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【7/5 7AMに最終話投稿予定】追放された令嬢ですが、前世は料理人でした ~辺境で餌付けしていたら、冷徹な旦那様に溺愛されています~  作者: P作
第9章 風の歌集う声

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第82話 風の歌

どれほど、聞き続けただろう。


風の神の、何百年分の独白を、わたくしはひとつ残らず受け止めた。

寂しさも、怒りも、諦めも、すがるような希望も。


——すべてを聞き終えたとき、神の声は、憑き物が落ちたように静かになっていた。


——汝ハ、本当ニ……最後マデ、聞イテクレタ。


「ええ」

わたくしは頷いた。

「あなたの声は、ちゃんと届きました。もう、独りじゃありません」


——ドレホド、コノ時ヲ待ッタロウ。タダ、聞イテモラウ。タッタ、ソレダケノコトヲ。


風が、すすり泣くように震えた。

何百年もの孤独が、ようやく終わったのだ。


けれど、わたくしは知っていた。これで、終わりではない。


聞くことは、最初の一歩。

次は——断たれた架け橋を、もう一度結び直すこと。


神の声を人へ、人の想いを神へ。

その循環を取り戻さねば、また同じことが、繰り返される。


「風の神様。——あなたの声を、わたくしが人々に伝えます。そして、人々の想いを、あなたに届けます」


捧げた供物に、手を添えた。

風干しの実り。風の恵みが生んだ、味。


「この供物を、召し上がってください。あなたの風が育てた、恵み。——天空の民が、あなたへの感謝を込めて、分けてくれたものです」


風が、ゆっくりと供物を包んだ。

そして——その“味”を確かめるように震える。


——コレハ……我ノ風ガ運ンダ、実リノ味。人ガ、我ニ、感謝ヲ……?


「ええ」

とわたくしは微笑んだ。

「人々は、あなたを忘れていただけ。憎んでいたわけでも、見捨てていたわけでもありません。ただ——あなたの声を聞く術を、失っていただけなんです」


そのとき。風に乗って、麓からかすかな“声”が届いてきた。


天空の民が——岩屋の人々が、歌っていた。


長を中心に、わずかに残った風の歌の、断片を。

途切れ、かすれ、それでも必死に。

何百年も忘れていた、風の主への、感謝の歌を。


——歌ってくれている。あの約束を、果たして。


風が和らぎはじめた、その兆しを、麓の人々も、感じ取ったのだ。

その歌が、風に乗って、神のもとへと昇ってくる。


——歌ダ。風ノ、歌ダ。何百年、忘レテイタ……人ガ、我ニ、歌ッテクレテイル……!


風の神の想念が、歓喜に打ち震えた。

それは、もう孤独の絶叫ではなかった。応えてもらえた、喜びの震えだった。


「聞こえますか。——人々は、あなたを想っています。あなたの恵みに感謝しています。その想いが、ちゃんとここに届いているでしょう?」


——アア。……届イテイル。確カニ。人ノ、想イガ。


その瞬間。荒れ狂っていた嵐が——ふっと凪いだ。


何ヶ月も休みなく吹き荒れていた風が、嘘のように穏やかになっていく。

やわらかなそよ風が、断崖を撫でた。


それは、人々を慈しむ優しい風。かつての、恵みの風だった。

歌い処の岩棚に立つわたくしの髪を、その風が優しく揺らす。


——礼ヲ言ウ。風ノ、新タナ歌イ手ヨ。汝ガ、聞イテクレタオカゲデ。我ハ、思イ出シタ。人ヲ慈シム、本来ノ我ヲ。


風の神の声は、もうあたたかかった。

深い孤独から解き放たれた、安らぎに満ちていた。


——コレカラハ、忘レラレテモ、嘆クマイ。汝ガ、繋ギ直シテクレタ。人ト、我ノ絆ヲ。コノ風ガアルカギリ、人ノ想イハ、巡リ続ケル。


そして、風の神は、その身からひとひらの光をこぼした。

澄んだ、空色の珠。


五つ目の加護の証が、わたくしの手のひらへと、舞い降りてきた。


断崖を、見下ろす。


引き裂かれていた集落に、穏やかな風が吹き渡っていた。

岩屋から、おそるおそる人々が出てくる。


何ヶ月ぶりかの、凪いだ空気。その頬を撫でる優しい風に、人々は涙を流していた。


「風が……風が、鎮まったぞ!」

「奥方様が……あの方が、風の主を鎮めてくださった……!」


歓喜の声が、断崖にこだまする。

今度は、その声をかき消す風はもうない。


人々の喜びの声が、まっすぐに空へと昇っていく。

風に運ばれて。人の想いと、神の想いが、ふたび巡りはじめた。


「……繋がった」


わたくしは、空色の珠を握りしめた。


五柱目の神を救えた。

断たれていた、人と神の架け橋を——もう一度、結び直せたのだ。


穏やかな風が、わたくしの頬を撫でていく。まるで、ありがとう、とでも言うように。


歌い処を下りると、アルヴィスが駆け寄ってきた。


風が鎮まると同時に、岩陰から飛び出してきたのだろう。

その顔に、隠しきれない安堵が滲んでいた。


彼は、わたくしの肩を強く抱き寄せた。


「……無事か。声が聞こえないあいだ、生きた心地がしなかった」


「ええ。——ちゃんと、戻ってきました」

彼の腕の中で、微笑んだ。

「今度の戦いは、剣も料理も使いませんでした。ただ、聞くだけ。——でも、いちばん、苦しかったかもしれません」


何百年分の孤独を、まるごと受け止める。

それは、想像していたよりも、ずっと重い戦いだった。

気を抜けば、神の絶望に、呑まれてしまいそうだった。


「お前は、よくやった」

アルヴィスは、わたくしの髪をそっと撫でた。

「誰の声も届かなかった神に、お前の声が届いた。——お前にしか、できないことだ」


その言葉に、張りつめていたものがほどけていく。

優しい風の中で、しばらく、彼の腕の温もりに身を預けていた。


その夜。断崖の集落は、ささやかな宴に沸いた。


風が鎮まり、久しぶりに安心して火を熾せるようになった人々のために、腕をふるった。

風干しの実りを使った、滋味深い煮込み。


それを、回復した竈の火であたたかく仕立てる。


風に晒された実りは、余分な水分を抜かれ、味がぎゅっと凝縮されていた。

前世で言う、ドライトマトや干し肉の知恵。


それを、ヴァルドから持参した出汁と合わせると——煮込むほどに、深い旨みが汁へと溶け出していく。

《美食家の舌》が、その味を捉えた。


風が奪った水分のぶんだけ、濃く実った甘み。

外で長く陽と風に晒された、滋味の奥行き。

——荒ぶる嵐ではなく、優しい風が育てた恵みの味だった。


「うまい……! 何ヶ月ぶりだろう、こんなあたたかい飯は」


長が、涙ながらに頬張った。


「奥方様。あなたは、風の主だけでなく……わしらの心まで、救ってくださった」


人々の笑い声が、夜の断崖に響く。

その声を、もうかき消す風はない。


むしろ、優しい夜風が、その笑い声を星空へと運んでいく。

風の神も、きっと、それを嬉そうに聞いているのだろう。


人と神の絆が、また、ひとつ結び直された。

それが、世界の理を少しずつ修復していく。


——“あのお方”の眠りを、安らかにするために。

最後まで読んでいただきありがとうございます。

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