表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
追放された令嬢ですが、前世は料理人でした ~辺境で餌付けしていたら、冷徹な旦那様に溺愛されています~  作者: P作
第1章 氷の辺境に嫁いで

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

9/47

第9話 氷の理由

 翌日。約束どおり、わたくしはアルヴィスと二人、館を出た。


 連れていかれたのは、館の裏手から続く、なだらかな丘だった。冬枯れの草を踏みしめて登っていくと、頂から、辺境ヴァルドの全景が見渡せた。痩せた畑。点在する小さな村。遠くに光る、海。


「きれいですね」


 素直に、そう思った。豊かとは言えない。けれど、どこか、胸に沁みる景色だった。


「……ここは」


 アルヴィスが、ぽつりと口を開いた。風に、彼の低い声が溶ける。


「戦の前は、もっと、緑があった。麦が実って、家畜が草を食み、村には子どもの声が響いていた。——おれが、守れなかった景色だ」


 わたくしは、黙って彼の横顔を見た。


「五年前。隣国との戦が、この地を焼いた。おれは辺境伯として、兵を率いて戦った。——勝った。だが、守りきれなかったものが、多すぎた」


 彼の手が、剣の柄を、無意識に握りしめる。


「多くの部下が死んだ。畑は焼かれ、蓄えは奪われ、生き残った領民は飢えた。おれは、領主でありながら、自分の民を飢えさせた。あの冬、何人もの村人が、寒さと飢えで死んでいくのを——ただ、見ていることしかできなかった」


 淡々とした口調だった。けれど、その奥に滲む痛みの深さが、わたくしには痛いほど伝わってきた。


「それから、おれは、笑い方を忘れた。豊かな食卓も、あたたかい団欒も、おれには許されないと思った。死んでいった者たちを思えば、おれだけが幸せになるなど、できるはずがなかった」


“氷の死神”。


 人々が彼をそう呼んだ理由を、わたくしは、ようやく理解した。彼は、冷たいから凍りついていたのではない。——償いきれない罪悪感に、自らを閉じ込めていたのだ。


「だが」


 アルヴィスは、こちらを向いた。


「お前が来て、館に笑い声が戻った。村に、食べ物が戻った。——おれは、お前を見ていると、思ってしまうんだ。もう一度、この地を、あの頃のように緑あふれる土地に戻せるのではないか、と。……そんな資格、おれには、ないはずなのにな」


「資格なら、あります」


 気づけば、わたくしは、強く言っていた。


「アルヴィス様。あなたは、自分の食を削ってでも、領民に食べ物を回し続けてきた。何年も、たった一人で、この土地を背負って。——それは、罪悪感だけでできることじゃありません。あなたが、心から、この土地と人を、愛しているからです」


 彼の瞳が、揺れた。


「過去は、変えられません。失われた命も、戻りません。でも——これから先を、あたたかいものに変えていくことは、できます。それは、逃げでも、裏切りでもない。死んでいった人たちだって、きっと、望んでいます。残された人たちが、笑って生きていくことを」


 風が、二人の間を吹き抜けた。


「だから——一緒に、取り戻しましょう。この土地の、緑を。人々の、笑顔を。あなたが、もう一度、心から笑える日を。わたくしが、その手伝いをします。ううん——させてください」


 言いながら、わたくしは、自分の声が震えているのに気づいた。なぜ、こんなに必死になっているのだろう。領地のためだと、自分に言い聞かせる。けれど、本当はもっと単純で、もっと切実な理由が、胸の奥にあった。


 ——わたくしは、この人に、笑ってほしい。


 ただ、それだけだった。氷のような無表情の奥に、こんなにも深い痛みを抱えていた人。その人が、ほんの少しでいいから、肩の荷を下ろして、あたたかいものを「おいしい」と感じられるように。気づけば、わたくしは、いつのまにか、そんなことばかり願うようになっていた。


 長い、沈黙があった。


 アルヴィスは、まじまじと、わたくしを見つめていた。氷が、溶けていく。彼の瞳の奥で、ずっと凍りついていた何かが、ゆっくりと、ほどけていくのが見えた。


 やがて、彼は——笑った。


 ぎこちなく、けれど、確かに。“氷の死神”が、五年ぶりに浮かべた、不器用な微笑み。それは、どんな豪奢な食卓よりも、心を打つ光景だった。


「……お前は、本当に、おかしな女だ」


「あら、ひどい」


「褒めている」


 彼は、ふっと息をこぼし、それから、まぶしいものでも見るように、目を細めた。


「セラ。お前がこの地に来てくれて——本当に、よかった」


 その言葉が、その笑顔が、胸の奥に、じんと染み込んでいく。


 ああ、まずい、と思った。


 わたくしは、この人のことを——もう、ただの「夫」とは、思えなくなっている。



 丘を降りる道すがら、わたくしは、ずっと考えていた。


 この人のために、何かしたい。料理人として。そして——たぶん、それだけではない、別の気持ちで。


 五年間、自分の幸せを許せずに生きてきた人。あたたかい食卓を、自分には不相応だと閉ざしてきた人。そんなアルヴィス様に、たった一皿でいい。「生きていて、よかった」と——そう、心から思えるような、そんな料理を、作ってあげたい。


 それは、贅沢な食材で作る、豪華なごちそうではない。きっと、もっと素朴で、もっとあたたかくて、彼の凍りついた心の、いちばん奥まで届くような、そういう一皿。


 けれど——それが、どんな料理なのか。彼が本当に求めているものが何なのか、わたくしは、まだ知らない。戦の話は聞けた。でも、彼の“好きなもの”を、わたくしはまだ、何ひとつ知らないのだ。


(……そうだ。あの人なら、知っているかもしれない)


 ふと、長くこの館に仕える、あの老家令の顔が浮かんだ。


「アルヴィス様」


 わたくしは、隣を歩く彼を見上げた。


「明日の夜、楽しみにしていてください。——とっておきの、一皿をお作りします」


 きょとんとする彼に、わたくしは、ただ、にっこりと笑ってみせた。


 胸の奥で、新しい決意が、あたたかく灯っていた。


最後まで読んでいただきありがとうございます。

続きが気になったら、評価とブックマークで応援いただけると執筆の励みになります!


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ