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【7/5 7AMに最終話投稿予定】追放された令嬢ですが、前世は料理人でした ~辺境で餌付けしていたら、冷徹な旦那様に溺愛されています~  作者: P作
第6章 渇いた砂と潤いの神

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第59話 命のしずく

「命のしずく」を携えて、わたくしはふたたび、窪地の底へ下りた。


砂の神は、もう限界が近かった。

胸元の珠が必死になだめてはいたが、その渦はふたたび激しさを増しつつある。


一刻の猶予もない。


わたくしは器に注いだ「命のしずく」を、砂の巨人の前にそっと捧げた。


「お待たせしました。——これが、あなたへの捧げ物です。砂漠中の命が、その身を削って蓄えた生きた潤い。それを、ひと匙に凝縮しました。どうか、受け取ってください」


砂の渦が、ぴたりと止まった。


巨人のうつろな“顔”が、ゆっくりと器へ傾く。

そして——立ちのぼる潤いの香気を、すうっと感じ取った。


——コレハ。


想念が震えた。


——命ノ……潤イ。生キタ水ノ、香リ。我ガ、ズット求メテイタ……。



だが次の瞬間、砂の巨人の体が、ぐらりと揺れた。


長い渇きと飢えで歪みきった本能が、目の前の潤いをただ貪り尽くそうと暴れ出す。

渦が、爆発的に膨れ上がった。


「セラ! 危ない!」


巨大な砂の腕が、わたくしごと捧げ物を呑み込もうと振り下ろされる。

刹那、アルヴィスが動いた。


「させるか——!」


地を蹴り、剣を一閃。

鋭い剣風が、迫る砂の腕を横ざまに薙ぎ払う。


砂が爆ぜて飛び散る。

けれど腕は、また無数の砂となって再生し襲いかってくる。


アルヴィスはわたくしの盾となり、次々とそれを斬り伏せていく。

巨大な砂の刃が彼の頬をかすめ、血が滲む。


それでも、彼は一歩も退かなかった。


「セラ、捧げ物を! おれが時間を稼ぐ!」


「はい——!」


わたくしは暴れる砂の中、器を両手でしっかり支え、必死に呼びかけた。


「聞いてください! あなたは、貪る必要なんてないんです! 奪わなくても、潤いはちゃんとここにあります!

これは——あなたのために、心を込めて用意した、贈り物なんですから!」



その言葉が、荒れ狂う砂の神の、奥深くに届いた。


——贈リ、物……?


巨人の動きが止まる。

砂の腕が、空中で静止した。


——我ニ……? 誰カガ、我ノタメニ……?


「ええ。そうです」


わたくしは微笑んで、器を差し出した。


「あなたは忘れていただけ。誰かがあなたを想って捧げてくれる、その喜びを。——どうぞ。今度は奪うのではなく、受け取ってください」


巨人が、おそるおそる、器に“口”をつけた。

そして——「命のしずく」を、ひと口含んだ、その瞬間。


砂の神の全身が、淡い緑がかった光に包まれた。


——アア。


歓喜の想念がこぼれた。


——潤ウ。満チル。コレダ。命ノ喜ビ。我ガ与エ、人ガ感謝シ、マタ与エル……ソウダ、コレダッタ。我ハ、コレヲ忘レテイタ……。


長い渇きの果てに、その神もまた思い出したのだ。

奪うことではなく、与え、与えられる喜びを。



砂の巨人を覆っていた、禍々しい渇きの気配が、すうっと晴れていく。

代わりに、あたたかな命の光が満ちていった。


そして奇跡が起きた。


巨人が、満たされたその身から、光の雫をこぼしはじめたのだ。

それは雨のように窪地へ降りそそぎ、乾ききった砂に染み込んでいく。


その雫が触れた砂が、色を変えた。

さらさらの死んだ砂から、しっとりと黒い、命を宿した土へと。


「……潤いが、還っていく」


わたくしは、その光景に息を呑んだ。


砂の神の力が、奪う力から、与える力へと反転したのだ。

ノルドのときと同じ。

渇いた神が満たされ、本来の優しい姿を取り戻していく。


降りそそぐ光の雫は、窪地だけにとどまらなかった。

あふれた潤いが、地の底を伝うように。


砂漠を越え、枯れた農地へ、王都へ、サウディスの国土の隅々へと広がっていく。

《美食家の舌》が、その流れを、はっきりと捉えていた。


命を奪われ、灰色に枯れていた大地に、今、みずみずしい命の気配が、一つ、また一つと灯り直していく。


やがて、砂の巨人は——その巨体を、静かに、ほどいていった。


無数の砂粒が、さらさらと崩れ、宙へ舞い上がる。

けれどそれは、消滅ではなかった。


役目を終えた神が、また長い眠りにつくための、安らかな還りだった。


——礼ヲ言ウ、人ノ子ヨ。


穏やかな想念が、最後に、響いた。


——我ハ、思イ出シタ。命ヲ育ム、本当ノ喜ビヲ。コノ大地ハ、モウ、枯レヌ。……汝ノ料理、決シテ忘レヌ。マタ、巡り会オウ。


砂がひときわ高く舞い上がり、その中心に、ちいさな淡く潤んだ光の珠が、ひとつ残された。


ノルドの味の神が遺したものと、よく似た、けれど、青くみずみずしい光をたたえた珠。


わたくしは、そっとそれを両手で受け止めた。

胸元のもう一つの珠が、応えるようにあたたかく瞬く。


二柱の神の加護が、今、わたくしの手の中に、揃った。


ふと隣を見れば、頬に血を滲ませたアルヴィスが、その奇跡を、まぶしそうに見つめていた。

わたくしは、そっと彼の手に触れる。


彼も、握り返してくれた。


——また、二人で、一つの世界を救えた。


枯れた、南の大地に。

——もう一度、命を育む潤いが、還ろうとしていた。

最後まで読んでいただきありがとうございます。

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