第77話 帰路の約束
アスタリカを発つ日が、来た。
火の災いは鎮まり、紅蓮の山には緑が戻りはじめていた。
避難していた民も、少しずつ故郷へ帰っていく。わたくしたちの役目は、果たされたのだ。
王都の門前で、レオハルト王が自ら見送りに立っていた。
「世話になった、セレスティア殿」
王は、晴れやかな顔をしていた。出会った頃の孤立した青年王の影は、もうない。
「強硬派は一掃した。これからは、余の手で、この国を立て直す。——そなたが灯してくれた、あの炊き出しの火を、忘れぬ」
「陛下なら、きっとよい国を築けます」
わたくしは微笑んだ。
「民の竈に、あたたかい火が絶えない国を」
ザイードとガルムも、見送りに来てくれた。
「あなたと過ごした日々は、忘れません」
ザイードが、静かに頭を下げた。
「敵国の使者として、あなたを試すような真似もした。——どうか、許してほしい」
「いいえ。あなたが勇気を出して、ヴァルドまで来てくださったから。——すべては、そこから始まったんです」
そして、ガルム将軍が、ぶっきらぼうに歩み出た。
その手には、布に包まれた何かがある。
「……餞別だ」
差し出されたのは、香り高いこの地の香辛料の束だった。
「お前の料理に使え。火の山が育てた、アスタリカの宝だ。——その、なんだ。達者でな」
不器用な、けれど確かな友情。
かつて敵意を剥き出しにした将軍が、今は、こんなにも。
深く頭を下げて、受け取った。
「ありがとうございます。——この香りを使うたび、あなたを思い出します」
帰路の馬車に揺られながら、得た真実を、改めて噛みしめていた。
“あのお方”。原初の神。世界の滅びを望む者たち。——そして、わたくしに託された使命。
「……大きすぎて、まだ実感が湧きません」
窓の外を流れる景色を、見つめた。
「世界の滅びを止めるだなんて。一介の料理人だった、わたくしが」
「一介の料理人が、もう三つの国を救った」
アルヴィスが、静かに言った。
「いや、ヴァルドを入れれば、四つだ。——お前は、十分すぎるほど、やってのけている」
その言葉に、胸が少し軽くなる。
そうだ。最初から世界全部を、背負おうとしなくていい。
目の前の、ひとつの土地。ひとりの飢えた人。一柱の、苦しむ神。
——それを、ひとつずつ。そうやって、ここまで来た。
「そうですね。——いつもどおり、やればいいんですよね」
ふと、胸元の四つの珠に触れた。
味、潤い、水、火。救ってきた神々の温もり。
地図には、まだいくつもの赤黒い光点が残っている。
次に向かうべき、苦しむ神々。
そして、各地でその暴走を利用しようと蠢く野心家たち。
脱走した、あの宰修。泳がせている、サウディスのラシッド。——彼らも、いつか、再び行く手に現れるだろう。
「忙しく、なりそうですね」
わたくしは、苦笑した。
「神様を救って。野心家を出し抜いて。そして、いつか——“あのお方”のもとへ」
「ああ。だが、焦ることはない」
アルヴィスが、わたくしの肩を抱いた。
「一歩ずつだ。——その合間に、ちゃんとヴァルドへ帰って、うまい飯を食う。それも、忘れずにな」
その言葉に、思わず笑ってしまった。
どんなに大きな戦いの中でも、この人は、わたくしの「日常」を守ろうとしてくれる。
馬車は、東へ。なつかしいヴァルドへと進んでいく。
夕暮れの空が、橙色に染まっていた。
それは、救った火の神の、あのあたたかな炎の色に、よく似ていた。
「帰ったら、まず、何を作ろうかしら」
膝の上で、ガルムにもらった香辛料の束を、そっと撫でた。
「この香辛料を使って、新しい料理を。村のみんなと、留守を守ってくれたセバスやマルクに、振る舞いたいです」
「いいな。——楽しみにしている」
幾日かの旅路を経て。馬車が、見慣れた丘を越えた。
眼下に、ヴァルドが広がる。
青々とした畑。立ちのぼる炊事の煙。子どもたちの、駆け回る声。
——あたたかな、わたくしたちの故郷。何度旅立っても、この景色を見るたびに、胸がいっぱいになる。
「奥方様! 旦那様! お帰りなさいませ!」
門前で、セバスが、マルクが、村人たちが出迎えてくれた。
ハンスも、ゴルドも、みんな笑顔で手を振っている。
長い、長い旅だった。敵国の地で、命がけの戦いもした。
けれど、こうして無事に帰ってこられた。
「ただいま、帰りました。——みんな、変わりはありませんでしたか」
「もちろんですとも。ヴァルドは、いつでもお二人の帰りを待っております」
セバスが、目を細めた。
その夜。約束どおり、わたくしは、かまどの前に立った。
ガルムにもらった、火の山の香辛料。
それをヴァルドの食材に効かせて、新しい一皿を仕立てる。
ぴりりと辛く、けれど深い香りの煮込み。
異国の風と故郷の味が、ひとつの鍋の中で溶け合っていく。
「……うまい! こりゃあ、食べたことのない味だ!」
村人たちが、夢中で頬張る。
その笑顔を見ていると、旅の疲れも世界の重さも、すうっと溶けていった。
遠いアスタリカの恵みが、今、ヴァルドの食卓を笑顔にしている。
——料理は、こうして、国を越えて、人を繋じていくのだ。
世界の真実は、重い。使命は、途方もない。
けれど、わたくしの帰る場所は、変わらず、あたたかい。守りたい人たちが、待っている。
だから、戦える。何度でも、立ち上がれる。
鍋ひとつ、舌ひとつ。そして、隣には、いつもこの人がいる。
——それだけで、わたくしは、どんな世界の果てへでも行ける気がした。
四つの光を胸に、わたくしたちの旅は続いていく。
新たな神を求めて。世界の真実の、さらに奥へと。
——けれど
今はただ、このあたたかい食卓を、心ゆくまで、味わおう。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
続きが気になったら、評価とブックマークで応援いただけると執筆の励みになります!




