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【7/5 7AMに最終話投稿予定】追放された令嬢ですが、前世は料理人でした ~辺境で餌付けしていたら、冷徹な旦那様に溺愛されています~  作者: P作
第9章 風の歌集う声

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第80話 風の歌い手

岩屋の奥。

風の音が絶え間なく響く中で、長は、ぽつり、ぽつりと語りはじめた。


「遠い昔のことだ。我が民は、“風の歌い手”をいただいておった」


「風の、歌い手?」


「ああ」

長は、深く皺の刻まれた手を組んだ。

「風の主の声を聞き、その想いを歌にして人々へ伝える者。端的に言えば、人々の感謝や祈りを歌に乗せて、風の主へ返す者。——風の歌い手は、人と風の主を繋ぐ架け橋だったのだ」


その言葉に、わたくしは息を呑んだ。


風の主の声を聞き、人と繋ぐ者。

——それは、わたくしの《美食家の舌》と同じ役割。


神々の声を聞き取る力。風の歌い手。

土地が違えど、神と人を繋ぐ者は、世界のあちこちにいたのだ。


「風の主は、その歌を何より喜ばれた。歌い手の歌に応えて、穏やかな恵みの風を吹かせてくださった。豊かな実りも、心地よい季節も。すべて、風の主と歌い手の繋がりがもたらした賜物だ」


「……その歌い手は。今は」


わたくしが尋ねると、長の顔が深い悲しみに、沈んだ。


「絶えた。——もう、何代も前にな」


風の音が、ひときわ強くなった。

まるで、その話を嫌がるかのように。


「歌い手の血筋は細り、やがて絶えた。残された我々は、歌を忘れ、ただ風の恵みを当たり前のように、享受するだけになった。風の主が、何を語りかけても——もう、誰も聞き取れなくなったのだ」


長の声が震えた。


「考えても、みろ。……ずっと語りかけているのに、誰にもその声が届かない。来る日も、来る日も。何百年も。——風の主は、ずっと独りで叫び続けていたのだ。誰か聞いてくれ、と。なのに、我々は何も応えなかった」


胸が、締めつけられた。


——そうだったのか。


水の神は諦めて、心を閉ざした。

けれど、この風の神は違う。諦めなかった。


何百年も、叫び続けた。「聞いてくれ」と。

届かないと知りながら、なお、語りかけ続けた。

それは、希望を捨てられないがゆえの苦しみだった。


そして、ついに——耐えきれなくなったのだ。

誰にも届かない声を叫び続ける、その孤独に。


だから、暴れている。

声を嵐に変えて。「これでも聞かないのか」「これでも気づかないのか」と。

荒れ狂う風は、神の悲痛な絶叫だった。


(……あなたは、ずっと、聞いてほしかったんですね)


わたくしは、確信した。

この神に料理を捧げるだけでは、足りない。


必要なのは——その声を、聞くこと。


何百年も誰にも届かなかった、その叫びを。ちゃんと、受け止めること。


これまでとは、逆だ。

これまでは、わたくしが料理で神に「与えて」きた。

けれど今度は、まず、神から「受け取る」ことから始めなければ。


長い長い独白を、ただ聞く。

それが、この神を救う、最初の一歩だった。


「長。——わたくしには、風の主の声が聞こえます」


そう告げると、長は弾かれたように、顔を上げた。


「な……なんだと?」


「わたくしの授かった力は、《美食家の舌》。食べ物を通して、世界の声を聞く力です。——きっと、風の歌い手と同じ。わたくしになら、風の主の声を聞き取れます」


長の、虚ろだった目に、みるみる光が満ちていく。


何百年も誰も聞けなかった、風の主の声。

それを聞ける者が、今、目の前に現れた。

それは、この絶望の国にとって、まさに奇跡だった。


「ほ、本当か……! では、お前さんが、新たな風の歌い手に……!」


「ええ。——わたくしが、風の主の声を聞き、その想いを、あなたたちに伝えます。

そして、あなたたちの感謝を、もう一度、風の主へ届けます。

——途切れてしまった、その架け橋を、もう一度、繋ぎ直すんです」


「長。風の歌い手は、どうやって風の主と、心を通わせていたのですか」


わたくしの問いに、長は記憶を手繰るように、目を閉じた。


「……断崖の頂に、“歌い処”と呼ばれる聖なる岩棚があった。歌い手は、そこで風の主への供物を捧げ、歌を歌った。

供物は——確か、その季節のいちばん滋味深い実りを、風に晒して干したもの、だったか。風の通り道で、ゆっくりと味を凝らせた、特別な食べ物だ」


その言葉に、わたくしの中で何かが繋がった。


風に晒して味を凝らせた食べ物。

——それは、まさに料理だ。風を使った、保存と熟成の技。


前世でも、干物や、風干しの肉や、天日の野菜に、その知恵はあった。

風の恵みが生んだ、滋味。それを供物として、風の主は喜んだ。


「……分かりました。声を聞くだけでは、ありません」

確信が、深まる。

「風の主の声を、わたくしの舌で聞き取る。そして、風が生んだ恵みの料理を捧げる。——聞くことと、与えること。その両方で、断たれた絆を、結び直せるはずです」


長の歌い手の知恵と、わたくしの料理。

二つが、ひとつに溶け合った瞬間だった。


風は、なおも吹き荒れている。

神の孤独な絶叫は、まだ止まない。


けれど、もう、独りではない。

何百年ぶりに、その声を聞こうとする者が、現れたのだから。


「待っていてください、風の神様。——今、あなたの声を、聞きに行きます」


わたくしは、嵐の吹きすさぶ断崖の空を、まっすぐに見上げた。

その瞳の奥に、もう、迷いはなかった。



最後まで読んでいただきありがとうございます。

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