第86話 水鏡のしるべ
ティナが、ヴァルドに来て、ふた月が過ぎた。
少女は、すっかりこの地に馴染んでいた。
村の子らと笑い合い、畑仕事を手伝い、水鏡の力で、作物や家畜の世話に、なくてはならない存在になっている。
その頬には、もう、出会った頃の暗い影はない。
そんなある日。
わたくしは、ティナに、ひとつの相談を持ちかけた。
「ティナ。——あなたの水鏡で、試してみたいことがあるんです」
「試したいこと?」
「ええ」
五つの珠を、机に並べた。
地図が、空中に浮かび上がる。
「この地図に、白い光が、いくつか灯っているの。
——あなたや、わたくしと同じ。世界の声を聞く者の、しるしだと思います。その一つに、あなたの水鏡で、近づけないかと」
◇
ティナは、興味深そうに、地図を覗き込んだ。
「この、白い光が……わたしと、同じ人?」
「きっと。みんな、バラバラの土地で、自分の力に戸惑っているはず。——あなたが、そうだったように」
わたくしは微笑んだ。
「もし、その人たちと繋がれたら。きっと、もう、誰も独りで苦しまずに済む」
ティナの目が、きらりと輝いた。
かつての自分のように、孤独な誰かを助けたい。
その想いが、少女を突き動かしたのだろう。
「やってみる!」
ティナは、桶に澄んだ水を張った。
そして、地図の白い光の一つを見つめながら、水面に意識を集中させていく。
——水鏡に、遠くの声を映すために。
◇
水面が、かすかに波打った。
ティナの額に、汗が滲む。
これまで身近な生き物の声しか聞いてこなかった力を、もっと遠くへ。もっと大きく。
彼女は、必死に伸ばそうとしていた。
「……聞こえる」
ティナが、震える声で呟いた。
「遠い……山の声。岩の声。
——そして、誰かが、その声に応えてる。わたしや、セラ様みたいに……!」
「どこですか。——その人は、どこに?」
「東の……大きな山脈。鉱山の町。
そこに……地面の声を聞く人が、いる」
ティナは、目を見開いた。
「でも……その人、苦しんでる。
“また、誰も信じてくれない”って。——独りで、泣いてる」
水鏡が、新たな同志の存在を、確かに捉えたのだ。
◇
「もっと……見える」
ティナが、なおも水面を見つめ続けた。
「その人の、まわりに……黒い、影が。何人も。
——その人を、捜してる。良くない、目的で」
その言葉に、わたくしは、はっとした。
黒い影。
——宿場町で聞いた、あの噂。
黒ずくめの集団が、逃亡者を捜している、と。
まさか、その手の者が、地の声を聞く同志まで狙っているのか。
「セラ様……わたし、こわい」
ティナの声が、震えた。
「あの黒い影、見ているだけで、ぞっとする。
まるで……世界を、壊したがってるみたいな」
世界を、壊したがっている。
——その直感は、おそらく正しい。
神の声を聞く者を消そうとする、世界の滅びを望む者たち。
その手が、いま、新たな同志に、伸びようとしている。
「……急ぎましょう」
立ち上がった。
「その人が、悪い者たちに捕まる前に。
——わたくしたちが、先に、たどり着かなければ」
のんびりした仲間集めの旅では、なくなった。
これは、時間との戦いでもある。
◇
「……見つけましたね。よく、やりました」
わたくしは、汗だくのティナの肩にそっと手を置いた。
少女は、疲れた顔をしながらも、誇らしげに笑った。
自分の力が、誰かを救う第一歩になる。
それが、嬉しくてたまらないのだろう。
「東の山脈の、鉱山の町。——地面の声を聞く者」
わたくしは、その言葉を胸に刻んだ。
地の声を聞く力。
わたくしの舌が、食材の声を。
ティナの水鏡が、生き物の声を。
そして、その人は——大地そのものの声を聞くという。
それぞれ違う形で、世界の声を聞いている。
やはり、原初の神が各地に遺した、同じ系譜の者たちなのだ。
「アルヴィス様。——次の行き先が、決まりました」
わたくしが告げると、アルヴィスは頷いた。
「鉱山の町か。——遠いが、行く価値はある。
お前と同じ力を持つ者を、放ってはおけん。それに——黒ずくめが絡むなら、なおさらだ」
◇
旅の支度が、整った。
今度の旅には、ティナも連れていくことにした。
水鏡で、同志の居場所を、より正確にたどるために。
そして——同じ孤独を知る少女がいれば、きっと、その人の心も開きやすい。
「わたし、頑張る!」
ティナが、意気込んだ。
「セラ様が、わたしを救ってくれたみたいに。
——今度は、わたしが、その人を助けたい」
その言葉に、胸が温かくなった。
救われた者が、次の誰かを救おうとする。
優しさが、巡っていく。
——それは、神々の絆を繋ぎ直すことと、どこか似ていた。
胸元の五つの珠が、応えるように淡く光る。
そして、まだ見ぬ、新たな同志の白い光へ。
「行きましょう。——わたくしたちの仲間に、会いに」
◇
ヴァルドを発つ朝。
空は、どこまでも高く、澄んでいた。
「留守のことは、お任せを」
セバスが、恭しく頭を下げた。
「畑のことも、村のことも。
——お二人が戻られるまで、しかと守っておきます」
「ありがとう、セバス。——いってきます」
見送りの村人たちの中に、ティナを慕う子どもたちの姿もあった。
旅に出ると知って寂しそうにしている子らに、彼女は、しゃがんで目線を合わせ、約束した。
「すぐ、帰ってくるから。——新しいお友達を、連れてね」
その横顔は、もう、怯えてばかりだった少女のものではない。
誰かを助けに行く、頼もしい一人の同志の顔だった。
わずかふた月で、この子は、こんなにも変わった。
——料理と人の温もりが凍えた心を溶かせば、人はここまで強くなれる。
その事実が、わたくしの胸を、静かに勇気づけた。
これから出会う同志も、きっと。どれほど傷ついていても、必ず立ち直れる。
馬車が、東へと走り出す。
仲間を集める旅が、いま、本当の意味で始まろうていた。
新たな同志のもとへ。
傷だらけの魂を癒し、あたたかな居場所を作るために。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
続きが気になったら、評価とブックマークで応援いただけると執筆の励みになります!




