第二章
「君は元所属グループに狙われているのか? こっちに来てから暗殺をおこなってないな。それをなくしたら君はただの生ものだろうに」
灯香警備本社がある第二十三区画の端にある歓楽街のファルコという飲み屋で、遅れて来た汽御離は挨拶も抜きに慌てた様子もなく悠然と尋ねて来た。
「重要人物だから、丁重に扱われているんだよ」
不快さを押し殺し、彼女はボソリと軽くいなした。
初めて会ったときから、気に喰わなかった。
死体を個人的に雇っている人員に運ばせて、二人はまた夕方も暮れた頃の同じファルコの席についていた。
話題は死体をどうするか、だった。
失踪事件演出に利用できるのではないかと、汽御離は言う。
例えば失踪本人でも、後にいざという時に出す犯人として。犯人が死人なら事件の迷宮入りで都合が良い。
だが、風唯はまだどこの誰とも知れない者を事件内に入れるのを拒んだ。
未知数は排除すべきと考えたからだ。
「奇貨居くべし、だがな」
失望したと言わんばかりの汽御離は、彼女と席を一つ空けたカウンターでジンのロックを口にする。
「あんたがそんな冒険をしようなんて思う理由がわからない。せっかく綺麗な水槽に泥水をぶち込むようなものだよ」
一方の風唯は不満そのものだ。
失踪事件に関してはその都度、別室から指示が下りる。
彼女らはその通りに従えばいいだけだった。
犯人の偽装に関しての知らせはまったくなかった。
二人とも唯々諾々と従ったままにしておく気はない。
「出荷屋」にいる以上、把握できることは全て把握しておきたいのだ。
風唯は風唯なりに調査をしているところだった。
Lショットという、ナノ介入剤のカプセルを瓶から数粒出したままにして、何を考えているかわからない男を風唯は鬱陶しそうにふてくされたような表情を浮かべている。
中年のバーテンがボンベイサファイアをひと瓶、間に置いて汽御離の前に立った。
スーツから折ってゴムで止めた五枚の札を手の下に隠して汽御離は差し出した。
バーテンは黙って店の奥に姿を消す。
汽御離は買収していたバーテンと酒の瓶で暗号を取り決めていた。
ボンベイサファイアは、「狙われている」という意味だった。
カウンタ―に座る彼女ら以外の客たちが一斉に席を立った。
一人だけ残った、テーブルに肘を縦て頬を乗せた少女がニヤニヤしながらテキーラの小瓶を煽る。
ブラウスと七丈のダボパンツをはいて、ウェーブがかった髪を頬の下でざっくり切り、細身でやや長身な十代半ばといった姿だ。
横目で伺った風唯は、見たことのない相手だということだけは確認した。
Lショットの一粒を口に入れて砕く。すぐ溶けて身体中に回ってゆく。
急に感覚が敏感にざわめいた。
空調の作る空気の層から、少女のアルコール臭が混じった熱い息遣いまで肌で感じられる。
「嫌な奴」
楽し気に品定めする態度。少女のそれは暗く泥のような嘲りだった。
風唯らだけにではない。
認識するすべてに対してだ。
ただ、相手がアウトフレームの姿を構築する気配はまだなかった。
戦闘用外部介入装置。
あらゆる機械のジャンクで構成されている天乃原の各所からニューロンの共鳴によって構築され稼働するシステムだ。
「どうだね、お嬢さん。こっちで一緒に一杯飲まないかね?」
汽御離はジンのグラスを軽く掲げて、場違いなまでに気安い誘い方をする。
灯香警備本社近くだが、二人とも意外とは思わなかった。その本社もなにごともないかのように沈黙している。
内部に恨みを持つ者や、外部との葛藤もあるが本社はその類に関わらないのだ。
「出荷屋」は出荷しかしない。所詮、官製の下請けだ。
風唯はこの少女とは面識はない。
「今こそ乾杯にふさわしい時だ」
いくら黙っているとはいえ、本社付近で手を出してくるとは大胆に違いない。
称えるように、汽御離は言う。
「……これより、天乃原裁判を行う」
吐息のような声でしかなかったが、少女のそれはフロア中に厳かなまでに重々しく響いた。
少女は、手で三枚のコインを弄んでいた。
セリフの生真面目さに対し、逆に小馬鹿にしているかのような態度。
「あんたらが、ここで活動するに値する存在か。神意を問う」
「……二等巡洋艦『ディスコルシア』の民か? にしては、恰好が派手だな」
汽御離は落ち着いて顔だけを横に彼女に向けたまま、疑問を持ちつつ相手を値踏みしていた。
このタイミングで来るということは、第四十八区で見つかった死体と関係があるようだった。
ディスコルシアの住民は天乃原に適応できず。逆にディルコルシアに自分たちの存在を知らしめるように意に沿わない者達への襲撃対象として暴れている。その中に、天乃原そのものを信仰する秘教集団が居て、これも異端審問などを各地で開いていた。
静かになった店内で、コインが一枚、上に弾かれる音が鳴った。
風唯が汽御離の襟首をつかんで、カウンターからそのまま後ろに跳んだ。
Lショットで身体中がアンテナになった風唯は変化が起こることを察したのだ。
二人のいた空間を、大鎌が横に薙いでいた。
不格好にさまざまな部品で人のような姿を取った、片目が丸い光でもう片方の目が巨大な人のそれだった。
アウトフレームだ。
天乃原に存在を依存していながら、人体の外部機関となっている、人にできない空間内での操作を行える存在。
二つ目のコインが空に弾かれた。
風唯が瞬間、天井を見る。
そこを破って、巨大な凹凸の激しい円錐状の物が何本も上から床に突き刺さった。
風唯は共振音をを察知した。
柱のように突き刺さった柱に見えたものはゆっくりと天井に抜かれてゆき、次には屋根ごと吹き飛ばされた。
青空が透る天蓋ガラスの下、小さな眼が垂れた頭部に幾つも付き、だらりとした爬虫類のような爪の長い両腕を垂らし、長い尻尾を持った巨大な怪物がこちらを覗いていた。
「クジラ」
「……これは面白いと思うべきかなぁ」
据わった目の風唯は、近くにある本社のことを考えて低く嗤った。
いっそのこと、クジラにぶっ潰されればいいのにと思ったのだ。
「大仰すぎるな。こんな時に余裕を持てる君は大したもんだ」
立ち上がっていた汽御離はむしろ冷静だった。
彼女ら二人を襲うのに、アウトフレームだけならわかるが巨大構成生物のクジラまで用意されているのだ。
状況の危機感よりも、汽御離は異様さを感じて疑問を持った。
彼は一歩後ろにして身体をのけぞらせた。
今までいたその場所に、大鎌が振るわれた。
「余裕ぶってれば、ドクターらしいとでも思ってる?」
一瞬彼に挑発的な笑みを浮かべた風唯も床を回転して少女との距離を詰めた。
起き上がりざま、右手に持ったリヴォルバーで胸のあたりに狙いを付ける。
引き金を引こうとした瞬間、風唯に向かってコインが投げられた。
それは、風唯の眼前で大きなシャボン玉のように変化する。
嫌な予感に、風唯は指を止めてシャボン玉を避けて少女に近づく。
シャボン玉が弾けた。
とたん、辺りの空気が凄まじい重さとなり、風唯は思わず片膝をついた。
「咎人は己の罪悪を背負い、やがてその重さに耐え切れなくなるという。あんたは有罪だよ」
少女は嗤いながら風唯を見下ろし、椅子の裏に隠すように立てかけていた刀を手にしてスラリと抜いた。
「……場が混乱しすぎだな。大概にしろ」
汽御離のところまで、シャボン玉が内包していた重力は届いていない。
無表情でつぶやいた彼は、背中から幾本ものワイヤーのような配線を出して辺りに先端を接続する。
これが汽御離のアウトフレームだった。
大鎌を持ったアウトフレームは伸びてくる配線群を逃れようと後退したが、津波のような勢いであっという間に身体が吞まれていた。
「もう一人いるのか」
彼は、辺りを自身に接続させると、状況を理解した。
配線を少女のところまで張ると、その一部が束になって大鎌を持ったアウトフレームが現れる。
風唯に向いていた少女は、大鎌の斬撃を刀で受け流した。
「……クジラ?」
共振音を鳴らしても、クジラからの反応はなかった。
接続子のついた線を通じて、汽御離がすでに巨獣を無力化していたのだ。
もっとも、動きを止めるまではできたが、余りの演算量に支配するまでには至らず、あと十分も経てば汽御離の影響は吹き飛ばされてしまう。
そこまではわからなかった少女は、舌打ちしつつ振るわれる大鎌と斬撃を繰り広げていた。
隙を見て、少女はポケットからコインをもう一枚出して店内に放ると、辺りはいきなり一面暗闇になった。
銃声が鳴った。
「神意とやらは、こちらにあったようだな。もっとも、そうならおまえのは邪神だけど」
感覚で少女の位置を把握していた風唯が言った。
弾は相手を掠めたらしい。
汽御離はつまらなそうな顔になった。
外部に接続したデータまでが真っ黒になったのだ。
ただ、大鎌を持ったアウトフレームだけは確保していた。
やがて重かった空気も暗闇も解けた店内には、風唯と汽御離だけが残された。




