第75話 黒幕の影
新たな珠を握りしめ、わたくしは、剣戟の鳴る背後へと駆け戻った。
火の神の暴走が収まったことで、戦いの流れも変わっていた。
アルヴィスたちの奮戦に加え、神が和らいだことで、強硬派の兵たちも戦意を失いはじめていた。
「……山が、鎮まっただと?」
「災いが、本当に止まった……。あの女が、やったのか?」
動揺が広がる。
神の力を兵器にするどころか、災いそのものが消えてしまった。彼らの目論見は、根底から崩れたのだ。
「もう、やめなさい」
わたくしは、彼らに呼びかけた。
「あなたたちが利用しようとした火の神様は、もう救われました。これ以上戦っても、得るものは何もありません。——武器を収めてください」
兵たちは顔を見合わせ、やがて、一人、また一人と剣を下ろした。
戦いが収まったあと。ガルム将軍が、捕らえた強硬派の指揮官を引き立ててきた。
「こいつが、現場の責任者だ」
将軍が苦々しげに言う。
「だが——こいつも駒にすぎん。本当に糸を引いていた者は、別にいる」
縄を打たれた指揮官は、けれど不敵に笑っていた。
「……ふん。我らを止めたところで、無駄だ」
男は嗤った。
「もう遅い。“あのお方”の目覚めは、近い。世界の理は、綻び続ける。お前たちがいくら神を救おうと——大きな流れは、止められん」
“あのお方”。——その言葉に、息をのんだ。
「あなたたちは、“あのお方”を知っているのですか」
わたくしは、鋭く問うた。
「あなたたちの陰謀は、“あのお方”と繋がっているのですか」
指揮官の目が、昏く光った。
「……お前には、分かるまい」
指揮官の声が、恍惚と震えはじめた。
その目は、見えない何かを崇めるように、虚空を見上げている。
「“あのお方”の、あの、底知れぬ気配。世界そのものを無に還す、絶対の力。——あれを、ひとたび感じれば、誰もがひれ伏す。逆らうなど、できぬ。ただ付き従い、新しき世での、わずかな席を賜るのみ」
その口調には、信仰にも似た陶酔があった。
けれど、その奥に、隠しきれぬ怯えも滲んでいた。
彼らは、“あのお方”を崇めながら、心の底では恐れている。
抗えぬ滅びを前に、せめてその先兵となることで生き延びようとする——そんな、歪んだ必死さが。
「世界は、じきに、作り変えられる。古き神々は、滅びる。お前が、いくら、神を救おうと——遅いのだ。もう、何もかも」
その言葉は、これまでのすべての点を繋ぐものだった。
王国の宰相。サウディスのラシッド。そして、アスタリカの強硬派。
——各国の野心家たちが、それぞれに“あのお方”の目覚めを利用しようと暗躍している。
世界各地で神々が暴走するのを、好機と見て。
「……やはり、繋がっていた」
背筋に、冷たいものを感じた。
神々の暴走は、ただの自然の綻びではない。その裏で、“あのお方”の目覚めを待ち望み煽る、人間たちの影が蠢いている。
災いに苦しむ民がいる一方で、その災いを己の野心の糧にしようとする者がいる。
——その事実が、何よりおぞましかった。
「その“あのお方”とは、何者なのです」
わたくしは迫った。
「目覚めれば、どうなる。あなたたちは、何を知っている」
けれど、指揮官はただ嗤うばかりだった。
「じきに分かる。——お前も、その目で見ることになる。世界が作り変えられる、その瞬間をな」
王都へ戻ると、レオハルト王が自ら、わたくしたちを出迎えた。
その表情は、出会ったときの硬い警戒とはまるで違っていた。
火の災いが鎮まったこと、そして、その裏に自国の強硬派の陰謀があったことは、すでに王の耳にも届いていた。
「……礼を言う、セレスティア殿」
王は、深く頭を下げた。一国の王が、敵国の者へ。それは異例のことだった。
「そなたを疑い、軟禁同然に扱った無礼、許してほしい。まさか、災いの裏に余の臣下が……。そなたがいなければ、我が国は内側から滅んでいた」
「頭を上げてください、陛下」
わたくしは微笑んだ。
「わたくしは、ただ飢えた人を救いに来ただけ。それが、果たせたのなら、十分です」
王は、しばしわたくしを見つめ、それから、意を決したように言った。
「……一つ、頼みがあると聞いた。我が国の古文書庫を、見たいと」
息をのんだ。
この国を目指した、もう一つの理由。
神の舌の真実。あのお方の正体。その手がかりが眠る、大陸最大の知の宝庫。
「本来なら、他国の者には決して開かぬ場所だ」
王は言った。
「だが——そなたは、我が民の命の恩人。そして、世界の災いと戦う者。……特別に許そう。好きなだけ、調べるがいい」
思わぬ申し出に、深く頭を下げた。
料理で繋いだ信頼が、固く閉ざされた知の扉さえ開いたのだ。
その夜。鎮まった紅蓮の山を背に、アルヴィスと語り合った。
「敵の正体が、見えてきましたね」
四つの珠を見つめた。
「神々の暴走を利用しようとする、人間たち。そして、そのすべての中心にいる“あのお方”」
「ああ」
アルヴィスの顔は険しかった。
「神を救うだけでは終わらん、ということだ。——その裏で糸を引く人間たちとも、戦わねばならん」
戦いは、神だけでも人だけでもなかった。
神々を救いながら、その暴走を利用する野心家たちの陰謀を暴き、そして、いずれは——すべての根源、“あのお方”と対峙する。
途方もなく大きな戦いの全体像が、ようやく見えてきた。
「……でも」
四つの珠を、握りしめた。
「怖くはありません。だって、わたくしには、救ってきた神々の加護がある。アルヴィス様が、いる。そして——敵国にすら、味方ができました」
ザイード、ガルム。料理が繋いだ、思わぬ絆。
あの、火の神との対峙のとき。
神に集中するあまり、背後の戦いを見てはいなかった。
けれど後で、ザイードが教えてくれた。
アルヴィスが鬼神のごとく、一人として守りを破らせなかったこと。
そして、ガルム将軍が——「神を兵器に変えるなど武人の誇りにもとる」と吼え、かつての同志に刃を向けたこと。
「あのとき、背中で戦ってくれた、あの人たちの気配を。——わたくしは、一生、忘れません」
それは、どんな陰謀よりも確かな力だった。
野心は人を分かつけれど、あたたかな食卓は人を繋ぐ。
わたくしの戦い方は、敵がどれほど大きくなろうと変わらない。
「一つずつ、解いていきましょう。この絡まった糸を。——その先に、必ず、答えがあります」
アスタリカでの戦いは、まだ終わらない。けれど、その先に、世界の謎の核心へと続く道が、確かに見えはじめていた。
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