第58話 砂漠の恵み
窪地の縁までいったん退き、わたくしはカシムに問いかけた。
「カシムさん。教えてください。——この砂漠で、人々はどうやって、水を、潤いを得てきたんですか。乾ききった、この土地で」
カシムは、しばらく考えてから答えた。
「水源は限られています。オアシス。地下の水脈。それに……砂漠の民は、植物からも水を得ます。たとえば、サボテンのような多肉の植物。あれは、乾いた大地でも、体の中にたっぷりと水を蓄えているのです」
「水を蓄えた、植物……!」
わたくしの中で、何かが繋がった。
そうだ。ただの水ではいけない。
この神が渇いているのは、“命の潤い”。
——だとすれば、命あるものがその身に蓄えた、生きた水こそが、答えになるのではないか。
乾いた大地で、それでもけなげに命を繋いできた植物。その、ひと粒の潤い。
「カシムさん。その、水を蓄えた植物、近くにありますか?」
「ええ。この窪地の周辺にも。枯死をぎりぎりで耐えている株が、いくつか」
◇
わたくしは、すぐに調査を始めた。
砂漠の過酷な環境を生き抜く植物たち。
カシムの案内で、それらを一つひとつ確かめていく。
多肉植物。地下深くに根を張る灌木。朝露を葉に集める苔。
——どれも、わずかな潤いを必死に抱え込んでいた。
《美食家の舌》で、それらの“真価”を視る。
すると、見えてきた。
命を繋ぐための潤い。
砂漠の植物が、何代もかけて磨き上げてきた、生命の知恵。
ただの水とは、まるで違う。
濃く、強く、生きようとする意志に満ちた潤い。
——これだ。これこそが、渇いた神が本当に求めているもの。
「これらを、使います」
わたくしは確信した。
「砂漠の植物が蓄えた、生きた潤い。それを集めて、一皿に。——でも、ただ絞るだけじゃ足りない。もっと命の力を引き出して、凝縮させないと」
◇
問題は、調理法だった。
前世の知識を、総動員する。
乾いた土地の、保存と凝縮の技法。
——干す。煮詰める。発酵させる。
砂漠の民が、わずかな実りを無駄にしないために培ってきた、知恵の数々。
「カシムさん。サウディスには、果実を天日で干して、甘みを凝縮させる習慣はありますか」
「ええ、もちろん。干した棗椰子は、我が国の宝です。日持ちし、力の源になります」
「それです……!」
道が、見えた。
砂漠の植物が蓄えた、生きた潤い。それを搾り、棗椰子の濃密な甘みと合わせる。
さらに、わずかな塩を加え、とろりと煮詰める。
——そして、最後の隠し味。
わたくしは、旅の荷から、ヴァルドの味噌を、ほんのひと匙だけ、取り出した。
発酵が生んだ、深い旨味とコク。
それを、ほんの少し溶き入れることで、ただ甘く潤うだけの一皿に、命の“厚み”が加わる。
干し、煮詰め、そして発酵。
——砂漠の知恵と、前世の保存技術の、すべてを注ぎ込む。
命の水分を逃さず、けれど薄めず。
乾いた大地の、ありったけの“潤い”を、ひと匙に凝縮した——“命のしずく”とでも呼ぶべき一皿。
それは、前世とこの世界、二つの知恵が出会って初めて生まれる味だった。
砂漠の民が、過酷な大地で、命を繋ぐために編み出してきた知恵。
そこへ、前世のわたくしが学んだ、凝縮と熟成の技を重ねる。
どちらが欠けても、たどり着けなかった。
「作れます。——いいえ、作ってみせます」
わたくしの中で、レシピが組み上がっていく。
砂漠の知恵と、前世の技術。
それが一つに溶け合って、渇いた神を満たすための、たった一皿へと姿を変えていく。
「アルヴィス様。カシムさん。——手伝ってください。砂漠中の、命の潤いを集めるんです」
「ああ。任せろ」
「もちろんです、奥方様!」
二人が力強く頷いた。
◇
砂漠を駆け巡る、潤い集めが始まった。
枯死をぎりぎりで耐える多肉植物を、傷つけぬよう丁寧に採る。
岩陰に隠れた、わずかな苔。
地下深くへ根を伸ばす灌木の、みずみずしい新芽。
一つひとつは、ほんの少しの潤い。
けれど根気よく集めれば、確かな量になる。
アルヴィスは、その膂力で固い砂地に埋もれた根を掘り起こした。
カシムは、長年の経験で潤いを蓄えた株を、的確に見つけ出す。
「この岩の北側は、朝露が残りやすい」
「この窪みの下には、古い水脈の名残が」
——砂漠の民の知恵は、まさに、生きた地図だった。
そうして集めた命の潤いを、わたくしは仮の竈でさっそく試した。
搾り、棗椰子と合わせ、煮詰める。
——けれど、最初の一滴を舐めて首をかしげた。
「……まだ、薄い。命の力が、ぼやけてしまっている」
煮詰めすぎれば、命の瑞々しさが飛んでしまう。
煮足りなければ、潤いが凝縮しきらない。
その、ぎりぎりの境目を《美食家の舌》で見極める。
火加減を、ほんの少し弱める。
棗椰子の量を、わずかに増やす。
塩を、ひとつまみ。
——何度も、舐めては、直す。
そして、幾度目かのひと匙。
「……これだ」
舌の上で、生きた潤いがはじけた。
濃く、力強く、けれど優しい。
乾いた喉を、命そのもので満たすような、奇跡の一滴。
砂漠のすべての命が、この、ひと匙に宿っていた。
「カシムさん、これを口にしてみて」
差し出したひと匙を、おそるおそる口に含んだカシムさんが、その瞬間、目を見開いて崩れ落ちた。
彼の乾いた目から、大粒の涙がこぼれ落ちる。
「ああ……これだ、これです奥方様。オアシスじゃない、これは我が祖国サウディスそのものの、大地の歓喜の味だ……!」
「これなら——きっと、あの神様に、届く」
◇
——けれど、刻一刻と、神の渇きは限界へ近づいていた。
間に合うか。
それは、時間との戦いでもあった。
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