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【7/5 7AMに最終話投稿予定】追放された令嬢ですが、前世は料理人でした ~辺境で餌付けしていたら、冷徹な旦那様に溺愛されています~  作者: P作
第9章 風の歌集う声

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第79話 断崖の国

西への旅は長かった。


平野を越え、森を抜け、川を渡り。

進むほどに、土地は高く、険しくなっていく。


やがて行く手に、見上げるほどの大山脈が立ちはだかった。

雲を貫く、峨々たる峰々。

その、はるか高みに、目指す国はあるという。


「……あんなところに、人が住んでいるのですか」


馬車を降り、徒歩で山道を登りながら、わたくしは息を呑んだ。


「天空の民、と呼ばれるだけのことはあるな」

アルヴィスも、峻険な岩壁を見上げた。

「これは……ノルドの雪山とは、また違う険しさだ」


道案内は、麓の村で雇った、山慣れた青年だった。

彼は慣れた足取りで岩場を進みながら、言った。


「天空の民は、断崖に張りついて暮らす、誇り高い人々です。風を読み、風とともに生きてきた。——けれど、その風が、今は」


登るほどに、風が強くなった。


ただの風ではない。鋭く、荒々しく、絶え間なく吹きつける。

岩肌にしがみつくように進まなければ、体ごと谷底へ吹き飛ばされそうだった。


胸元の四つの珠が淡い光で、わたくしたちの周りの風をわずかに和らげてくれる。

それでも、息をするのもやっとだった。


「これが……風の神の、暴走」


声も、風にちぎられて、すぐにかき消される。

すぐ隣のアルヴィスに話しかけるのにも、声を張り上げねばならなかった。


そのときだった。

ひときわ強い突風が、横ざまに吹きつけた。


道案内の青年の体が、ふわりと宙に浮く。

断崖の縁から、足が離れた。


「危ない!」


アルヴィスの手が、間一髪、青年の腕を掴んだ。

けれど、風は容赦なく、二人を引きずろうとする。


わたくしは、とっさに四つの珠を握りしめ、念じた。

——どうか、力を。風を和らげて。


珠が、まばゆく輝く。ことに、火の神の珠が。


荒れ狂う気流の中に、ふっと上昇する熱の柱が生まれ、吹き下ろす風をわずかに押し返した。

その隙に、アルヴィスが青年を岩棚へと引き戻す。


「……助かった。すまねえ」

青年が、青ざめた顔で、礼を言った。


火と風は、響き合う。

救ってきた神の力が、こんなところで命を繋いだ。


——珠は、ただの記念ではない。

確かに、わたくしたちとともに戦ってくれている。


ようやく、断崖の国へたどり着いたとき。

わたくしは、その惨状に言葉を失った。


断崖に張りつくように築かれた、石造りの集落。

それが、無残に引き裂かれていた。


吹き飛ばされた屋根。なぎ倒された段々畑。

岩肌にしがみつくわずかな作物も、根こそぎ嵐に毟り取られている。


人々は、洞窟のような岩屋に身を寄せ合い、吹きすさぶ風に、ただ耐えていた。


「よそ者か……」


痩せ細った、集落の長が、力なく顔を上げた。


「悪いことは言わん。すぐに立ち去れ。この地は、もう終わりだ。風の主のお怒りが解けぬかぎり……わしらは皆、吹き散らされて死ぬ」


その絶望は、これまで巡ってきたどの土地よりも、深いように見えた。

風は休む間もなく吹き荒れ、人々から、声も、気力も、希望も奪い去っていた。


「諦めるのは、まだ早いです」


長の前に膝をつき、風に負けじと声を張った。


「わたくしは、その風の主を——鎮めに来ました」


長は、力なく首を振った。


「無駄だ。風の主は、何を捧げても聞き入れぬ。祈っても、供物を捧げても、嵐は強まるばかり。——もう、何ヶ月も、こうだ」


「いつから、こうなったのですか」

わたくしは尋ねた。

「風が、荒れはじめたのは」


長は、虚ろな目で宙を見た。


「……半年ほど前。最初は、ほんの気まぐれな突風だった。それが、日に日にひどくなって。今では、声も届かぬ、この有様だ」

その声が震えた。

「わしらは、風とともに生きてきた。風の歌を聞き、風に乗せて、想いを交わしてきた。——なのに、その風が今は、わしらの声をことごとくかき消す。家族の名を呼んでも、隣にすら届かんのだ」


その言葉に、はっとした。


声をかき消す、風。

——やはり。胸に芽生えていた予感が、確信に変わっていく。


この風の神の苦しみは、きっと“声”に関わっている。


風は、声を運ぶもの。なのに、その風が、人の声を断っている。

——まるで、誰の声も、もう聞きたくない、とでもいうように。


「……ひとつ、伺います」


長の目を、まっすぐに見た。


「この国には、風の主にまつわる言い伝えが、ありますか。昔、どんなふうに、風の神を敬っていたのか。——その手がかりが、知りたいのです」


これまでも、そうだった。

ノルドの眠りの山。サウディスの大砂漠。ミルディアの水底の主。アスタリカの鎮火の儀。


——忘れられた神を鎮める鍵は、いつも、その土地に古くから眠っていた。


長は、しばらくわたくしの顔を見つめていた。

そして、何かを感じ取ったのか、ゆっくりと口を開いた。


「……お前さん。本気の目を、しておるな」


長い諦めに沈んでいた、その瞳に。

ほんのわずか、光が戻った気がした。


「いいだろう。……聞かせてやる。我が民に伝わる、“風の歌い手”の、言い伝えを」


風の吹きすさぶ岩屋の奥で。

忘れられた風の神を巡る、新たな物語が、いま、静かに動き出そうとしていた。

最後まで読んでいただきありがとうございます。

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