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【7/5 7AMに最終話投稿予定】追放された令嬢ですが、前世は料理人でした ~辺境で餌付けしていたら、冷徹な旦那様に溺愛されています~  作者: P作
第9章 風の歌集う声

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第78話 風の噂

アスタリカから帰って、ひと月が過ぎた。


ヴァルドの夏は、短い。

けれど、その短い盛りを、領地はめいっぱい謳歌していた。


畑は実り、川は澄み、人々の笑い声が村々に満ちている。

わたくしは、その豊かさを確かめるように、毎日を忙しく、けれど穏やかに過ごしていた。


書庫通いも、続けていた。


アスタリカの古文書庫で知った、世界の真実。原初の神。神の舌の使命。

——それを胸に、改めてヴァルドの記録を読み返すと、断片の意味が、以前よりずっと深く読み解けるようになっていた。


けれど、肝心な“あのお方”を鎮める具体的な方法は、まだ、どこにも記されていない。


ただ、ひとつだけ。

気にかかる記述を、見つけていた。


初代辺境伯の覚え書きの隅に、かすれた文字で、こう記されていた。


『神の舌は、ひとりにあらず。時を経て、世が滅びに傾くとき、再び現れる』


——まるで、わたくしの転生を、予言するかのような一文。


なぜ、わたくしは前世の記憶とともに、この力を授かったのか。

なぜ、よりによって、世界が滅びに傾くこの時代に。


——その答えは、まだ、霧の中だった。

けれど、確かに、何か大きな意志のようなものが、わたくしをこの地へ導いた気がしてならなかった。


「焦っても、仕方ありません」


わたくしは、自分に言い聞かせた。


地図に残る、赤黒い光点。次に暴走しかける神を一柱ずつ。

そうやって進んだ先に、答えがある。アルヴィスの言葉を、信じて。


その日。一人の旅芸人が、ヴァルドを訪れた。


各地を巡って歌や物語を売る吟遊詩人だった。

村の広場で、彼の語る遠い国々の話に、子どもたちが目を輝かせている。

わたくしも、料理の差し入れがてら、その輪に加わった。


差し入れたのは、夏野菜をたっぷり煮込んだ冷たいスープ。

井戸で冷やした器に注ぐと、詩人は驚いた顔でひと口すすった。


「……これは。旅の空の下で、こんな贅沢な味に出会えるとは」

彼は、しみじみと目を細めた。

「方々を巡ってきましたが、ヴァルドほど食卓の豊かな土地は、そうそうありません。——奥方様の評判は、本当だったのですな」


その言葉に、村人たちが誇らしげに笑う。

痩せた辺境だったこの地が、今では旅人に羨まれるほどになった。

その事実が、何より嬉しかった。


「では、お礼に。最近の、とびきり奇妙な話を一つ」


詩人は、声を潜めた。


「西の果て。空に最も近い国——“天空の民”が暮らす、断崖の地。そこで今、恐ろしいことが起きているそうな」


胸が、ざわついた。

空に近い国。断崖。——聞いたことのない土地。


「風が、狂ったのだそうです」

詩人は続けた。

「いつもは穏やかに、人々を見守っていた風が。ある日突然、荒れ狂いはじめた。作物を薙ぎ倒し、家を吹き飛ばし、人の声さえかき消してしまう。もう、何ヶ月も嵐が止まないのだとか」


——間違いない。


わたくしは、確信した。

風の暴走。それは、五柱目の忘れられた神の、仕業だ。


その夜。自室で四つの珠を机に並べ、地図を呼び出した。


味、潤い、水、火。

四つの光に応えて、空中に世界の像が浮かぶ。


そして——西の、ひときわ高い山岳地帯。

そこに、激しく明滅する赤黒い光点が、あった。


「……ここですね」


これまでで、いちばん不穏な脈打ち方だった。

風の神の暴走は、相当に進んでいる。


「また、旅に出るのか」


いつのまにか、隣にアルヴィスが立っていた。

地図を見つめるその横顔は、もう驚いてはいない。覚悟の決まった、静かな顔だった。


「ええ。——断崖の国、“天空の民”のもとへ。次の神様が、待っています」


「遠いな。これまでで、いちばん」

アルヴィスが、地図の距離を測るように、目を細めた。

「険しい山道だ。雪のノルドより、過酷かもしれん」


「それでも、行きます」

わたくしは頷いた。

「風に声をかき消されて。助けを求めることすら、できない人たちがいる。——放っては、おけません」


旅の支度を進める中、わたくしは、ふと、あることに気づいた。


風。——それは、声を運ぶもの。


人の声も、神の声も。

本来、風は想いを遠くへ届ける、優しいものだったはず。

なのに、その風が今は、人の声さえかき消している。


(……もしかしたら)


胸に、予感が芽生えた。

これまでの神々——飢え、渇き、諦め、自己嫌悪。

それぞれに違う苦しみを、抱えていた。


風の神の苦しみも、きっと、風の性質と深く結びついている。


声を運ぶ神が、声をかき消す。

それは、何かを叫んでいるのかもしれない。誰にも届かない、声で。


「……あなたは、何を訴えているの」


まだ見ぬ神に、そっと問いかけた。

その答えは、断崖の国の嵐の中にこそ、あるのだろう。


数日後。わたくしたちは、ヴァルドを発った。


セバスや村人たちに見送られ、馬車は西へ。

今度の旅は、長く険しいものになる。


けれど、胸元の四つの珠が、心強く脈打っていた。

救ってきた神々が、今度も力を貸してくれる。


「アルヴィス様。——五柱目の神様を、救いに行きましょう」


「ああ。——二人でだ」


新たな旅が、始まる。

風に引き裂かれた、空の国へ。そして、神の舌の真実の、さらに奥へと。


物語は、新たな旅路へと、歩み出した。

最後まで読んでいただきありがとうございます。

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