第五章
「あのファルコで見た、気泡が欲しいな」
実験を試したいとでも言うかのような口調の汽緒離だった。
風唯の気に喰わないところである。彼女は、詮索されることを嫌う。
だが汽緒離の暗い肌ざわりの関心が、そんな拒絶的な壁をまったく気にする風もなく突き抜けてくるのだ。
どこまでこの覗き魔に見せるべきか。
この闇医者は下手な部分を匂わせるだけで、その根まで掘りかねない頭脳をもっているのだ。
現に今、何気なしに水を向けられている。
「……ああ、縮小劣化版ならどうにかなるよ」
恐る恐るという感覚に蓋をして、ボソリと口にすると相手を伺ってみる風唯。
汽緒離は、正解を出した生徒にするように、頷いた。
「それなら問題ないな。こちらが有利だ」
含み笑いを見せる。
立てこもり犯らは、鎖さ井駅構内のあらゆる接続部を寸断していた。お陰で第四区画に向かう為のあらゆる路線も止まったままだ。
車かバイクのための車道も混乱中である。
十七区は天乃原南部にある。中央を跨いで行かなければならない。
構造物内の乗り物ではなく、飛行艇を使うことを風唯は提案した。
「あー、嬢ちゃん、久しぶりだなぁ」
艇長が、エレベーター最上階の桟橋に立っていた。
無精ひげを生やして紙タバコを咥えた、三十後半の偉丈夫だった。
逞しい体躯に、油のしみついたコートを羽織り、薄での汚れたシャツに作業ズボンを履いている。
飛行艇発着地は、多数の艦艇が係留されていた。
風唯と昔馴染みの桧珂偽は、タバコをブーツでもみ消しついでに踏みつぶした。
「おっさん、前に引退するって言ってなかったか?」
彼女は半ば呆れ気味に聞きつつ、錆びが目立つ装甲の合間にある開閉口から中に入った。 油と燃料の臭いに加え、うっすらと煙が通路に充満している。
汚さに怯む汽緒離を押し込むようにして、桧珂偽が中から扉を閉める。
「いやな、どっか大陸か海の上でもぶらぶらしようと思ったが、飛行艇業界が縮小するっていうんで、ならもうちょっと儲けて野郎かと思ってな」
快活に言うと行き先はわかっているとばかりに狭い通路をそのまま艦橋に向かう。
全長三十メートルほどの小型艇である。
「……飛行艇乗り達は、どこもこんな状況なのか?」
艦橋の後ろに壁もなく続く客室で、窓の外からずらりと並ぶ飛行艇の群れを眺めて汽緒離は口にする。
座席に座ろうとしないままである。
「そうだな。定期便が多いが、引退する前から事故ばっかでな。落ちて管制から消失する奴ばかりよ。まぁ、俺のはそんなことないが」
内部の床が盛りあがるかのようにして、飛行艇が出港した。
風唯は解導因子所属の艦艇も見つけた。
それは、まったく別の方向に向かって飛んでいた。
何をしようとしているのだか。
「今回の事件だが、マッド・ボマーが出てきている点が気になる」
汽御離は唐突というほどでもなく、口にした。
風唯は客室と艦橋の間にいた。
「暴動は東部先端。多分だが駅占拠もマッド・ボマーの脱獄も関連している。主犯は、解導因子が掴んでるだろう。じゃなきゃ、初動の部隊だけ送って我々に放り投げてなどしてこない」
「なるほど。じゃあ、どこかでクジラ騒動を起こそうという訳か。占拠要因は陽動?」
「いや、規模から言って両天秤だ。あと、鎖さ井駅なんて中央部ではない場所を選んだ理由も何かある。緯麻とそのた課長らと連絡が取れないで、天乃原の軍事力は使えない。宙にういている。好機だよ」
客室にあるディスプレイの映像が急に変わった。そこには、天乃原統括機関と大きなテロップが浮かび、ヴェネチアの祭りの時に被るような華麗な仮面を男が映っていた。
通信ジャックだ。
風唯は放送局のどこを狙ったのか気になった。
『天乃原での災害は全て、管理機構の責任である。我々イマジロイドの権利を認めない管理機構はその管理もできず、我らに暴徒であるという機能を付けた。我らは彼等の命じる通りに第八区画にて闘争中である。やがてクジラの天災が天乃原に下るであろう。この戦いで、我らは東北部三区画を解放する。悪しき管理機構は彼等の名づけた「偽りの預言者」が予言者たる指導者として天乃原に君臨するであろう』
舌打ちする風唯。
「クジラの天災ね……」
「マッド・ボマーだな」
「どことは言ってないね。両天秤のもう片方は?」
「切り札に使う気だろう。天災というだけ言っている」
つまらなげに汽御離は言った。
「そういや、あんたはイマジロイド?」
「そうだが?」
嫌悪感丸出しだった彼を見て、ふと風唯が思ったことが当たっていた。
「そう」
関心なさそうに、一言で話題を終らせた。
この闇医者も、風唯と同じ「ゴミクズの天乃原の一部」だったのだ。
桧珂偽の飛行艇は冷空を裂くように突き進むと、ニ十分ほどで第四区画に到着した。
交通と人員は解導因子が整理して、鎖さ井駅周辺はぽっかりと彼等の車両と人員だけが囲んでいる状態だった。
飛行艇内で風唯はLショットを飲んでいた。
準備は万端だ。
「お待ちしてました。状況を説明します」
飛行艇の港から降りると、出迎えた早機隊隊長が迎えた。
テキパキと動作に無駄のない、細身に見える中背だが、堂々として明朗な怖いもの知らずという風な青年である。
名前は帷詫眞守。
二十一歳で解導因子最年少の隊長だった。
コートは制服で強化繊維のセーターにやや広いズボン姿。全て暗灰色である。
「出入口は五か所ありましたが、全て破壊されて封鎖されています。内部の様子は熱・重力・空気圧・音響などで探りましたが、三層ある構内の一番底の第三層に平均より五キロから七キロ重い三名ほどの人員を確認。第二層に約三百人の人質、第一層に体格から重さ第三層と同じ四名が南改札の周辺に集まっています。改札は四つ。音響と重力探知機で残り三か所は破壊されていると思われます」
簡潔にして明朗な説明だった。
「解導因子のあんたの作戦は?」
「あなた方のバックアップです」
即答だった。
風唯は勢いよく短い息を吐いた。
「中の酸素は?」
「密閉状態なら二時間持ちませんが……」
どこからか、空気は得ているらしい。
「……圃惟可はどうする?」
聞いたは聞いたが声に力の無くなった風唯だった。
「その件はこちらでは保留しております」
また直ぐ返事が返ってくる。
完全に、彼女らが突入する話になっているのだ。
おかしいだろうと怒鳴りたいが、そんな気力は風唯にはなかった。
汽御離も言うことがないかのように、平屋でコンクリート製の駅を眺めていた。
「やはり。数が全て完全武装となると用意が良すぎるな」
「……たしかに駅の占拠処理も手早すぎる」
風唯は普段のやや小さめな声で汽御離に同意した。
「出入口を全て爆破して穴を造ってもらいたい。バックアップだ。頼んだよ」
嫌味そのものを眞守に吐き捨てると、風唯は汽御離と一緒に破壊されて瓦礫に埋まっている駅の南出入口横に素早く移動した。
出入口を塞いで中の通路が全て一本しかないというのは、罠かこちらの動きを把握できないでいるかのどちらかだ。
後者と風唯は見ていたが、手際から罠の可能性も捨てきれず警戒は十分にする。
解導因子の隊員が駆け出し、五か所ある地上の塞がれた出入口についた。
指向性爆弾をそれぞれ仕掛け、距離を取る。
眞守の命令直後、駅の五か所が爆発して轟音が響いた。
濛々たる煙が上がる中、汽御離はアウトフレームを構築して背中から幾本物接続ワイヤーをだし、穴に入れた。
風唯はその天井部分を動くワイヤーを片手にぶら下がり、構内に侵入した。
真っ暗だった。
電気配線もきっているのだろう。
爆発音で、中の四名のリュックを背負い、アサルトライフルをもって光学ゴーグルをかけた四人は、下の階に移動しようとしていた。
真ん中に跳び降りると、腕を回せるかのように自動拳銃を四人の胸部に当て、さらにシェードで隠している顔面にも叩きつける。
ワンピースの裾がふわりと垂れた。
『三層にいた連中が二層の止まった電車に移動して紛れ込んだ』
汽御離が伝えて来た。
「オッケー」
風唯は改札口から二層の乗り降り場に天井からぶら下がると、左の手袋を口で取った。 眼下には脱線して斜めに向いている車両が並んでいた。
左手から、多数の気泡が湧きだした。
人の頭より少し大きい。
風唯のアウトフレームは、過去一か月間で様々な体験した現象を改良・再現することができる。
気泡は、構内に満ちるほどの量になって、格車両の中に浸透していった。
皆、気泡に頭を中にいれられ、一瞬で意識をなくする。
風唯は、全員が気泡で頭部を包んだ状態になったと思った時、眞守に連絡を入れた。
「人質ごと、犯人を確保。麻酔は五時間で効果が無くなる。全力で病院への運搬と犯人の識別に期待する」
『了解』
眞守は報告を聞くと、すぐに救援部隊を送り込んだ。
何しろ相手は三百人を超えているのだ。
混乱もなく、続々と搬送されてゆく人々を、駅から出て来た風唯がみて鼻を鳴らした。
やるじゃないか。
もっとも、出来なかったら出来なかったで大問題が起こるところだったが。
「死んでなかったらの話だけど、主犯格を特定出来たら直接会いたい」
眞守に、風唯が言う。
「お任せください。それにしても、これだけの事件をほぼ瞬殺とは、相変らずやりますねぇ」
彼は上機嫌といった様子で満面の笑顔だった。
共振音。
風唯は思わず頭上を見上げた。
空の一部に小さな黒点ができている。
それは渦巻きながらゆっくりと大きくなってきていた。
「眞守、クジラだ」
彼女は視線はそのままで相手の名前を呼ぶ。
「……これは……マッド・ボマーですかね?」
眞守は同じく空を見て逆に冷静になり、言った。
「もし、北東部に解導因子がいて、ここをクジラが完全破壊すると、彼等は孤立するな」
むしろ楽しそうな汽御離だった。
風唯は再び灯香警備会社に連絡を入れたが、反応はない。
天乃原管理機構に戦力というものはない。その代わり、灯香警備会社というところが私兵として二個陸戦師団と一個装甲師団、二個航空師団を持っている。
だが、会社の人員が行方不明となると、その指揮すらできないだろう。
解導因子の眞守指揮下である早機隊は、地上制圧部隊約五十名と鑑識がいるだけだ。
「戦力……」
風唯は苦み走ったつぶやきを漏らした。
黒点の渦から光りの線が地上に降りる。
街並みの一画が急速に盛り上がり、形を変えた。
巨大な顎が天頂部から現れ、ついで胴体、太い両足に尻尾と続き、咆哮と共に、頭を下げて全身を現した。
地上から二十メートルはある。
そのクジラは出現したとたん、辺りを凄まじい存在感で圧した。
眞守がそっぽを向いて通信を開いている。
近くに来た汽御離は風唯の機械化されている左手そっと接続子を差し込んできた。
『……統括機関に付くのですか!?』
眞守は驚きの声をあげた。
『現体制は崩壊同然だ。旧ディスコルシア・メインの政府関係者たちは一斉に姿を隠した。軍人たちは沈黙を続けている。統括機関に対し、何ら手をうつことなしにな。統括機関は、下手をすれば機構軍を使って「天乃夜明け」作戦をここ天乃原で再現しなねない。そうなれば、完全に統括機関が天乃原を手の内にする。甚大な被害と共にな。我々は、それを阻止するためにも、統括機関側に行っておいてその間で政府関係者を見つけて抱え込む』
『……決定事項ですか?』
錫羽羅の言葉に、流石に緊張して眞守は確認した。
『解導因子局長、詫雅深模流の命令だ』
『……了解しました。で、風唯らはの処分は?』
『後腐れなくしてくれ』
眞守は顔を上げた。
風唯らを探すが姿が見えない。
やっと視界にとらえたかと思った時には、すでに飛行艇発着場に繋がるエレベーターに乗るところだった。
「金なら後で払うから、ここに泊まってる飛行艇全て借り受けてすぐに飛んで」
クジラの混乱が下層で起こってる中、風唯は桧珂偽に言うと飛空艇に乗り込んだ。
汽御離も続く。
「やれやれ、失踪事件演出はこの前振りだったか」
参ったものだという風につぶやく。
浮上しつつ、何度も発着場の飛行艇群に通信を入れる桧珂偽の後ろにいる風唯に顔を向ける。
「で、どうするつもりかね?」
「気に喰わなさであたしもクジラになりたい気分だけどディスコルシア艦に向かう」
「馴染みのところには行かないのか?」
「行かないね。あそこも灯香も世の中も、あたしを道具としてしか見てない。わかる? 道具が使い道無くなったらゴミクズになるんだよ。両方、あたしをゴミクズにしやがった。クソ偉そうに、延髄に釘百本ぐらいゆっくりと打ち込んでやりたいもんだわ」
「ディスコルシアに行っても同じ扱いをされるんじゃないのか?」
「……どうせゴミクズになるなら、今までゴミクズ扱いしてきた連中を叩き潰してやりたくやるだろ?」
「とても感情的でこちらの情緒も揺さぶられそうだ」
汽御離は無表情に言った。




