第71話 火の地へ
震源の火山地帯へ向かう支度は、すぐに整えられた。
道案内には、使者のザイードが引き続き同行することになった。彼は王の信任が厚く、西の地理にも明るいという。
アスタリカ側からの護衛も数名つけられた。——もっとも、それがわたくしたちを守るためか、見張るためか。判断はつきかねたけれど。
出立の朝。客館の前で、わたくしは思わぬ人物に行く手を阻まれた。
ガルム将軍だった。
「待て、敵国の女」
将軍は、巨体でわたくしを見下ろした。
「貴様が本当に災いを鎮められるなど、私は信じておらん。これは貴様らが、我が国の西の防備を探るための口実ではないのか」
剣呑な空気。護衛たちも、緊張に身を強張らせる。
けれど、臆さなかった。
「将軍。お疑いは、ごもっともです」
わたくしは、まっすぐに彼を見返した。
「ですから、こうしましょう。——あなたもご一緒に来てください。この目で、見届けていただければいい。わたくしが防備を探るのか。それとも、本当に災いを鎮めるのか。——すべて、あなたの目の前で」
ガルムの眉が跳ねた。まさか自分から同行を誘われるとは、思わなかったのだろう。
「……いいだろう」
将軍は、ぎろりと目を光らせた。
「その言葉、忘れるな。怪しい動きを見せれば、即座に斬る」
こうして、奇妙な一行が西へと発った。
セラとアルヴィス。使者ザイード。
そして、敵意を隠さぬガルム将軍と、その配下。
——味方なのか敵なのか分からぬ者たちと共に行く、奇妙な旅路だった。
西へ進むほど、空気は熱を帯びていった。
サウディスの砂漠の暑さとも違う。もっと乾いて、ひりつくような熱。
地面はひび割れ、草木は黒く焦げて枯れている。
やがて行く手に、煙を噴き上げる火山がいくつも連なる、地獄のような光景が広がった。
「あれが、“紅蓮の山々”です」
ザイードが言った。
「もとは火の恵みで温泉が湧き、地熱で作物が育つ、豊かな土地でした。それが半年前から、急に火勢を増し……今では、ご覧のありさだ」
灼熱の大地。
《美食家の舌》が捉えたその“味”は——焼け焦げて、すべての潤いが灼き尽くされた、命の断末魔だった。
その火山地帯で、危機は突然訪れた。
谷あいの道を進んでいたとき。突如、地が激しく揺れた。
前方の山肌が、轟音とともに割れ、真っ赤な溶岩が川のように流れ出してくる。
「噴火だ! 退がれ!」
ザイードが叫ぶ。
けれど、退路にも岩が崩れ落ち、道を塞ぐ。熱風が肌を焼く。逃げ場を失い、一行は立ち往生した。
そのとき、わたくしの目が、脇道の岩陰を捉えた。——あそこなら。
《美食家の舌》は、この灼熱の大地の“熱”さえ、味として捉えていた。
溶岩の流れる先は、舌を灼く、すべてを消し炭にする、凶暴な辛味。
けれど、脇道の岩陰のあたりだけは、その辛味がふっと和らいでいる。
煮立った鍋の中で、火の当たらない、ほんの一点を探り当てるように。わたくしには、溶岩の届かぬ、わずかな安全地帯が見えていた。
「こっちです! 急いで!」
迷わず、皆をその岩陰へと導く。
一行が岩陰に身を寄せた直後。溶岩は轟音を立てて、たった今まで立っていた道を呑み込んでいった。間一髪だった。
「……なぜ、分かった」
ガルムが、息を切らせながらわたくしを見た。
初めて、その目に敵意以外の色——驚きが宿っていた。
「熱の流れが、視えるんです。料理で火加減を読むのと、同じこと」
わたくしは、汗を拭って微笑んだ。
「将軍。今は、敵も味方もありません。——全員で、生きて、帰りましょう」
ガルムは何か言いかけ、けれど結局、口をつぐんだ。
その厳つい顔に、複雑なものがよぎっていた。
夜営の焚き火を囲んでも、一行の空気は張りつめたままだった。
ガルム将軍は、わたくしたちを油断なく見張っている。
アルヴィスもまた、いつでも剣を抜けるよう、警戒を解かない。敵地で、敵に囲まれての野営。気の休まる暇はなかった。
そんな中、いつものように、皆のために鍋を火にかけた。
「……何のつもりだ」
ガルムが、訝しげに言う。
「夕食ですよ。みんな、お腹が空いているでしょう?」
わたくしは微笑んだ。
「敵も味方も、関係ありません。同じ釜の飯を食べれば、少しは心もほぐれます」
灼熱の地で汗をかいた体に、塩気の効いたあたたかな汁物が染み渡る。
最初は警戒していたガルムの配下たちも、空腹には勝てず、おずおずと椀に口をつけた。
そして——その顔が、ふっとゆるむ。
「……うまい」
思わず漏れた、一人の兵の呟き。
ガルムがじろりと睨むと、兵は慌てて口をつぐんだ。
けれど、わたくしは見逃さなかった。固く閉ざされていた敵意に、ほんの小さなひびが入った瞬間を。
料理は、国境も敵意も越えていく。——この敵だらけの旅でも、きっと、わたくしの武器は変わらない。
ガルムだけは、なかなか椀に手をつけなかった。
けれど、配下たちが旨そうに食う様子に、とうとう根負けしたらしい。
「……毒見だ」と、ぶっきらぼうに言い訳して、ひと口すすった。
その瞬間、将軍の動きが止まった。
「……これは」
低い声が漏れる。
「……懐かしい、味だ。災いの来る前。まだ、この国の畑が、豊かに実っていた頃。母が、よく作ってくれた、田舎の汁物に……似ている」
厳つい顔が、ふいに遠い目をした。武人の鎧の下から、ひとりの男の、素の表情が覗く。
「我らアスタリカも、昔は、こんなあたたかい飯を、当たり前に食っていた。それを、火の災いが、奪った……」
そこまで言いかけて、ガルムははっと口をつぐんだ。
何かを言いかけ、けれどそれをぐっと飲み込む。敵国の女に心を許しかけた自分を戒めるように。
「……いや。何でもない。世辞は、言わん主義でな」
そう、ぶっきらぼうに言い捨て、将軍は椀を置いて立ち去った。
けれど、その背中には、来たときのような剥き出しの敵意はもうなかった。
守りたかったはずの、豊かな国。その記憶を、一杯の汁物が確かに呼び覚ましていた。
凍りついた敵将の心の奥で、何かが軋みはじめている。——わたくしには、それが分かった。
その夜。眠れぬまま、紅蓮の山々を見上げた。
噴き上がる炎。地を揺るがす地鳴り。
その奥に、確かに感じる巨大な気配。
——四柱目の神。火を司り、いまやすべてを灼き尽くそうと暴れる神が、あの山の奥にいる。
胸元の三つの珠が、警告するように熱く脈打つ。
(……あなたも、きっと苦しんでいるのですね)
これまでの三柱がそうだったように。この火の神も、忘れられ、何かに飢え、渇き、あるいは諦めて、暴走している。
その苦しみを鎮める一皿を、わたくしは必ず見つけ出す。
たとえ、ここが敵国の地であっても。
飢えと苦しみの前では、国境など何の意味も持たないのだから。
灼熱の紅蓮の山。その最奥へ。
——敵地での、神を巡る戦いが、いよいよ近づいていた。
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