第95話 動き出す影
腹心ヴェルナーの襲撃を退けてから、半月。
ヴァルドは、平穏な日々を取り戻していた。
けれど、わたくしは警戒を緩めなかった。
あの襲撃は、こちらの力を量るための、小手調べ。
——宰相は、そう言い残して、去ったのだ。
あの狡猾な男が、得た知見を、使わないはずがない。
次の一手を、虎視眈々と狙っているはず。
その予感は、的中した。
ある日、王都から一通の書状が届いた。
差出人は——王国の、現宰相府。
内容は、ヴァルド辺境伯への、出頭命令だった。
「出頭命令……?」
書状を読んだアルヴィスの眉が、険しく寄った。
◇
「“ヴァルド辺境伯が、不審なよそ者を匿い、私兵を蓄えている”」アルヴィスが、書状を読み上げた。
「“反乱の疑いあり。当主は、速やかに王都へ出頭し、釈明せよ”——だと」
「……仕組まれましたね」
わたくしは、すぐに気づいた。
ダグや、ティナを匿っていること。
村人たちが、自衛のために武装したこと。
——それらをねじ曲げ、「反乱の準備」と王都に讒言した者が、いる。
「宰相……あの男の仕業ですね」
腹心に力を試させた宰相は、今度は、武力ではなく、王国の権威を使って、わたくしたちを追い詰めようとしている。
ヴァルドの守りが固いと知ったからこそ、搦め手に、切り替えたのだ。
脱走したお尋ね者のはずなのに。
——王都のどこかに、まだ、奴に通じる者がいる。
◇
「行けば、どうなる」ダグが、不安げに尋ねた。
「おそらく、罠です」
わたくしは答えた。
「出頭すれば、何かしらの罪をでっち上げられ、囚われる。——アルヴィス様を、ヴァルドから引き離すのが狙いでしょう」
当主が不在になれば、ヴァルドの守りは手薄になる。
その隙に、ダグや、ティナをさらう。
あるいは、ヴァルドそのものを潰す。
——宰相の描いた絵が、透けて見えた。
「では、出頭はしない」
アルヴィスが言った。
「だが、それはそれで、奴の思う壺だ。命令を無視すれば、本当に反逆者にされる」
応じても、応じなくても、不利。
——巧妙な罠だった。
さすが、長年、王国を裏から操ってきた男。
その狡猾さは、健在だった。
◇
「気になるのは——なぜ、今なのか、です」
わたくしは、書状を見つめながら考えを巡らせた。
脱走した宰相が、王都の宰相府を動かせるはずがない。
表向きは、お尋ね者なのだから。
なのに、こうして、王国の正式な命令が届いた。
「つまり……王都の中枢に、宰相と通じている者がいる」アルヴィスが、低く言った。
「あるいは、宰相の背後の、“より大きな意志”とやらが。——王国そのものを動かす力を、持っているということか」
その推測に、背筋が冷えた。
もし、そうなら。
敵は、もはや、一人の脱走宰相ではない。
王国の深部にまで根を張った、巨大な影。
それが、ヴァルドを——いや、神の声を聞く者たちを、潰そうと動き出している。
「だからこそ、行くべきです」
決意を、固めた。
「王都へ赴き、敵の正体を見極める。——奴らが、どこまで王国を蝕んでいるのか。この目で、確かめなければ」
◇
「いいえ。——出頭、しましょう」
わたくしは、皆を見回して言った。
その言葉に、一同が驚く。
「セラ様!?」
「ただし、罠と知った上で、です」わたくしは微笑んだ。
「相手が、王国の権威を使うなら。——こちらも、正面から堂々と受けて立ちます。やましいことは、何もないのですから」
「だが」アルヴィスが、眉を寄せた。
「相手の狙いは、おれをヴァルドから引き離すことだ。手薄になった隙に、ティナたちをさらうつもりかもしれん。——みすみす、乗ってよいのか」
「もちろん、ただ乗るわけでは、ありません」
声を、潜めた。
「出立の前に、手を打ちます。——ヴァルドの留守は、信頼できる者と近隣の友邦に、守りを固めてもらう。そして、アスタリカのレオハルト陛下とガルム将軍に、使いを。万一、王都で孤立したときの、後ろ盾になってもらうのです」
それに、と、わたくしは続けた。
「王都には、味方もいます。この出頭命令が、宰相の差し金だと証明できれば。——逆に、奴の王都での足場を、暴いて潰せる」
ただ無防備に、罠へ飛び込むのではない。
退路と後ろ盾を、いくつも仕込んだ上で、あえて、敵の土俵に乗り込む。
——そこで、勝つ。
それが、わたくしの出した答えだった。
「面白い」
アルヴィスが、口の端を上げた。
「保険を、いくつも握った上で、敵の誘いに乗ると見せかけて。——逆に、罠に嵌めるか」
「ええ。——わたくしたちには、それだけの力が、あります」
ティナとダグも、力強く頷いた。
宿場町で出会った頃の、怯えた少女も。
鉱山で嘘つきと罵られた青年も。
今は、頼もしい戦力だった。
◇
王都へ向かう準備を進めながら。
わたくしは、ふと、あることに思い至った。
王都での戦いになれば、心強い味方がいる。
かつて、敵国でともに戦った、あの人たち。
料理が繋いだ絆。
——国を越えた、その縁が、きっと力になる。
「アルヴィス様。——王都へ行く前に。少し、寄り道をしてもいいですか」
「どこへ、行くつもりだ」
「味方を、集めに」
わたくしは微笑んだ。
「敵が徒党を組むなら。——こちらも、絆を結集します」
脳裏に、浮かぶ顔があった。
かつて、敵国アスタリカで、ともに火の神と戦った、若き王レオハルト。
そして、料理で心を通わせた、ガルム将軍。
彼らとは、国を越えた固い絆で結ばれている。
——あの縁が、今こそ力になる。
「アスタリカへ?」アルヴィスが、察した。
「だが、王都へ向かうには、遠回りに、なるぞ」
「ええ。でも、急がば回れ、です」
わたくしは頷いた。
「一人で敵の懐に飛び込むより。確かな味方を得てから挑むほうが、ずっといい。——それに、レオハルト陛下なら、きっと力を貸してくれます」
料理が繋いだ絆は、国境も損得も越える。
かつて敵だった国が、今では、最も頼れる盟友。
——それは、わたくしが、ひと皿ずつ積み上げてきた、何よりの財産だった。
宰相の、新たな策謀。
それを迎え撃つため、わたくしたちは、再び動き出した。
——今度は、これまで結んできた、すべての縁を、力に変えて。
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