第76話 失われた、真実
アスタリカの古文書庫は、想像をはるかに超えていた。
大聖堂のような巨大な石造りの建物。
その中に、見上げるほどの書架が、何列も、何階層も続いている。
大陸中から集められた、何千年もの知の集積。——ここなら、きっと、あの謎の続きが見つかる。
わたくしとアルヴィスは、司書の案内で、最も古い神話と歴史を収めた区画へ向かった。
ザイードとガルムも協力を申し出てくれた。
敵国の文字に不慣れなわたくしたちには、何より心強い助けだった。
「神々の起源。古き世界の理。——そのあたりを探します」
調査は数日に及んだ。
そして——一冊の古い写本の中に、わたくしはついに、“それ”を見つけた。
『太古、世界には、無数の神々があった。味の神。水の神。火の神。——あらゆる恵みを司る神々が、人と共にあった』
胸が高鳴る。これは——わたくしが出会ってきた神々のことだ。
『神々と人とを繋ぐ者があった。“神々の声を聞く舌”を持つ者。彼らは神々の声を聞き、その恵みを人へ伝え、人の感謝を神へ捧げた。——世界の理は、この循環によって保たれていた』
“神々の声を聞く舌”。——初代辺境伯の力。そして、わたくしの《美食家の舌》。
それは、神と人を繋ぐための力だったのだ。
さらに写本を読み進める。そして——“あのお方”の正体に関わる一節にたどり着いた。
『されど、神々の中に、一柱。あらゆる神々を統べる、“原初の神”があった』
息をのんだ。
『原初の神は、世界の理、そのもの。すべての恵みの源。されど——人は欲を増し、神々を忘れ、争いを繰り返した』
そのとき。胸元の四つの珠が突然、熱を帯び、まばゆく輝きだした。
写本の古い文字に、呼応するように。
——次の瞬間、わたくしの脳裏に、ビジョンが奔流のように流れ込んできた。
見える。緑なす、豊かな世界。人と神が、笑い合い、恵みを分かち合っていた、原初の楽園。
けれど、時が移ろい——人は火を奪い合い、水を奪い合い、神々を忘れ、捧げ物は絶え、感謝は消え、世界は争いと欲に満ちていく。
そして、その中心で。すべてを見ていた、巨大な慈悲深い存在が——ゆっくりと、うなだれていく。
深い、底知れぬ悲しみとともに。我が子のような人々の堕ちていく姿に、心を引き裂かれながら。
その絶望が、わたくしの胸に、まるで自分のことのように流れ込んできた。あまりの哀しさに、涙が頬を伝う。
『——人が再び神を敬い、世界が調和を取り戻すまで、我は眠る。されど、もしその願いが潰えたなら……我は目覚め、この堕落した世界を、すべて無に還そう』
ビジョンの中で、慈悲深い存在は、そう告げて静かに目を閉じた。
光が薄れ、世界が暗転する。——そこで、ビジョンは途切れた。
——“あのお方”。
それは、世界を創った原初の神。
そして、人々の堕落に絶望し、「世界を無に還す」と告げて眠りについた、存在だった。
地図の中心の、闇の点。脈打つ心臓のような、その影。
——眠りながら目覚めの時を待つ、それは、世界の終わりをもたらす、神の眠りだった。
「……世界を、無に還す」
わたくしの声が震えた。アルヴィスの顔も青ざめている。
「では、各地の神々の暴走は」
「ええ」
わたくしは写本を見つめた。
「原初の神が目覚めに近づいている、その兆し。神々を繋ぐ循環が壊れ、世界の理が綻びはじめている。——このままいけば、原初の神は完全に目覚め、世界は終わります」
そして、各国の野心家たちは、その終わりと再生を利用して、新しい世の支配者になろうとしている。
けれど——写本には、まだ続きがあった。
最後の一節。それは、わたくしの胸を強く打った。
『原初の神の絶望を解く、ただ一つの道。それは——“神々の声を聞く舌”を持つ者が、忘れられた神々をふたたび人と繋ぎ直し、世界に感謝と調和の循環を取り戻すこと。それのみが、原初の神の眠りを安らかなものとし、滅びを退ける』
「……これ、だ」
わたくしは、確信した。
なぜ、わたくしがこの力を持って生まれたのか。なぜ、神々を救う旅をしているのか。
——すべては、このためだったのだ。
そして——その一節を読んだとき、わたくしの中で、これまでの出来事が一本の線で繋がった。
「……そうか」
声が震えた。
「だから、初代辺境伯の記録は、破られていたんですね」
アルヴィスが、はっとわたくしを見る。
わたくしは、確信とともに続けた。
「神の舌の真実を、知られては困る者がいる。——世界の滅びを望む者たちが。だから、代々、“舌を持つ者”の知識を、歴史の影から消し去ってきた。ヴァルドの記録が、肝心な部分だけ破られていたのも、その仕業です」
「……ああ」
アルヴィスの顔が、険しくなった。彼もまた、点と点を繋いでいた。
「そして、宰相が、お前の舌を狙ったのも。——単なる権力欲ではなかった。この滅びの流れを加速させるため、あるいは利用するためだったんだな」
「ええ。きっと」
ぞっとした。
「敵は、ずっと昔からいたんです。神の舌を持つ者を狙い、その知識を消してきた者たちが。——わたくしが宰相に追われたあの日から、いいえ、もっとずっと前から。この戦いは、始まっていた」
ばらばらに見えた、これまでの出来事。
婚約破棄。宰相の陰謀。各国の野心家。
——そのすべてが、「世界の滅びを望む者たち」という、一つの大きな流れの中にあったのだ。
「アルヴィス様。——わたくしの使命が、分かりました」
四つの珠を握りしめ、わたくしは顔を上げた。
「忘れられた神々を一柱ずつ救い、人と繋ぎ直す。世界に、もう一度、感謝の循環を取り戻す。——それが、原初の神の絶望を解き、世界の滅びを止める、唯一の道です」
途方もない、けれど確かな希望だった。
わたくしの料理が。わたくしの舌が。
——世界の終わりを止める鍵、だったのだ。
これまで一皿ずつ人を笑顔にしてきた、その小さな積み重ねが、いつのまにか世界を救う大きな道へと繋がっていた。
「……怖くないと言えば、嘘になります」
わたくしは、アルヴィスを見た。
「でも、やり方はこれまでと同じ。目の前の苦しむ神様を、一柱ずつ。あたたかい一皿で救っていく。——その先に、必ず答えがあると、信じます」
アルヴィスが、力強くわたくしの手を握った。
「ああ。——どこまでも、共に行く」
世界の真実は、あまりに大きく重かった。
けれど、わたくしたちの進む道は、ようやくはっきりと見えた。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
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