第一章
空気調整機があるというのに、エリア内は乾燥していた。
薄暗いなか、死体が一つ、床に血まみれで転がっていた。
東京上層区界の第四十八区の住宅街の外れだ。
通り向こうでは、改造エンジンバイクが暴走している爆音が微かに涼やかなまでな響きで届いている。
「半端なやつだなぁ。隠すなり、晒すなりしろってよ。せっかく殺したんだから、もったいないだろうが、罪科が」
据わった目で小声の愚痴のよう口調。十六歳でケープの下にワンピースを着て、さらにワイドパンツをはいた小柄で華奢な少女は、中年の男とみられる床のコートを着た男を見下ろしていた。左手は黒い手袋をしている。
もう一人、まだ二十代後半に入ったばかりで銀髪の長身痩躯の男は、皺ひとつない高級スーツ姿で、無表情に傍に立っていた。
「連続失踪事件とは関係なくしたいものだ。沙織衆は黙ってるかな? ただの事件にならない。解導因子関連が怪しいからな。なにしろ悲鳴がまだ鳴っている」
今起きている失踪事件関係から突然、死体が出るとはまだ考え難い。
完全な無関係と言っていい。
沙織衆とは上層管理機構の職員に食い込みを図りながらこちらに侵出中のコングロマリット暴力組織だ。
死体は上層区管理機構の下請け会社である、陽霧鉄道の職員だと、コートとその腕に張られたパッチでわかる。
汽御離がしゃがみ、身体を包むコートの端を指先で摘み、身体の上から横にずらした。
下のシャツは脇腹と胸に血が染み、滲んでいた。
「二撃目でトドメか。公式セオリーだな。相手は生身の人間だ。そんなに長いような刃物じゃない」
「……生身もイマジロイドも結構。これ以上の面倒はいらない。捨てよ。無かったことにしよ。何ならここで燃やして隠滅しよ」
風唯は鬱陶しそうにブツブツ言い、細い首筋を掻く。
「遺体は回収しよう。一旦、無かったことにして手札にする」
淡々とした口調で不穏な事を言い、汽御離は手をアルコール消毒のティッシュで拭き、イヤーカムに車と人員を要請する連絡を入れた。
半ば老築化したこの辺りは陽も差さない。
もう夜中の三時を過ぎる頃のはずだ。
死体を発見したのは、時間感覚の無くなった無職の中年男性だった。
半ば有機バイオロイドとして身体改造した「イマジロイド」と呼ばれる存在だ。
上層区界には多い。
上層管理機構に失望し、かつ今更地上に戻れない人々だ。
男は「クジラがくるぞ」と警告めいたことを言っていたが、汽御離も風唯も初めから理解済みだ。
一応口止めはしておくが、多分、必要ないだろうと汽御離は思っていた。
「クジラ」
上層界に突如現れた巨大構成生物。
それは上層階のあらゆる機能を呑み込みながら内包し、破壊する天災的突然変異だった。
職員は生体機能停止と共に、共振音を鳴らし「クジラ」に訴えかけていた。
汽御離は側頭部の部位を狙いすまし、アイスピックなようなものを握り無造作に突き刺した。
共振は途絶え、辺りにはじめじめとした湿気のある空気が漂った。
約五十年近く前に東京上層計画「天乃原」は、議会のあらゆる反対の上に成立していた。
人が集まるだけでまともなインフラ復旧をしなかった東京は、いっそ新しく大々的な投資をしようと、都市改造計画の目玉として企画された。
だが、この上空五百メートル以上の空間に二十三区のうちの三区分の建造物を造るというものは、難産の末に捨て子と言って良い扱いを受けていた。
管理するのは、東京都庁職員の退職者や出向員の幹部と「それ以外」の採用職員で構成された天乃原管理機構。その杜撰な管理の不満から様々な組織が立ち上がり、地上から流入して、混乱の渦に巻き込んでいた。
さらには、裏では西側の要請で造ったものの、東寄りとなった政府によって扱いを放棄されたとも言われていた。
さらには廃棄寸前の航空艦が大量に結合しており、混乱に輪を掛けていた。
事実上の空中楼閣。浮かぶ巨大廃棄物。
もはや地上の一般の人々にとって存在の意義すら無くなってしまっていた。
予言者が救世主の到来も叫んでいた。
反対勢力の統括機関という組織だ。
だが、有機機械化し天乃原上層区界に特化適応した人々は、そんなものとは関係なしにただただ生きてゆくしかなかった。
四十絡みで痩せ型の緯麻は灯香警備会社の第二課別室の室長室で、薄水色のシャツ姿を椅子にもたれさせ欠伸をしていた。
小さな数個の窓の外には小さな積雲が見られるだけの快晴。
目の前には、黒のケープに白いワンピースで黒と白のチェック柄のワイドパンツをはいた、鮮やかな水色のショートカットをした小柄な少女が立っていた。
彼女は、緯麻が言ったことを眉間に皺を寄せながら不満そうに反芻していた。
「失踪事件を偽装して欲しい」
灯香警備会社第二課別室は、天乃原管理機構の下請けで情報工作などの実行部隊だった。
「無理。あたしは暗殺専門。そんな器用なことできない。死体なら量産してあげる」
断言したくせに声が小さいのは、元からだ。
「その言葉、もうちょっと考えて使ってくれないかね? こっちゃ仮にも公的機関だ」
「仮ならいいじゃん」
「せっかく拾ってやったのに、これからおまえさんの立場が弱くなった時どうするつもりだい?」
緯麻はわざわざお世話風に目をやる。
思わず風唯は黙る。
一瞬の間。
いきなり眉の両端が吊り上がり据わって三白眼になった目に殺気が籠る。
「……拾ってやった!? 強引にパーソナル・サイドを本体から引き抜いてこれに突っ込んだくせに、拾ってやった!? それはどこの地方の方言で!? それとも呆言? 眠たそうなツラして実は寝てる? 寝言なの!?」
今までのふてくされているかの態度から一変して、烈火のような怒りを叩きつける。
「…気付いていながら、今だに本体を回収する気もないのはどういうことだ? 今、風唯は三件の殺害容疑で送検されてるはずだ。それが宙に浮いている。本体に戻ってないからだけど? 戻ればどうにかできるし、正式にここの部員として扱える」
「すっとボケて……」
風唯はすぐに拗ねるように吐き捨てる。
どうにかできるでどうにかしてもらえられるものならとっくにやっている。
風唯は元々暗殺専門グループキフミ所属のメンバーだった。
彼女は灯香警備会社をまったく信用していなかった。
以前から組織は知っている。この会社に降りて来た人員は存在しても上がっていった者はいない。職員は定期的にどこかに消えているのだ。
そして、その職員は全員脛に傷を持っている人間ばかり。
裏の蔑称ともいえるあだ名が「出荷屋」である。
会社として、対象にする相手も職員も区別なく出荷するのだ。
緯麻はどうという感慨もない眠そうな様子で、軽く右手を上げて開いた。
「別にそのままが良いならそれでも問題ないが」
なだめる気が欠片もみられない。
緯麻には自分ががどう見えているのか風唯にはいまいち掴みかねていた。
勝手を言われるが、待遇が悪いわけではない。
コングロマリットの依頼を受けて暗殺に従事していた殺伐とした生活などより、よっぽどマシなんてものではないぬるま湯なのだ。新しい名前に身分証、そしてニューロサイエンスによる新しい身体への適応。
この身体は上々で外部身体機関であるアウトフレームを以前と同じく操作できた。
灯香警備の三課である装備課は充実した技術を持っていたのだ。
「で……、おまえさんの相棒は、湖丹汽御離だ」
「あの変態……本気? やる気あるの、あたしとあいつのコンビで失踪工作なんて」
呆れた様子を隠しもしない風唯。
湖丹汽御離は二十六歳。暗に闇医者と呼ばれているが本人も面白がっているような男だった。
容姿も振舞いも上品で物腰が良く頭も切れるゆえか、暗い好奇心に満ちた目と日常生活がまったく謎という理由で悪し様に言われたい放題な噂を呼び寄せている男だ。
風唯ですら「何者か」すら一切悟られない男に、不気味さと嫌悪感を込めた無視を決め込んできていた。
「幾ら吠えても無駄だよ。上の決定での命令だ」
緯麻はもう彼女を見ていなかった。
手元のディスプレイボードを手に、目を落とす。
風唯は小さくため息を吐いた。
部屋を出ていく時は、ふてくされた態度そのものだった。




