第98話 宮廷の罠
翌日。
わたくしたちは、王宮へと出頭した。
豪奢な謁見の間。
玉座には、若き国王が座している。
その傍らに、宰相府の現宰相をはじめとした重臣たちが居並んでいた。
けれど、わたくしの目が捉えたのは、重臣たちの、わずかに後ろ。
陰に控えるように立つ、数人の文官たちだった。
(……あの者たちだ)
ティナの水鏡が捉えた、黒いもや。
その出どころは、おそらく彼ら。
表向きは、ただの文官。
けれど、その正体は、滅びを望む者たちの手の者。
宮廷に深く潜り込んだ影だ。
◇
「ヴァルド辺境伯、ならびに、その夫人」
現宰相が、重々しく口を開いた。
「そなたらには、不審なよそ者を匿い、私兵を蓄え、反乱を企てた疑いが、かけられている。——申し開きが、あるなら聞こう」
居並ぶ重臣たちの視線が、突き刺さる。
明らかに、こちらを罪人と決めつけた空気だった。
けれど、わたくしは臆さなかった。
一歩前に出て、よく通る声で答えた。
「申し開きなど、ございません。——なぜなら、わたくしたちは、何もやましいことをしていないからです」
ざわり、と場が揺れた。
◇
「匿ったよそ者とは、行き場を失った孤児のことです」わたくしは続けた。
「私兵とは、たびたび辺境を襲う賊から、村を守るための自警団。——どこに、反乱の意図が、ありましょう」
「ならば、なぜ武装を?」重臣の一人が詰問する。
「お忘れですか。ヴァルドは、辺境。魔物や賊の脅威に、常に晒されています」静かに、返した。
「民が、自らの命を守るために団結すること。それを反乱と呼ぶのなら。——この国の辺境の民は、皆、反逆者になってしまいます」
理路整然とした反論に、詰問した重臣が、言葉に詰まった。
◇
そのとき。
陰に控えていた文官の一人が、すっと進み出た。
「お言葉ですが、辺境伯夫人」その声は、妙に平坦で感情がなかった。
「証拠が、ございます。——あなた方が不穏な企てを記した、書状が」
文官が、一通の書状を掲げた。
けれど——わたくしには分かった。
あれは、偽物。
わたくしたちを陥れるために用意された、捏造の証拠だ。
(……来た。これが、罠の本命)
宰相は、この偽の証拠で、わたくしたちを反逆者に仕立て上げる。
そういう筋書きなのだ。
けれど——その程度の罠は見越していた。
「その書状、見せていただけますか」落ち着いて、言った。
「わたくしが書いたという、その証拠を。——この目で、確かめたいのです」
◇
文官が、わずかにたじろいだ。
けれど、引くわけにはいかないのだろう。
書状を、わたくしの前に突きつけた。
それを一読し——静かに、微笑んだ。
勝機を見つけた、微笑みだった。
「これは、わたくしの筆跡を真似た、見事な偽物ですね」顔を、上げた。
「筆跡も、文面の整合も、日付も。——実に完璧に仕込まれている。並の者なら、見破れないでしょう」
文官の口元が、わずかに緩んだ。
完璧な偽証。
崩せるものなら崩してみろ、とでも言いたげに。
「ですが——あなた方は、一つ見落としています」
わたくしは、その書状を、すっと鼻先に近づけた。
「料理人の鼻は、ごまかせません」
◇
「この羊皮紙は、南方産の最高級品。乾燥して、ひび割れるのを防ぐため。——柑橘の皮から搾った専用のオイルで、手入れをします」
わたくしは、静かに続けた。
「その香りは、爽やかで揮発しやすい。乾いた暖かい場所に、数日も置けば。——とうに飛んで、なくなってしまう」
文官の顔から、笑みが消えた。
「けれど、この書状からは。今なお、はっきりと、その柑橘の香りが漂っています。——加えて、ほんのわずかに、黴の匂いも」わたくしは、目を細めた。
「香りが飛んでおらず、しかし黴の気配がある。——これは、この書状が、つい数日前まで、湿気を帯びた、気温の低い場所に保管されていた証です。——たとえば、王都の地下書庫のような」
◇
「ヴァルドは、乾いた寒い辺境。——もし、本当に、わたくしが、かの地でこれを認めたのなら。柑橘の香りは、とうに飛び、紙は、乾いてこわばっているはず」
わたくしは、文官をまっすぐ見据えた。
「けれど、この書状は、しっとりと柑橘の香りをまとっている。——つまり、これは、ヴァルドで書かれたものではない。ごく最近、王都の湿った場所で用意されたもの。——あなた方が、ここで捏造した証拠です」
謁見の間が、しんと静まり返った。
完璧に仕込んだはずの偽証。
その唯一の綻びを。
——料理人の嗅覚が、嗅ぎ分けたのだ。
◇
「な……っ。そ、そんな、香りの違いなど。——こじつけだ!」文官が、声を荒げた。
「証拠に、なるものか!」
「では、確かめましょう」即座に、切り返した。
「南方の羊皮紙を扱う商人を、お呼びください。この香りが何を意味するか、専門の者なら、すぐに分かります」
「ふん! その商人とて、辺境伯に買収されているやもしれぬ! 匂いなどという、あやふやなもので——」
食い下がる文官に、わたくしは、もう一手、用意していた。
「では、香りは、ひとまず措きましょう。——次は、このインクです」
書状の文字を、指し示す。
「ヴァルドの冬は、厳しい。インクすら凍る。だから、わたくしたちは、凍結を防ぐ特別な煤を混ぜた、青みがかった深い黒を使います。——けれど、この書状の文字は、王都の宮廷御用達の、艶のある純黒のインク」
文官の、顔が、こわばった。
「ヴァルドで、わたくしが書いたはずの書状に。なぜ、王都のインクが使われているのか」静かに、畳みかけた。
「そして——文官様。あなたの、その右手の指先。艶のある純黒の染みが、ついていますね。——どうか、その指と、この書状の文字を。並べて、お見せいただけますか」
◇
文官の指先が、震えた。
香りと、インク。
——二重の、動かぬ証拠。
もはや、どんな言い逃れも、通じなかった。
ほどなく、呼ばれた商人も、書状の香りを検め、証言した。
この柑橘の香りは、王都の湿気た場所に、つい数日前まで置かれていなければ残らない、と。
——偽証は、完全に崩れ去った。
◇
謁見の間が、どよめいた。
文官の額に、汗が滲む。
完璧なはずの偽証が、わたくしの観察眼と、料理人としての知識の前に、あっけなく崩されたのだ。
食材の産地を見抜く、舌。
物事の本質を見抜く、目。
——それは、料理で培った、わたくしの武器だった。
日々、食材と向き合い、そのわずかな差異を見逃さない。
その積み重ねが、こうした嘘を見破る力にも、なっている。
「さて」
玉座の若き王を、見上げた。
「この稚拙な捏造を仕組んだのが、誰なのか。——陛下の御前で、明らかにさせていただきます」
宮廷の罠は、破られた。
ここからは、こちらの反撃の番。
決戦の舞台は、整った。
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