけたのだ。


「ミリアム、飛ぶんだ。あの子を救ってやりな!」


 腰を落としたエリスは、ミリアムの足元に手を伸ばしていた。ミリアムがエリスの手に足を掛ける。エリスは全身の筋肉をひとつのバネに変えて、彼女を投げ上げた。ミリアムの杖が激しく光を放つ。筒内の魔晶石が凄まじい勢いで魔力を放っているのだ。これほどの魔力を瞬間的に爆発させる術式など、数えるほどしかない。そして、この瞬間に最も適したものは、ただ一つ。


「オリビア、今、助けますわ。杭突の術式ッ!」


 杖の筒が高熱と衝撃で歪み、外装部品がひしゃげて弾け飛ぶ。『紅魔将』レッターでさえ、ここまでの出力でこの術式を行使した事は無い。杖どころか、術者自身の体さえ吹き飛ばしかねない火力を叩き出すからだった。ミリアムの杖から放たれた爆熱の一撃は、オリビアの頭部を覆う金色の茨冠に突き刺さり、激しい火花を散らした。


「オリビア……!」

「これで、終わりだな」


 ルイスは短剣を突き出して来たニックに気を取られ、オリビアに注意が向かなかった。オリビアの魔力が不安定になり、金色の茨も銀屍兵もその動きを止める。ニックの短剣の切っ先がベルトの金具に触れる。ルイスの全身は雷に撃たれたように痺れて痙攣し、視界が白く濁って輝いた。電撃の術式を受けたルイスは力なく倒れ、ニックに取り押さえられた。


「ミリ……アム……さま」

「遅くなってごめんなさい。でも、もう貴女が苦しむ必要はありませんわ」


 両の頬に涙の筋を光らせたオリビアの口がたどたどしく動く。同様に涙を浮かべたミリアムの魔力が、オリビアの思考と感情を奪った金色の茨冠を打ち砕いた。

大陸暦六一六年、大魚の月初旬―

ジリボンの方角から、天に立ち昇る白銀の光の柱が見えた。

   城塞都市シオンタの住民のつぶやき

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