第88話 忍び寄る影
翌朝。
わたくしは、ダグに坑道の様子を見に、案内してもらった。
彼の力を、この目で確かめたかった。
傷ついた理由の根を知るために。
坑道の入り口に立つと、ダグは、目を閉じ、岩壁にそっと手を当てた。
「……聞こえる。山が、痛がってる」
彼は、低く呟いた。
「この奥の、新しく掘った区画。あそこは、もう限界だ。
岩が悲鳴を上げてる。——近いうちに、また崩れる」
その横顔は、真剣そのものだった。
嘘でも戯言でもない。彼は、本当に大地の声を聞いている。
わたくしの《美食家の舌》が、食材の声を聞くのと同じように。
◇
「ダグさん。——あなたの力を、町の人に信じてもらいましょう」
わたくしが言うと、ダグは、力なく首を振った。
「無理だ。何度も試した。——誰も、聞きやしねえ」
「いいえ。今度は、わたくしたちがいます」
わたくしは微笑んだ。
「あなた一人の言葉なら、戯言と笑われても。
——三人が同じことを言えば。それも、よその土地から来た者が裏付ければ。話は、違ってくるはずです」
ダグの目に、かすかな光が灯った。
そうだ。彼は、ずっと独りだった。
独りで叫び、独りで笑われてきた。
けれど、もう違う。
わたくしと、ティナがいる。同じ力を持つ、仲間が。
——それだけで、孤独な戦いは変わる。
「……やってみるか」
ダグが、ぽつりと呟いた。
久しぶりに、希望のにじむ声で。
◇
けれど、その矢先のことだった。
ティナが、ふいに桶の水を覗き込み、顔を青ざめさせた。
「セラ様……来る。あの、黒い影が。
——もう、この町に入ってる」
その言葉に、空気が凍りついた。
宿場町で噂に聞き、ティナが水鏡で捉えた、あの黒ずくめ。
神の声を聞く者を狙う、滅びを望む者たちの手の者。
——それが、ついに、ダグのもとへたどり着いたのだ。
「ダグさんを、狙って?」
「うん。間違いない」
ティナが、震える声で頷いた。
「“地の声を聞く者を、確保しろ”って。——そう、言ってる」
確保。
——生かして捕らえるつもりか。
その力を利用するために。あるいは、知識を奪うために。
◇
「ダグさん。——あなたは、狙われています」
わたくしは、彼に、事の次第を手短に告げた。
世界の滅びを望む者たちが、神の声を聞く者を代々狙ってきたこと。
その手が、今、彼に伸びていること。
ダグは、にわかには信じられない、という顔をした。
「俺が……狙われてる? なんで、俺なんかが」
「あなたの力が、それだけ特別だからです」
彼の目を、まっすぐに見た。
「でも、安心してください。——わたくしたちが、あなたを守ります。
絶対に、奴らの好きにはさせません」
そのとき。
宿の外が、にわかに騒がしくなった。
窓の隙間から、そっと外を窺う。
——いた。
黒い外套を纏った数人の男が、鋭い目つきで辺りを探っている。
明らかに、堅気ではない。
「アルヴィス様」
「ああ。——気づいている」
アルヴィスは、すでに剣の柄に手をかけていた。
その目が、鋭く光る。
「数は、四、五人といったところか。
——厄介だが、お前たちは、おれが守る」
◇
静かな緊張が、宿の中に満ちた。
ダグは、青ざめながらも拳を握りしめていた。
「俺の、せいで……あんたたちまで、巻き込んじまった」
「違います」
わたくしは、首を振った。
「あなたは、被害者です。
——そして、わたくしたちは、仲間を守るために、来たんです」
仲間。
——その言葉に、ダグの目が揺れた。
生まれて初めて、誰かにそう呼ばれた。
守るべき、守られるべき、存在として。
「逃げましょう。——まずは、この町を出て、態勢を立て直します」
わたくしは、皆を見回した。
「ダグさんの力と、ティナの水鏡。そして、アルヴィス様の剣。
——力を合わせれば、必ず、切り抜けられます」
◇
裏口から、そっと、宿を出る。
人目を避け、路地を縫って、町の外れへ。
けれど——廃坑の近くまで来たところで、行く手に、ぬっと黒い人影が立ち塞がった。
「探したぞ。——地の声を聞く小僧」
外套の男が、低く嗤った。
その背後から、仲間が、二人、三人と現れる。
退路にも、いつのまにか別の男が回り込んでいた。
完全に、囲まれている。
「悪いが、その小僧には来てもらう」
男の声は、感情がなく冷たかった。
「我らが、長く捜してきた“器”だ。逃がすわけにはいかん」
「……器?」
わたくしは、眉をひそめた。
「貴様らには、関係ない」
男が手を上げると、仲間たちが、一斉に得物を構えた。
「邪魔をするなら——消すまでだ」
張りつめた空気。
けれど、わたくしは、ダグを背に庇って、一歩も退かなかった。
「させません」
凛と、声を放つ。
「この人は、もう独りじゃない。——わたくしたちの、仲間です」
アルヴィスが、すらりと剣を抜いた。
その刃が、鈍く光る。
ティナは、水鏡を握りしめ、ダグは、覚悟を決めた目で拳を固める。
迫る、黒い影。守るべき、新たな仲間。
これまで、影として匂わせるだけだった敵が。
いま、ついに牙を剥いて、わたくしたちの前に立ち塞がった。
仲間を集める旅は、はやくも、最初の試練を迎えていた。
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