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【7/5 7AMに最終話投稿予定】追放された令嬢ですが、前世は料理人でした ~辺境で餌付けしていたら、冷徹な旦那様に溺愛されています~  作者: P作
第6章 渇いた砂と潤いの神

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第57話 砂の底の存在

すり鉢状の窪地を、わたくしたちは慎重に下りていった。


底へ近づくほど、命を枯らす気配は濃くなる。


肌が、ぴりぴりと痛む。


砂を踏むたび、足元から命が吸い取られていくような、奇妙な感覚。


護衛たちは麓に残し、わたくしとアルヴィス、そしてカシムだけで進んだ。


そして、窪地のいちばん底。


渦巻く砂の、その中心に——それは、いた。


「……これは」


砂そのものが寄り集まり、形をなしていた。


巨大な砂の柱。


いや、柱ではない。


よく見れば、それはうずくまる巨人のような影だった。


全身が、さらさらと崩れてはまた集まる、無数の砂の粒でできている。


そしてその体の周りで、大地の命が砂となって吸い込まれ続けていた。


ノルドの味の神とは、まるで違う姿。


けれど、その本質に漂う気配は——どこか、よく似ていた。



——カワク。


頭の中に、声が響いた。


やはりわたくしの《美食家の舌》にだけ届く想念。


——カワク。カワク。潤イガ欲シイ。命ノ、潤イガ。ナノニ、触レルモノ皆、砂ニナル。


その想念は、ノルドの味の神と同じ種類の飢えだった。


けれど、飢える対象が違う。


あの神が飢えていたのは“味”。


そしてこの存在が渇いているのは——“潤い”。


命の、みずみずしさ。


それそのものだった。


(……そうか。この方は)


直感が閃いた。


ノルドの神が“味”を司る者だったように。


この存在はきっと、大地に“潤い”を、実りを与える者。


命を育む、水と緑の神。


それが忘れられ、渇き、飢えて——触れるものすべてを砂に変える災いへと、堕ちてしまった。


応えるように、想念の奥から、古い記憶が、流れ込んできた。


——遠い昔。この地は、見渡すかぎりの緑だった。その神が大地に潤いを与え、川を巡らせ、作物を実らせていた。人々は初めての収穫のとき、その恵みに感謝し、みずみずしい果実を神へ捧げた。神はそれを喜び、また大地を潤した。そういう、優しい循環があったのだ。


けれど、時が流れ、人は神を忘れた。


捧げ物は絶え、感謝は消えた。


渇いた神は潤いを求めて彷徨い、けれど誰も応えてくれず——その渇きが、いつしか、大地から潤いを奪い返す力へと、歪んでいった。


その記憶が流れ込んだ瞬間、砂の巨人の“目”のあたりから、さらさらと、乾いた砂が、こぼれ落ちた。


それは、まるで、涙だった。


流したくても、もう、涙する潤いさえ残っていない。


乾ききった、砂の涙。


風に乗ったその一片が、わたくしの頬に触れ、ほろりと、伝い落ちた。


頬が、濡れた。


——わたくし自身の、涙で。


味の神と、寸分たがわぬ悲劇だった。


世界のあちこちで、忘れられた古い神々が、それぞれの“役割”を歪ませ、暴走している。


——これこそが、“理の綻び”の正体なのだ。


その気づきに、ぞくりと震えた。


ならば世界には、まだ他にも。


忘れられ、暴走しかけている神が、いくつも眠っているのかもしれない。


事の大きさが、改めてのしかかってくる。



「アルヴィス様。やはり、同じです」


わたくしは振り返って告げた。


「ノルドの味の神と、同じ。——この方は、大地の“潤い”を司る神様。忘れられて、渇いて、暴走している」


「では……今回も、料理で?」


「ええ。けれど」


わたくしは、その砂の巨人を見上げた。


今度は簡単ではなさそうだった。


ノルドの神は“味”に飢えていた。


だから心のこもった料理を捧げれば、満たすことができた。


けれどこの神が渇いているのは“潤い”——命の、みずみずしさそのもの。


ただの水では、ないだろう。


乾ききった砂漠で、どうやって命の潤いに満ちた一皿を用意すればいいのか。


考えていた、そのとき。


——カワク……モウ、限界ダ。


砂の巨人の想念が、苦しげに歪んだ。


同時に、巨人の体がぐらりと揺らぎ、膨れ上がる。


渦巻く砂が激しさを増し、窪地全体が震動しはじめた。


「いかん、暴れるぞ! セラ、下がれ!」


吹き荒れる砂の礫が、アルヴィスの頬を切り裂いた。


鮮血が、宙に舞う。


それでも彼は、わたくしの前に立ちはだかり、剣を構え続けた。


「これ以上は、下がっていろ! ここは、おれが——!」


その傷だらけの背中を見て、わたくしは、胸を締めつけられた。


——けれど、同時に、悟ってもいた。


これは、剣でどうにかなる相手ではない。


刃を向ければ向けるほど、この神の渇きは、深まるだけ。


それに、この神に悪意はない。


あるのは、ただ耐えがたい、渇きの苦しみだけ。


必要なのは、刃ではない。


この飢えを、渇きを——わたくしたちが、丸ごと受け止める、覚悟だ。


「アルヴィス様、剣を引いてください! この方は、苦しんでいるだけ。——わたくしが、止めます!」


わたくしは、渦巻く砂の中へ一歩踏み出した。


胸元の珠が、強く熱く脈打つ。


まるで同胞の神に呼びかけるように。


「お願いです、聞いてください! あなたの渇きを満たす方法を、わたくしが必ず見つけます! だから——もう少しだけ、堪えてください!」


その叫びが届いたのか。


荒れ狂っていた砂が、ほんのわずかに勢いを緩めた。


胸元の珠の光が、砂の巨人へと淡く伸びていく。


味の神の加護が、渇いた同胞を、なだめているかのようだった。


その、つかの間の静けさの中で。


わたくしは、必死に頭を巡らせた。


“潤い”を満たす一皿。


命の、みずみずしさ。


——ただ水を飲ませても、きっと駄目だ。


この神が忘れているのは、味の神と同じ。


「人に与え、感謝され、また与える」という、あの優しい循環の記憶。


だとすれば、捧げるべきは、ただの水ではない。


人の手が、心が宿ったもの。


乾いた大地から、それでも人が、知恵と工夫で絞り出してきた——“命の潤い”の結晶だ。


(……何か、ある。この砂漠にも、きっと)


乾ききったこの地で、人々はどうやって生き延びてきたのか。


潤いを、どう得てきたのか。


——そこに、答えがあるはずだ。


わたくしは、すがるように、隣のカシムを見た。


砂漠を知り尽くした、この男なら。


けれど、それも長くはもたない。


一刻も早く、この渇いた神を満たす“一皿”を見つけ出さなければ。


灼熱の砂漠の底で。


わたくしの、新たな戦いが始まった。

最後まで読んでいただきありがとうございます。

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