第56話 灼熱の砂漠
南西の大砂漠へ向かう一行に、心強い同行者が加わった。
商人のカシムだ。
彼は砂漠の交易路を、知り尽くしていた。
「あなた方だけでは、砂漠で迷い、干からびてしまいます」と。
ノルドでのリーセがそうだったように、今度はカシムが、わたくしたちの道案内になってくれた。
らくだに荷を積み、たっぷりの水を蓄え、一行は王都を発った。
◇
砂漠は、ノルドの雪山とは、何もかもが正反対だった。
照りつける、容赦ない陽。
見渡すかぎりの、砂、砂、砂。
昼は肌を焼く灼熱。夜は一転して、凍えるほどの寒さ。
風が吹けば砂が舞い、視界を奪う。
一歩ごとに、足が熱い砂に沈み込む。
それでも、進む方向に迷いはなかった。
近づくほどに、《美食家の舌》がはっきりと捉えていたからだ。
命の気配が消えていく、その境界を。
ノルドでは、味が薄れていった。
ここでは、命そのものが薄れていく。
わずかな砂漠の植物すら緑を失い、灰色に枯れていく。
その枯死の濃淡が、わたくしを震源へと導いてくれた。
「この感じ……間違いありません。震源は、この先です」
「ああ。——おれにも分かる」
アルヴィスが、ぴりつく空気に目を細めた。
「ノルドの山と同じだ。あの、人智の及ばぬ気配が、濃くなってくる」
◇
だが、砂漠は、たやすく行く手を阻んだ。
二日目の昼過ぎ。
突然、空が黄色く濁ったかと思うと、轟音とともに、砂の壁が地平の彼方から押し寄せてきた。
「砂嵐だ! 急いで、らくだの陰へ!」
カシムが叫んだ。
けれど、嵐の足は速かった。
たちまち視界が砂に覆われ、目も開けていられない。
息をすれば、口の中がざらりと砂で満ちる。
立っているだけで、体ごと吹き飛ばされそうだった。
「セラ! 手を離すな!」
アルヴィスがわたくしを引き寄せ、外套で包むように抱きかかえた。
彼の体が、吹きつける砂の壁になる。
カシムの指示で、皆がらくだの陰に身を寄せ、布をかぶって、ただ嵐が過ぎるのを待った。
どれほどの時間が、過ぎただろう。
やがて轟音が遠ざかり、嵐は去った。
「……無事か、セラ」
「はい。アルヴィス様が、守ってくださったので」
外套の中は、彼の体温で、あたたかった。
砂まみれになりながら、わたくしたちは顔を見合わせて笑った。
生きている。それだけで、十分だった。
「砂漠は、気まぐれだ」
カシムが砂を払いながら言った。
「だが、嵐のあとは決まって、空が澄む。——進みましょう。震源は、もう近い」
◇
砂漠を、三日。
過酷な行程の中でも、わたくしは皆の食事だけは、手を抜かなかった。
灼熱の中で、冷たく冷ましたヴァルドの保存食。
乾いた体に染み渡る、塩気の効いた汁物。
疲れた一行がそれを口にして、ほっと息をつく。
その姿を見るたびに、改めて思う。
どんな過酷な場所でも、あたたかい——いや、この暑さでは冷たい食事が、人を生かし、支える。
料理の力は、どこでも変わらない。
「奥方様の飯がなけりゃ、こんな旅、とてももたねえや」
カシムが、汁物をすすりながら、しみじみと言った。
「砂漠の旅は何度もしてきたが……こんなにしあわせな砂漠は、初めてだ」
その言葉に、皆が笑った。
灼熱の砂漠に、つかの間のあたたかな笑い声がこぼれる。
アルヴィスが、そっとわたくしに身を寄せてきた。
「……お前は本当に、どこへ行っても変わらんな。雪山でも、砂漠でも。人の集まる場所に、笑顔を灯していく」
「ふふ。料理人ですから。——それに、笑顔がなくちゃ、どんな困難にも立ち向えませんもの」
その夜、満天の星の下で、わたくしは胸元の珠を、そっと取り出した。
砂漠の冷たい夜気の中で、それはほのかにあたたかい光を放っている。
ノルドの味の神は、今も、わたくしを見守ってくれているだろうか。
これから向かう先に、いったい何が待っているのか。
——不安がないと言えば、嘘になる。
けれど、隣で眠るアルヴィスの寝顔を見ていると、不思議と心が凪いだ。
◇
そして、四日目の朝。
砂丘をひとつ越えた、その先に。
わたくしたちは、それを見た。
広大な砂漠のただ中に——ぽっかりと口を開けた、巨大なすり鉢状の窪地。
まるで、大地が内側からえぐり取られたかのよう。
そして、その底に。
「……あれは」
砂が渦を巻いていた。底の中心へと。
何か巨大なものがそこにいて、絶え間なく大地の“命”を吸い込んでいるかのように。
窪地全体から、命を枯らすあの禍々しい気配が陽炎のように立ちのぼっている。
ノルドの、氷の山。
そして、サウディスの、この砂の窪地。
形はまるで違う。
けれど——理を綻ばせる、その核心が、ここにもまた潜んでいた。
「……行きましょう」
わたくしは、その窪地を見据えた。
胸元の珠が警告するように、熱く脈打っている。
「あの底に、答えがあります。——この枯死の、本当の原因が」
灼熱の砂漠の、その最奥へ。
わたくしたちは、足を踏み出した。
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