第60話 よみがえる大地
潤いが還ってから、サウディスの変化は、目を見張るものだった。
枯れて砂に変わっていた農地に、ふたたび水気が戻る。
灰色の大地が、黒くしっとりとした土へとよみがえっていく。
種をまけば、芽が出る。
涸れていた井戸に水が湧く。
——死にかけていた国が、息を吹き返していった。
わたくしたちが王都へ戻ると、そこは歓喜に沸いていた。
「奇跡だ! 大地が、よみがえったぞ!」
「水だ! 井戸に、水が戻った!」
人々が抱き合い、泣いて喜んでいる。
つい先日まで飢えと絶望に沈んでいた都とは、まるで別の場所のようだった。
◇
謁見の間で、サウディスの国王は玉座から立ち上がり、深々と頭を下げた。
「セレスティア殿。そなたは、我が国の救世主だ。この恩は、生涯、いや国が続くかぎり、語り継がれよう。——どうか、望むものを申されよ。金銀財宝でも、領地でも。そなたの望みなら何なりと」
「もったいないお言葉です」
わたくしは微笑んで、首を振った。
「ですが、わたくしが望むのは、報酬ではありません。——ただ、サウディスの皆さんが、もう一度あたたかい食卓を囲んで笑ってくださること。それが、何よりのご褒美です」
その言葉に、王は目を潤ませた。
居並ぶ宮廷の者たちも、感じ入ったように頭を垂れる。
——けれど、その中に一人だけ、苦々しい顔の男がいた。
宰相、ラシッド。
◇
「……ふん。異国の小娘が、調子に、乗りおって」
国を発つ前夜、わたくしは、大地の再生を祝う宴の席で、ラシッドにも料理を振る舞った。
形ばかりの、礼節の交換。
彼は、慇懃に礼を述べ、わたくしの料理を、口に運んだ。
——その、ほんの一瞬。
ぞくり、とした。
《美食家の舌》は、料理の真価だけでなく、それを口にする者の、心の機微すら、わずかに、読み取ることがある。
長い対話より、ひと匙を共にした、その刹那のほうが、雄弁なときがある。
そして、ラシッドが料理を味わった、その瞬間に、舌が捉えたのは——歪んだ、奇妙な“味”だった。
満ち足りた、勝者の余裕。
けれど、その奥に、隠しきれない、ねっとりとした、企みの気配。
安堵ではない。
むしろ、何かが、彼の計算どおりに、進んでいることへの、密かな、愉悦。
——まるで、この災いすら、織り込み済みであったかのように。
(……この男は)
確信が、胸の底で、冷たく固まった。
けれど、わたくしは、表情を変えなかった。
ここで、迂闊に問い詰めれば、警戒され、尻尾を隠されてしまう。
証拠が、ない以上。
今は、気づかぬふりをして、泳がせるほうがいい。
——それが、王都での戦いで、わたくしが学んだことだった。
「お口に、合いましたでしょうか。ラシッド様」
わたくしは、何食わぬ顔で微笑んだ。
「……ああ。実に、見事な腕前だ」ラシッドも、にこやかに応じる。
「異国の客人よ。災いを鎮めてくれた、礼を言う。——どうか、道中、お気をつけて」
互いに笑みを、交わす。
けれど、その笑みの裏で。
わたくしたちは、確かに、相手の“底”を、探り合っていた。
(……この男も、何か大きなものと繋がっている)
確信は、なかった。
けれど、宰相の言った“あのお方”。
世界の理を歪ませる、何か。
それと、各国のこうした野心家たちが——どこかで繋がっているのではないか。
そんな嫌な予感が拭えなかった。
いつか、必ず。
この男の“隠し味”の、正体を。
——わたくしは、胸の奥で、静かに、誓った。
◇
サウディスを発つ日。
カシムが別れを惜しんで、見送りに来てくれた。
「セラ様。あなたと出会えて、本当によかった。——あなたは、おれの、いいえサウディス全土の、命の恩人です」
「こちらこそ。カシムさんがいなければ、砂漠で迷っていました。——どうか、お元気で」
別れの言葉を交わし、わたくしたちは馬車に乗り込んだ。
ヴァルドへ。
あたたかな、我が家へ。
帰りの道すがら。
わたくしは、二つの珠をそっと取り出して、見つめた。
ノルドの味の神。
サウディスの潤いの神。
——二柱の、忘れられた古い神々。
どちらも本来は、世界に恵みを与える者だった。
それが忘れられ、飢え、渇き、暴走していた。
そして、その背後に横たわる、大きな謎。
“あのお方”。
失われし、世界の理。
(……まだ、いるはず)
わたくしは、確信していた。
忘れられた神は、この二柱だけではない。
世界には、まだいくつもの綻びかけた“理”が眠っている。
そして、そのすべての根源に——きっと、“あのお方”がいる。
「アルヴィス様。わたくしたちの旅は、きっとまだ、これからです」
「ああ」アルヴィスは頷き、わたくしの手を握った。
「だが、何度でも言う。——何が来ようと、二人でだ」
馬車は、北へ。
ヴァルドへと、進んでいく。
二柱の神を救い、二つの国を救った。
けれど、世界の謎は、まだその入り口を覗いたばかり。
“あのお方”の待つ、核心へ。
——わたくしたちの物語は、続いていく。
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